負けん気がリスキリングを支えてる
リスキリングという言葉がもてはやされて久しい。
リスキリングとは、
と定義されている。
私が新卒で入った会社は部署間異動が頻繁に行われ、バックオフィス業務を軸に、営業、経理、店舗運営などを経験した。その後、紆余曲折を経て独立し、現在はライターとして活動中だ。今も、まだまだ足りないライタースキルをはじめ、テック業界の知識や広報の知見を学んでいる。
そんなキャリアから、社会人になってからというもの、常にリスキリングを求められている感覚がある。そしてふと、ずっとダメ出しをされている気分になる時があるのだ。
「簡単に『リスキング』ってもてはやすけど、リスキリングを繰り返す人生は相当タフな精神が必要だな……」
そう思い沈んでいた矢先、母からLINEが来た。そこから連想した義母、義祖母のこと。
3人の母の存在が、私に踏ん張るヒントをくれた。
軽やかにリスキリングしていた母
先日、珍しく母からLINEがあった。
「落ち着いてから言おうと思ってたんだけど。転職しました」
母は短大卒業後、就職。百貨店の販売員として働き、第1子である私の出産を機に退職した。その後、2人目を産み、私が小学校2年あたりで他業種でのパートに就職し、ワーママデビュー。
その数年後、最初の勤め先である百貨店に正社員として再雇用された。そこから約20年間、販売員のキャリアを積み、後年は販売員養成指導に精を出した。同時にPCスキルも磨いてきた。
1年ほど前に直接話した際、「Google スプレッドシートのこの機能について質問したいんだけど……」と聞かれ、妹と舌を巻いた。
「お母さん、60歳手前でそれできてるの、誇りに思っていいよ」私たち姉妹は、そう言いながら質問に答えた。
その母が転職していた。あんなに販売員という職業にやりがいを持って働いていた母である(母と飲食店や衣料店に行くと、店員の接客の点数をつけるくらい。嫌でたまらなかったけど笑)。
転職の理由を聞かずにはいられなかった。
「60歳超えて嘱託になってから、お給与が減って、なのに業務量は増えてね。なんか違うな、軽く見られているな、と思って。だから同僚に教えてもらった転職サイトに登録してWeb面談したら、とんとん拍子で正社員職が決まったのよ。お母さんのスキルを生かせる、DXの会社のコールセンター業務なんだけど」
びっくりした。教えてもらった再就職先を調べてみると、上場もしている"ちゃんとした会社"だった。
母の行動力には驚かされる。まず転職サイトに登録した時点で、転職サイトに書かれているTipsをヒントに、自分のスキルセットを把握したそうだ。そしてこれから伸びそうなDX分野に注目。自分のスキルをうまく掛け算できるPRを書いて、面談に結びつけたという。
「もちろん、毎日業界の勉強が必要で社内の新しい環境に慣れるのは大変だけど、なかなかおもしろいわよー。若い同僚に、もうあだ名つけてもらっちゃったのよ。うふふ」
それ、お母さん、完全にリスキリングじゃん。私は圧倒されてしまった。
そういえば、義母も義祖母も
母の転職話を聞いて、私は2人の女性を思い出した。
1人は夫の母、つまり義理の母だ。
義母は息子(夫)の出産を機に家庭に入ったが、子育てが落ち着くとともにパート就職。
当時にしては珍しく晩婚で、広告企業の総合職でバリバリ働いた経験のある彼女は、パート先の広告や採用まで手がけるようになった。でも正社員にはならず、複数の勤め先を掛け持ちした。
勤務地は、すべて自宅から車で10分ほどで着く地域のお店。子育ての時に培った地域ネットワークをフルに使って、手が足りないと聞けばどんな仕事でも手伝っていたらしい。
できることはどんどん増えて、業務委託としてお給与も上がっていった。老後の資金の半分くらいは自分で貯めたかったという。
70代に突入した今は「もうお金はいいから」と、地域に新しくできた介護施設で配膳や飲食の介助のバイトをしつつ、毎日地域のあらゆるサークル活動に顔を出している。夫の実家を訪れるたび、新しい趣味の道具が増えているので、私は笑ってしまう。
「オカリナを習い始めたんよ。この楽器なら私にもできると思ってね。あ、そうそう。オカリナの発表会をバイト先でも披露できることになってね。その企画は自分で持ち込んで、職員さんにも喜ばれたわ〜。ところでみみこちゃん、私、YouTubeの動画を投稿したいんやけども。オカリナの演奏会の様子を、離れた親族の方も見せれるようにしたいって職員さんと話してて。いいアイデアでしょ?」
茶目っ気たっぷりに微笑む義母に、 YouTubeのアカウント運営方法を教えた。
ふと、「これも……リスキリング?」と気づいた。
もう1人は、夫の父方の祖母である。
90代で元気に1人暮らし中。掃除や入浴の介助は地域の福祉サービスを利用しているが、毎日3食を自分で作り食べている。
数年前に、その祖母を家族で訪ねた時のこと。
お料理上手で有名な義祖母の台所仕事を手伝っていると、私にいろいろと話してくれた。
息子(義父)を産んで、すぐ夫に逃げられたこと。夫の借金返済と生活費のために、できる仕事はなんでもやったこと。工事現場の警備員が一番しんどかったこと。地域の人の手を借りながら、息子を育て上げたこと。今は、あの頃の苦労が嘘みたいに幸せなこと。死ぬ日まで台所に立ちたいこと。毎月、スマホに送られてくるひ孫の様子がうれしくてたまらないこと。
……ん?スマホ?
「え、スマホお持ちなんですか?!」
驚く私に、
「そうそう、息子に頼んだんよ。これならひ孫の顔がすぐ見れるし、LINEちゅうので、デイサービスの人と連絡が取れるんよ。便利ねえ、この機械」
と、高齢者用スマホを見て笑った。
「やっぱり、なんでもやってみるもんやねえ。新しいレシピは今でも楽しいから、職員さんとこれで調べるんよお」
圧倒的な自己効力感
彼女たちから感じたのは、フットワークの軽さと、自分の興味関心とできることの解像度の高さ。そして何より、負けん気の強さである。
母はこんな給料では働けないと自分のスキルを正当に評価してくれる企業を求めたし、義母は専業主婦で培ったネットワークをフル活用して老後資金を稼いだし、義祖母は女手1つで育児をし、1人暮らしを死ぬまで貫き通すつもりだ。
できないことをできるようになるために最も必要なのは、負けん気じゃないだろうか。「私ならできる」という圧倒的な自己効力感なんじゃないだろうか。
彼女たち3人の生き様を見て、私はそう思うに至った。
毎日、求められるスキルやアウトプットの質は上がっていく。期待を寄せてもらっていることは心からありがたいと思う。
でも時々、しんどくなる気持ちも事実だ。「これ、いつまで続くんだろう」と思ってしまう自分もいるのだ。
そんな時、私は楽しく生きる3人の母たちを思い出す。
「あんな風に笑っていられるように、今の自分と少し先の自分を信じて、とりあえずやってみようか」と、変に力んだ肩の力が抜ける。
リスキリングなんて言葉がない時代から、試行錯誤した彼女たちに敬意を表しつつ、私の子どもにもそんな背中が伝わるように。
今日もダメ出しを糧に、「私にはまだまだ、成長の余地があるはず」と信じながら仕事をするのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?