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上京ノスタルジー

このところ少しずつ以前の“日常“を取り戻しつつある、街の景色。

5月も半ばを過ぎた頃、夫の住む街に用ができて、家族揃ってひっそりと移動してきた。

5年前までみんなで住んでいた、トウキョウに近いこの街に。

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わたしがはじめてこの街に来て、ビックリしたこと。

水道水の塩素、すごい。

食器を洗って伏せておくためのカゴにびっしりと白い跡がつくのを見て、トウキョウってコワイ、と思った。

そんなわたしが上京してはじめて見つけた仕事は、家庭用ウォーターサーバーの営業アシスタント。

地図を塗りつぶしながら足で稼ぐ、文字通りの飛び込み営業だった。成績はまあまあ。お給料は悪くなかったけれど、上司が融通が利かなくて理不尽すぎて、キレて半年も経たずに辞めた。

そうしてうちのリビングに、そのウォーターサーバーだけが残った。

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それから数年して、こどもが産まれるのを機に、ボトルの交換をしなくてもいい、水道直結型の浄水サーバーに切り替えた。

95℃の熱湯と、冷水と。レバーを押せばいくらでも望んだ状態の水が出てくるその機械にずいぶん助けられた。

ミルクを作ったり、冷凍した離乳食を戻したり。保育園に持って行く水筒にも。前日の夜お茶を作り忘れて寝落ちしちゃっても、最悪朝急いで冷水を入れればいい。

そんな風にわたしたちの暮らしにずっと寄り添ってくれたサーバーが、たまたまこの街を訪れたタイミングでついに壊れてしまった。数日前から、お湯がポタポタ勝手に垂れてきて止まらない。

メンテナンスしてもらっている事業所へ電話して、事情を説明すると新しい機械と交換してくれる、というので喜んで取り換えてもらうことにした。

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明日設置に行きます、という電話を切って、キッチンの片隅に置かれたそれを改めて眺めた。

脇に所狭しと貼られたホワイトボードやマグネット、娘のお気に入りだったキャラクターのシール。

そうだ、あの頃朝の支度が苦手すぎて、いつも修羅場になりがちな娘の登園ルーティンをなんとか助けたい!とホワイトボードにスケジュールを書いて、終わったらひとつひとつマグネットを貼って貯める、ポイント制を導入したんだっけ。

ポイントが貯まると、めったに買ってもらえない甘いお菓子やキャラクターのグッズが手に入ることを学習した娘は、少しずつ要領よく朝の支度をこなせるようになっていった。

そういうやり方には賛否あるだろうけれど、あの頃のわたしにはそれしか良いと思える方法がなかったんだ。

ひとりで試行錯誤しながら、嵐のような時間をただこなしていた日々。

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娘はある年、保育園に通う女児なら例外なくハマるであろう、毎年シリーズが更新されていくとあるアニメのキャラクターに熱烈に恋していた。今でいう、推しである。

保育園というところは、毎日長時間同じメンバーで過ごすので、良くも悪くもクラスの友達から絶大なる影響を受ける。キャラクター商品なんて絶対に買わなさそうなナチュラル系のお母さんも、いつも完璧なメイクとヘアスタイルでお迎えに来る、美容雑誌の読者モデルですか!?みたいなママさんも、数ヶ月にも及ぶ「○○ちゃんが持ってたアレ、欲しい!」の波状攻撃にはかなわない。

ハンカチ、水筒、お弁当箱、Tシャツ、靴下、おまけに運動靴まで!とにかく身につけるものなんでも、すべてにそのキャラクターがついてさえいれば、ご機嫌なのだ。

普段から保育園の方向には足を向けて寝られないほどお世話になっていて、こどもにもいつも待たせてばかりで悪いな…という後ろめたさから逃れられない母たちは、つい何かのイベント時に、または○○を頑張ったご褒美に、とそれを買ってしまう。

そうしてせっかく揃えたインテリアにまったくそぐわない、ゴテゴテした色彩のシールやマグネットが家中にどんどん増える。

あの頃は、こんなとこにこんなシール貼らないでよ!ってイライラしたことも、あったなぁ。

キッチンに置かれたサーバーを、撤収準備のために掃除していたら、そんな日々を唐突に思い出した。

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わたしにはちっとも良さがわからなかったあのアニメだけれど、娘にとっては推しのキャラクターがずいぶんと心の支えになってくれていたのだろう。

生まれてたった数年で、朝から晩までスケジュールに追われる日々。

起きて、食べて、移動して、幼いなりに人間関係にも気を遣って。給食の嫌いな献立も我慢して食べ、終わったと思ったらやれ昼寝しろ、だの外遊びに行け、だの指示されて。

待ちくたびれた頃、やっと親の顔が見れてホッとしたと思ったら、まだ帰れずスーパーで買い物。ちょっと気まぐれにお菓子をねだったら、叱られて。それから急いで帰宅して、さあ夕食、風呂入れ、早く寝ろ、だもんな。

しんどかったよね。

親もそれなりに大変ではあったけれど、なによりこどもたちの毎日は戦場みたいだったんだろうなぁと、今になってそんな風に申し訳なく思うこともある。

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あの頃、推しのキャラクターになりきってごっこ遊びをしたり、お菓子や食品についてるおまけのシールを集めたり、お誕生日プレゼントに特別な光るパジャマを買ってもらったり。

そう、保育園のお昼寝タイム、真っ暗にされた部屋の布団の中でぼうっと光るそのパジャマは、園児たちの憧れの的だった。それを持っている、というだけでどれだけ鼻の高かったことか!

お迎えに行くと、毎日毎日飽きもせず、砂場でごっこ遊びに興じていたね。推しがカブった友達がいる時は、その役を取り合ってガチのケンカになるんだよね。担任の先生に毎日それを連絡帳に書かれても一向に解決策が見当たらず、相手のお母さんと顔を見合わせて、困り果てたっけ…。

仲の良い友達とはそれぞれ手持ちのグッズの自慢をしたり、推しの好きなところをこれでもか!とお互いに語り合ったり。

彼女たちは本当に誰ひとり飽きることなく、一年間ずっと、生活のど真ん中に推しを置いていた。

みんな、そういうささいな喜びを集めて、毎日を乗り切っていたんだよね、きっと。

べったりと貼られたシールをはがして、丁寧に拭き上げて。ピカピカになったサーバーを見て思った。

ありがとう、大切な娘の、あの頃を支えてくれて。

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翌日、前のものより一回り小さく、スタイリッシュになった新しいサーバーが我が家に届いた。

すごい、今度のはいつでもLEDに照らされて、なんだか近未来的。

ふと隣の冷蔵庫を見ると、赤や黄色にキラキラ光る、可愛い女の子たちがそれぞれポーズをキメたマグネットたちだけが、ぽつんと貼られていた。他にはなんにも。プリントやマグネットの見当たらない、すっきりした冷蔵庫。

ここがわたしたちの生活空間ではないしるし。

手にとって少しだけそれを眺めて、なんとなくそうしたい衝動に駆られて、新しいサーバーの脇の同じ場所に貼ってみた。

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うん、やっぱりそぐわないや。


わたしは黙ってそのキラキラした欠片たちを握りしめ、かたわらのゴミ箱にまとめてそっと、捨てた。



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