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感情がないものに感情を抱くことができるか? 〜コラショの話〜

答えはもちろん、YESだ。

ぱっと思いつく例としては"人形"が挙げられる。例えばキャラクターのぬいぐるみ。例えばリカちゃん人形。なんでも良いけれど、言葉を発しない、思考を持たない"モノ"に、小さい頃は感情を抱いたりしなかっただろうか?あるいは、人形の感情を想像したりしなかっただろうか。
例えば人形を抱きしめた時には、「このぬいぐるみは喜んでいるんじゃないか」、とかね。


感情がないものに感情を抱くことができるか?

もしこの"感情がないもの"が、あなたが今私のnoteを読むために使っているスマホやPCだったらどうだろう。それに対して感情を抱けるだろうか?


私の答えはYES。高価なものなので「大切にしたい」という感情を抱ける。PCに関して言えば、毎日使う絶対に必要な存在、相棒のようなものだ。あるいはスマホに対しては、「かわいい」と思える。それはスマホ本体というよりはケースのデザイン性のおかげなのだが。


こんなに簡単にYESと答えられる。感情のないものに対して感情を抱ける。感情を持たないものの感情を想像できる。

ではこれはどうか。

人は感情がないものに褒められて嬉しいか?

私ははっきりと、YESということができない。

これを考えたきっかけはICT教育だ。1人1台端末がある。問題を解いていくうちに人工知能がその生徒の得意や苦手を分析してくれる。正解したら褒めてくれる。全開できなかった問題が解けたときにはもっと褒めてくれる。

子供はその端末(学習に使う情報機器のようなもの)から"褒め言葉"をもらえると、嬉しいのだろうか??

褒める教育は大切、とか耳にタコができるほど聞いたような気もする。褒めることが全てではないと強く思うが、そうはいっても"褒める"ことはやはり大切だ。

でもやっぱり人間に褒められる方が機械に褒められるよりさすがに嬉しいのでは?と思う(と、思いたい)。

勉強のためのアプリのようなものは結構褒めてくれると感じる。正解!というだけでは褒め言葉ではないが、例えば「10問連続正解!」と言われれば(画面に表示されれば)褒められているような気もしてくる。
さらに「今日で毎日問題を解き続けて100日目!すごい!」と言われれば(画面に表示されれば)嬉しいような気がする。


より人間に近いものから褒め言葉をもらえる方が嬉しい、と人間は感じるからこそ、そういう勉強ツールやアプリには"キャラクター"が登場しているのかもしれないなぁと何度か考えたことがある。
ただロボットが機械的に褒めてくれる(画面にコメントが表示される)よりも、キャラクターが褒め言葉をセリフとして言ってくれる方が(画面にキャラクターと一緒に言葉が表示される)やはり人は嬉しいと感じるのだろうか。

私は長年進研ゼミユーザーだったが、なかでも"コラショ"というキャラクターの印象は強い。進研ゼミをやったことがある方ならご存知だと思うが、コラショの正体はランドセルだ。小学生に寄り添う、がコンセプトだ。
キャラクターであり、(3次元のぬいぐるみや人形に近い形であり)かつ ランドセルという身近にある"モノ"であるコラショ。
ただのAIによって褒められる(褒め言葉が画面上に表示される)よりかは、コラショに褒められた方が断然やる気が出ていたんじゃないか?というような気もしている。



人間は感情がないものに褒められて嬉しいか?

もしこの答えがはっきりNOになってしまったら、ICT教育(タブレット端末等に頼りすぎる教育)もいかがなものだろう、と思うかもしれない。やっぱり教師や保護者という大人に褒められてこそ、実際に自分を見守ってくれている人に褒められてこそ、さらにやる気が出るのではないか。次も頑張ろうと思えるのではないか。「褒めてもらえる」ということに、ある種の愛を感じるのではないか。

学校という場所から教師という人間が消えてしまわないでほしい。なんでも教育を機械やAIに任せるなんて言ってほしくない。その方が成績は伸びるのかもしれないけれど、じゃあ人間性は?自己肯定感は?自身の価値の感じ方は?勉強というものに対する考え方や価値観は?

学校が「勉強」だけを学ぶ場所になってしまったら、それは塾と同じもののような気がしている。



だいぶ話が逸れてしまったけれど、例えばnoteだってバッジをもらったり毎日投稿を何日も続けたりすれば結構褒めてくれる。感情のない機械が。
それに対してはっきりと嬉しいと感じているのだろうか、私は。
その何の感情も持たない文面によって、感情がプラスになることはあったのだろうか。かつての私。




そんなことを考えながら、そろそろnoteを終えようとしている。

次は「人間は感情を持たないものに怒られたら、悲しいのだろうか?」についてでも考えようかな。

あと5分考えたら、課題に戻ろう。

ではまた。