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宮沢賢治記念館 文学さんぽ2023⑨

 この記事は2023年10月14日から22日まで、東日本(関東→東北)を旅した記録の9日目の前編、旅の10本目の記事です。(全て書き終えたら繋げます)

 今回の旅の一番の目的と言っても過言ではない、「宮沢賢治記念館特別展『銀河鉄道の夜』展」にやってきました!

もう4度目になると、雨は降りませんでしたw

 いやぁ、ここに2年連続来ることになるとは……。そして、もう4回目です。『考察教室』書き始めてからの数年で、自宅から1000km近く離れた土地に、軽自動車で4回は流石に笑う。
 最初に来たときは『やまなし』の展示でした。まさかその時は『やまなし』を『考察教室』で扱う(しかもあの厚みになる)とは思いもしなかったですよ……。

 で、その5月に出した『考察教室 特講②』(『やまなし』編)の中で、某登場人物が「『銀河鉄道の夜』を卒論の課題作にするから岩手に行きたい」(意訳)みたいなこと言ってるものだから、読んでくださった方から「銀鉄編、楽しみにしてます!」と言っていただき、「ア、ハイ、ゼンショシマス」と全然やるつもりもなかった『銀鉄』を調べに来ることにしました。(ついでに『やまなし』で確認したかったこともあったので)
 そしたらまあ、タイムリーなことに今年の展示が『銀河鉄道の夜』だったと。

入口、かわいいねぇ。去年はやまなしが沢山置いてありました。

 扱う予定が無かったのは、『銀河鉄道の夜』に興味ないとかじゃなく、単純に調べ始めたら「えげつないことになる……」ということが解りきっているからです。いや、賢治作品だいたいそうなると思うけど、これは特にそうなんですよね。この作品を掘るとなると、気持ち的には「おい、地獄さ行ぐんだで!」です……。
 その理由は、記事本編を読めば追々ご理解いただけるかと思います。

深淵への入り口。(もちろん普通に見るだけなら楽しいです)

未完の作としての『銀河鉄道の夜』

 突然ですが、あなたは、いつ頃、どこで、『銀河鉄道の夜』という作品に触れましたか?
 少し詳しい方ならこの質問の意図が解るかと思いますが、『銀河鉄道の夜』は、現在文庫版などで気軽に読める形以外の<別バージョン>が存在します。<初期形><後期形>と呼ばれたり、漫画版では<ブルカニロ博士編><四次稿編>などと呼ばれるものがあり、内容もあらすじとしての大枠(ジョバンニとカムパネルラが銀河鉄道に乗り、不思議な体験をするというような部分)は変わりませんが、細部はそれぞれ異なります。

 どうして、このような呼ばれ方をしているのかというと、『銀河鉄道の夜』は、新聞・雑誌・本などに掲載された<発表形>というものが存在せず、また、度重なる書き直しや推敲の途中で賢治が亡くなってしまっている為、<完成稿>と呼べるものも存在しません。
 ですので、正確には今私たちが読んでいる<後期形>が<最終形>と呼ばれてはいますが、果たしてそれが<完成稿>であるかどうかは定かではありません。研究者や関係者の血のにじむような努力の上で<最終形>が作られたことは後で書きますが、賢治が生きていたら「続きを書いたかもしれない」「まだ直したい部分があったかもしれない」という可能性を消すことが出来ないのです。現在読まれているもののラストシーンは、カムパネルラのお父さんに対してジョバンニは言葉をかけられないまま、牛乳を抱えて街へ駆け出す場面が最期となってはいますが、それ以降の続き(次の日のことなど)もありえそうです。(お父さんがもうすぐ帰ってくるみたいな話もそのままになって終わっていますし)

 だからこそ、良いんじゃないか……!
 賢治自身の<完成形>が見られないのは、読者としては残念ですが、だからこそ、ああじゃないか、こうじゃないかと、研究されたり、今でも幅広い年齢層から支持され、読み継がれているのだと思います。
 芥川龍之介の『羅生門』も、三度の改稿を経て、最終的に下人の行方が解らないままのラストになったからこそ、定番教材不動の一位として揺らがぬ作品になっているのだと思うのです。
 『銀鉄』も、あの体験は何だったのかとか、カムパネルラがどうなったのかとか、その後のことが書かれていないからこそ、良いのではないかと。そして、それが、わざとそうしてあるのか、それともまだ手が加えられていたかもしれないのか、という永遠に解けない謎が残されていることも含めて、この作品の良さ、味わい深さだと思います。

