見出し画像

村上春樹、柴田元幸『翻訳夜話』文春文庫

この本は2000年という早い時期に出ていて、柴田さんはまだ東大助教授(准教授より前!)だし、村上さんはフィッジェラルドを訳したいけど好きすぎてまだ訳せない、みたいなことを言っている。二人ともまだ若かったのだ。特に村上春樹の方は老成ぎみの(?)今よりもエネルギーを感じる。柴田元幸さんの方はあまり変わらない印象。

いつものように面白かったところを抜き書き(OR意訳)。

・村上 僕以外にカーヴァ―を訳せる人がいっぱいいるし、あるいは僕以外にフィッツジェラルドを訳せる人もいる。しかし僕が訳すようには訳せないはずだと、そう確信する瞬間があるんです。かけがえがないという風に、自分では感じちゃうんですよね。一種の幻想だけど。

・村上 (翻訳に向く人について)じっと人のヴォイスに耳を澄ませて、それは静かな声なんだけど聴きとれるというか、聴き取ろうという気持ちのある人、聴き取る忍耐力のある人が、翻訳という作業に向いているんだと思います。

・村上 (翻訳に必要なビートとうねりについて)良い文章に同時に必要なのは深いうねりです。良い文章というのは、人を感心させる文章ではなくて、人の襟首をつかんで物理的に中に引きずり込めるような文章。

・村上 でもなおかつ一番大事なのは、この文章の骨の髄みたいなのを自分が掴んでいるという確信。

・村上 それを日本語に移し換えることによって自分もその素晴らしさに主体的に参加しているというたしかな手ごたえがあった。

・村上 (英語にはひとつの発言の途中で he said, she said という語が入ることがよくあるがそのときどうするか)カーヴァ―はひとつの文に3回も入ることがあったが自分はそれを1回にしたこともある。(英語は日本語のような役割言葉がないので誰の発言かがわかりにくいため挿入されるらしい。)

・全部過去形の文は日本語にすると「~た」が続くが、村上はときどき現在形をまぜ、柴田は現在形がつづくのもいいと思い、そのままにする。

・村上 翻訳中じーっとひとつのことを考えていると他の場面で偶然それが出てきて解決することがある。シンクロニシティがある。(←翻訳あるある)

・柴田 研究社『しぐさの英語表現辞典』がいい。

・村上 翻訳はもっとも効率の悪い読書

・柴田  (翻訳は読者があってのもの)とにかく自分は世の中に、とまでは言わなくとも少なくともこの人たちに対しては、害悪や不快ではなく快をばらまいたんだなと思えるのは僕にとってはすごく意味があります。

・村上 (翻訳するときに声に出すか)僕は絶対に言葉に出さない。というのは、音声的なリアリティと文章的な、活字的なリアリティってまったく違うものだから、音はあまり意味ないんですね。(略)言葉でしゃべっているときのリズムとスピードは、目で見るときとは違う。

どうも柴田は翻訳するときにまったく疲れを感じないらしい。翻訳マシーンみたいだ。もうどんどん訳していただきたい。個人的には村上の発言に共感することが多かった。特に最後の音声と視覚のリズムの違いはそのとおりなんだろうと思う。

ただ、村上がいい翻訳者かどうかは疑問だろう。原作にのめり込む必要はあるだろうが、のめり込みすぎで私有化しているのではとも感じるし(特に『ギャツビー』)、文体がどうしても村上の文体だなぁと思うことも多い。まぁわたしは彼の文体は好きだから別に嫌ではないのだが。

あとの方で、村上が自分の文体を英語の小説(原作や翻訳)から作ったこと、それが英語に翻訳されるとややこしい文体問題が起きる話など、たいへん面白かった。




この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?