見出し画像

あったかくして寝よう

こんばんは。

PMS/PMDDから解放されたみん。です。
ここ1週間くらい沈んで泣いていたのがウソのように、元気を取り戻しています。今のところ。
「今のところ」という言葉をよく使う、いや、使わなければならないのは、まあ精神疾患者だけではありませんが、少なくとも精神疾患のある皆様はそうなんじゃないでしょうか。

すくなくとも私は、「今のところ元気」「今のところまだ大丈夫」とよく言います。だってどうせ、また落ちるから。

さて、今日は最近考えたことを書いてみます。

目の前で、「つらいんだ、苦しいんだ、もう死にたい、楽になりたい」という人がいたときに私はどうするか、最近考えていました。

なぜなら、私自身が「死にたい」と周りの人に言ったことがあるからです。

私は、中高時代、大人に「もう死にたい」と漏らしていました。その時、多くの人はこう言いました。

「死にたいほどつらいんだね」

当時の私はそれを聞いて、うーん、そうじゃないんだよなあ
と思っていました。

そうなんだけど、そうじゃない。

どちらかというと、死にたいほどつらい、のではなく、
つらいから死にたい、なのです。

今思えば、その大人たちは、私が死にたいんだという事実に目を向けないようにして、そして私に死にたいということを意識させないようにあえてその言葉を使ったのだと思います。

多くの人は、自殺について話すことはタブーだと思っているのでしょう。

でも、当時の死にたかった私は、また、たまに自殺への衝動に駆られる現在私は、自殺について話すことは怖くないです。

なんていうのかな、少なくとも私は、
死についてたくさんたくさん考えて、
生きることに対してたくさんたくさん考えて、それでも生きているということは、
生きるという選択をしているということなのだと思います。

今の私が、中高時代の死にたいといっていた私に対して声をかけるなら、きっとこう言います。

「そっか、死にたいか。つらかったね、くるしかったね。」

昔の痛々しい自分自身を見たら、今の私はきっと泣いてしまいます。
死なないで、と叫ぶと思います。傷ついている自分自身を、抱きしめずにはいられないと思います。

なんか、うまく言えないけど、それが、私が生きてきた証なのです。いろんな人に支えてもらって、愛情をもらって、「私は生きているんだ」、という事実を大切にできるようになったということなのでしょう。

そんなことを考えたよ、っていうただの報告に過ぎないのですが、一つだけあなたに伝えたいことは、

まあ全員に当てはまるわけではないですが、
死にたい人と自殺について話すことで自殺を助長することは少ないし、むしろちゃんと話して聞いてあげたほうがいいんじゃないかな、って、私は思います。

そして、死にたい人は、無理に死にたい気持ちを抑えなくていいと思います。
とりあえず、あったかくして寝る。
対処行動しか方法はないです。死にたい気持ちをすぐに消すことは無理です。じっと嵐が過ぎ去るのを待つのみ。

つらいよね。苦しいよね。
生きてるだけでえらいんよ。

死にたい君もそう。
悩んでる君もそう。
私もそう。

そういうもんだよ。たぶんね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?