 話は少し逸れますが、そもそも本は全て読み切らなくてもいいものだと個人的には思います。
 私は作品の考察をしているので扱う作品は全部読みますし、全集や別の版、草稿、発表媒体、初版本など、(私の行動力と財力の範囲内で)閲覧可能なものは全て目を通すようにしていますが、普通に作品を楽しむだけであれば、その人が一番読みやすいスタイルで読めばいいと思っています。
 なので、完成作品であれ、未完であれ、全て読むことがいいとも思いませんし、作品の中のたった一行のセリフに心を揺さぶられたという経験だけでもいいと思います。
 青空文庫で読んでもいいし、漫画で読んでもいいし、朗読で聞いてもいい。
 全集で読まなければとか、初版でないと、とか言い出したら、生原稿が一番作家の意図したモノが見える訳で……いや、そんなこと絶てぇ言えんわ。
 なので、研究者でもないのに「直筆原稿で読みたい!!」って、1000km軽自動車でぶっ飛ばして見に行くのは、私を含めた一部の文学沼の民の狂気なので気にせず楽しんでくださいって思います。
 まあ、プレゼン側としてオススメはするんですけど!!

推定される『銀河鉄道の夜』成立順序

 さて、本題です。(前置き長ぇ)
 『銀河鉄道の夜』は、いつ頃書かれた作品なのか、賢治の作品の多くがそうであるように、正確には分かりません。
 『銀河鉄道の夜』の原稿は、鉛筆書きの上からペンで書き直したりと何度も手直しがされているため、文字の解読だけでも難しく、解読不可能のままになっている箇所も残されているくらいです。
 さらに、死の直前の時期まで書き直し続け、部分的に直して反故にしたりもしているのです。
 清書した原稿用紙にナンバーが振られているものもありますが、番号が抜けている箇所があったりして、どれが書き直した方で、どの部分を削りたかったのか、など成立順序を残された原稿から整理する必要がありました。
 なので、書き始めた時期について断定は出来ませんが、作品を書くのに使用されていた紙(手紙の反故紙)に、関東大震災に対するお見舞いの記述があることや、友人の菊池武雄氏の証言から、大正13年の秋~冬であることが推測でき、その数か月前に書かれた詩に似たモチーフが多くみられることからも、この説が有力であると言われています。
 反故を再利用した紙は、関東大震災見舞いの手紙のほかに、「オホーツク挽歌」「小岩井農場」などの有名な詩の草稿断片が使用されていることから、それらはその近い時期であることも推測できます。

 菊池氏の証言というのは、同じく友人である藤原嘉藤治氏を交えた呑みの席(『注文の多い料理店』出版のお祝いと思われる)で、賢治が上着のポケットから取り出した原稿を読み聞かせてくれたというもの。
 現在、確認できる『銀河鉄道の夜』の原稿は、全部で83枚あり、その全てに二つ折りの跡がついています。
 このことから、賢治がいつでも推敲が出来るように持ち歩いていたことが伺えるのですが、そのうち15枚にはさらに封筒などに入れる時のような四つ折りの跡がついていました。
 この15枚の原稿こそ、菊池氏の証言の中にある、上着のポケットから出した原稿なのではないかと推測でき、この部分は現在<初期形>〔1〕と呼ばれています。
 このように、証言や他の作品との比較を基に執筆時期を特定する方法のほか、先述したように、反故にされた紙の裏面を使用している場合はその反故部分の内容との比較、また手帳など日付が解るものに使用していた筆記具と同じものが使われていることから時期を推測する方法など、血の滲むような関係者・研究者の方々の努力の末、執筆順序が特定(推定)され、そこから大きくバージョン分けされたのが、〔第一次稿〕~〔第四次稿〕となっています。

今回の展示は、記念館で販売されている『宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の原稿のすべて』を基に作られており、そちらでは直筆の原稿写真がすべて見られるのでぜひ!

