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たかが服、されど服 by👨🏽

こんにちは、こんばんは。
👨🏽みみです。

個人としては初の投稿となります✍️

何を書こうかなぁ〜と考えたのですが、
ぱっと頭に浮かんだのがやはり"洋服"についてでした。

僕にとって、生活の中心にある無くてはならないものです。

"日記スタート"にも書きましたが、僕はアメリカの老舗アパレルブランドの販売員として働いていて、今年で9年目に差し掛かったところです。

アラサーということもあり最近は落ち着きましたが、給料のほとんどを注ぎ込むほど洋服が好きで、食べるより服!の生活で、20歳からこれまで500万円以上は洋服にお金を費やしてきました。

販売員として働いている僕にとって、
洋服は単に"好きなもの"というだけではなく、
"商品"という二面性を持っています。

なのでこれまで、主観と客観の両方から洋服について長く向き合ってきました。

初めの投稿ということもあり、
今日は僕の根幹である"洋服観"についてお話ししていきたいと思います。

その為には、僕と洋服との出会いをまずお伝えしなければなりません。
当時を振り返りながら書いていきます。

【洋服と出会う前】


大量のお金と時間を洋服に注ぎ込んできた僕ですが、子供の頃から根っからの洋服好きというわけではなく、高校生のある時までは全く洋服やファッションに興味がありませんでした。

小学生の頃は、昼休みのサッカーのときに動きやすいことが最重要でしたし、中学は制服だった事とお金も持っていなかったので、遠出することもなく、洋服に気を遣う必要もなかったのです。

極論、
みすぼらしくなく、暖かければなんでもよかった。母から与えられたものを着る少年でした。


ですが、ある出会いが分岐点になって
洋服の世界にドップリとのめり込む込んでいきます。


【田舎のセレクトショップとその社長】


ある日いつものように母が僕を買い物に誘います。うる覚えですが、確か高校1年生の年末のことだったように思います。

今日も近所にある地元のRight-onにいくのだろうと高を括っていました。

まっすぐ走る車の中で、地元の見慣れた景色をボーッと眺めながら到着するのを待っていました。いつもの道を左折する交差点が見えてきたので身支度を整えていたら、その交差点をまさかの右折…



いつもと違う道。
たどり着いた先は1軒の小さなセレクトショップでした。母のサプサイズで、僕が高校生になったらここに一度連れてこようとずっと前から決めていたそうです。


そのセレクトショップはこだわり抜かれた国産のジーンズを中心に取り扱うアメカジショップで、僕が生まれる前からあるお店でした。

お店を入るとふわっと香る甘い良い匂い。
のちに知ったのですがGONESHというお香のNo.8という種類でした。
今でも嗅ぐと、とても懐かしい気持ちになる思い出の香りです。

普段よく行っていたショッピングモールに入っているような大型店舗にはない独特の緊張感がお店には漂っていました。

入店してしばらくどう服を触って良いかわからず、ソワソワしていたところに奥から父と同い歳くらいの白髪まじりのおじさんがやってきて、

「いらっしゃいませ。こんにちは。」
と穏やかな笑顔で出迎えてくれました。

それが社長との初めての出会いです。

何がおしゃれなのかまったく分からないファッション偏差値0の僕にとって直感だけが頼りでした。

そんな僕が手に取る洋服1点1点、社長は丁寧に教えてくれます。

どういうデザインに惹かれて買い付けたのか?
今はどういう洋服が旬なのか?
どう組み合わせればオシャレなのか?

言われた事はあまり理解できませんでしたが、
社長の洋服に対する愛やこだわりはひしひしと感じましたし、初心者の僕に一生懸命わかるように噛み砕いて説明してくれる姿が印象に強く残りました。

それから洋服を買うとなるとこのお店を訪れるようになりました。

今こうして当時を振り返りながら書き進めていくと、まだ通い始めた当初は洋服って面白い!というより、あのおじさんに会いに行こう!というのが正しい感覚だったかもしれません。

【変化する洋服への考え】

そのお店に通うにつれ社長のおかげで、自分の好みやどう洋服を着ればよいかが徐々にわかってくるようになりました。


そんなオシャレ偏差値がちょっと上がった僕に、
社長は洋服に詰まったストーリーを教えてくれるようになりました。

例えばジーンズ。
元々作業着だったという話はよく知られた話ですが、より歴史を紐解いていくと、1848年カリフォルニアで金が発見されたことが全ての始まりでした。
一攫千金の夢を求めて西部のカリフォルニアへどっと人が押し寄せる"ゴールドラッシュ"という社会現象が起ります。金を掘るワーカーに向けて破れにくい丈夫な作業着・ジーンズを生み出し販売したのが、あのLevi'sの創業者リーバイ・ストラウスなのです。

ちょっと前まではただ身体を覆うもの、寒さを凌ぐ道具として見ていた洋服たちには歴史と文化が詰まっていることを知りました。ジーンズに限らずこういったストーリーをたくさん社長から教えてもらいました。

洋服を着るということはそれが生まれた時代の歴史や文化も一緒に身に纏うことなんだ!という新しい価値観が僕の中に芽生えました。


それから僕の洋服への好奇心はどんどん加速し、
大学受験する人がほとんどの進学校のなかで、服飾の専門学校へ進学することを決め、ついには社長に何度も頼み込み、学校に内緒でその洋服屋で在学中から働かせてもらえることになりました。

その道が今現在に繋がっています。

あの日、あのお店に、社長に出会ってなければ全く違う道を歩んでいたと思います。

【たかが服、されど服】

たかが服、されど服
ヨウジヤマモト


日本を代表するデザイナー・ヨウジヤマモトの言葉で、これが僕の洋服観を表す言葉です。

たかが
道具としての洋服
されど
その洋服で生き方をも変えることできる。

そう僕は捉えてます。

世の中をどう見るか?
どんな人でありたいのか?
どう生きるか?


それは結局自分次第で、
物事の捉え方やそれに向けた姿勢で
自分自身の世界観は変えられると僕は信じています。

でもその考えだけでは挫けそうになります。
僕にとってその時支えになってくれてるのが洋服です。


道具として発明された洋服は、人間の営みや文化と共にその時代時代のストーリーを吸収しながら成熟していきました。

僕の大好きなライダースジャケットは
大戦後の1950年代から
バイカー、パンクスに愛され、
”大きなものに媚びず自分らしく芯を持って生きる”という時代の風潮を反映した
”反骨精神”のアイコンとなりました。


当時の時代背景とそのストーリーと共に袖を通すことで、洋服はただ身を飾るものでだけではなく、自分がこうありたいという姿勢を後押しし、支えてくれる物になりえます。

外側だけでなく内面も変えてくれるものです。
そして、内面が変わっていけば生き方も徐々に変えていくことができます。

そんな洋服の持つ魅力をその歴史と共に
これからも僕は販売員としてより多くのお客様に伝えていきたいと思います。

あの社長のように。

【終わり】

久しぶりにこんなに長い文章を書きました。笑
拙い文章ですが、ここまでご覧いただきありがとうございました。

これからnote通じて興味あること・学んだことをマイペースに発信していこうと思いますので、また良かったらのぞいて見てください。


みみ

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