<初期形>と<後期形>の特色と違い

 先述のようにして、『銀河鉄道の夜』という作品の執筆順序の整理には、膨大な労力がかけられています。
 <初期形>は〔1〕~〔3〕が存在しますが、現在読んでいるものと大きく違うのは、〔3〕まで登場していた<ブルカニロ博士>が<後期形>には全く出てこないということです。
 昭和9年10月に刊行された文圃堂版『宮沢賢治全集 第三巻』で『銀河鉄道の夜』は初めて活字化され、私たち読者の読める形になりました。
 それから昭和49年3月に刊行された筑摩書房版『校本 宮沢賢治全集 第十巻』で改訂されるまでの約40年もの間、<ブルカニロ博士>は『銀河鉄道の夜』に登場していました。
 なので、祖父母の蔵書で『銀河鉄道の夜』を読んだのが最初だった……みたいな方と感想を言い合うと「え、誰その博士?」みたいな現象が起こっていたわけです。
 1974年以降は、博士の登場しないバージョンで普及しているので、私が生まれた時には既に「博士、とは?」が普通になっていましたが、この博士が登場するバージョンも人気が高く、ますむらひろし先生が「ブルカニロ博士編」として漫画化していたりもするので、そちらで知っているという方も多いかと思います。
 ちなみに岩波文庫では、現在も旧バージョンのままで収録されているので、是非気になる方は読み比べてみてください。(もちろん全集でも読み比べは出来るけどお手軽さに欠けるので研究したい方以外はオススメはしません)
 この、博士の登場の有無に関しての差分は結構有名な話なので、成立過程を調べたりしたことのない賢治好きの方もご存じかと思います。
 他にも、難破船から乗車して来た兄弟の人数が違っていたり、鳥捕りの登場と兄弟の登場が前後していたり、リンゴの描写が違っていたりなど、細かい部分の変更は多々あります。
 が、私が一番面白いなぁと思った改訂部分は、博士の削除ではないんですよ。
 今普及している『銀河鉄道の夜』のラストでは、銀河鉄道の不思議な体験から目を覚ましたジョバンニは、ザネリを助けようとしたカムパネルラが溺れたことを知ります。
 この場面、1967年に改訂されるまで、結構序盤のシーンとして読まれていたらしい……マジか。 
 <初期形>で読んでいた人は、カムパネルラの死を知った上で、銀河鉄道で起こる不思議な体験を読んでいたわけです。となると、読み方大分変ってきますよね。そして<初期形>のラストはというと、<ブルカニロ博士>の実験だった、というオチ。作品の余韻も大分違いますよね。
 今のラストで個人的にはよかったと思いますが、削除された部分にも印象深い言葉が多いので、<初期形>の人気にも納得です。

読み継がれる『銀河鉄道の夜』

 賢治の人生については、役所広司さん・菅田将暉さんが出演した映画『銀河鉄道の父』でご存じの方も多いかと思います。(臨終の際の演出など史実と異なるシーンもありますがそれはそれとして、ざっくり理解にはとても良い映画ですね)
 『銀河鉄道の夜』は、賢治自身の人生と照らし合わせて様々な考察が現在でも盛んにおこなわれています。
 代表的なのは、カムパネルラのモデル説。先に逝ってしまった最大の理解者である妹のトシ、法華経勧誘でぎこちなくなり道を別った親友の保坂嘉内など、モデルとされる人物について語られてきました。
 賢治の大好きだった鉄道や星座・宇宙などの方面からの読み解きや、死んだ者の魂の行方としてキリスト教や仏教などの方面からの読み解きも沢山あります。
 作品研究としてだけでなく、児童書やアニメ映画などで気軽に触れられ、多くの子どもの読書の原体験にもなっています。
 そうして『銀河鉄道の夜』に触れて育った子どもたちが創り手となって、漫画や音楽といった他のメディア作品や、アクセサリーや雑貨などのデザインにも影響を与え続けています。
 今でも賢治の代表作として『銀河鉄道の夜』は広く愛され続けています。

 他にも有名な『風の又三郎』『セロ弾きのゴーシュ』も長く愛されている、賢治の代表作です。
 この3つの代表作を、晩年の同時期に手直しをしていたことが、使用していた筆記具から解っています。
 賢治は自分の体が丈夫でないことを幼いころから知っていましたし、大人になってからも徐々に蝕まれていく体に自覚的でした。
 ですから、晩年に手直しされたこの3作は、死期が迫る中で賢治が選び抜いた3作だと推測できます。
 書き始めたとされる1924年から亡くなる1933年までの、約10年もの間、何度も何度も繰り返し書きなおし、死の直前まで推敲を重ねていることを思うと、『銀河鉄道の夜』を長く読み継がれる代表作にしたのは、賢治の執念とも言えるのではないでしょうか。

友人を出口で待つ間に見つけた子たち🥰
退館時にほっこり。これはニコニコしちゃうやつだ😊💕

おまけ:恒例!文学さんぽ飯のコーナー

 と、一旦ここでお昼休憩に、賢治記念館の横にある『山猫軒』さんへ向かいました!

テンション上がるね! この外観!

 お土産を買ったり、アイス買って食べたりはしたことあったのですが、レストランに入るのは初めてでワクワクドキドキです。

 若くはないので、私を食べても美味しくないハズ……という意味でもドキドキw
ここのねこさんは食べないでくれるらしい(危害を加えなければ……)
店内の雰囲気も素敵! あと意外なほど席数多い!
オーダー待ちの間「隠れねこさんを探せ!」ができます。

 今までに来館した際は、『なめとこ山庵』さんで、山菜の天ぷら&お蕎麦を頂いていたのですが、現在は天ぷらを揚げる人がいないとのこと(前回食べた時に聞いた)で、朝取り山菜天ぷらがメニューから消えてしまったんですよね……。めちゃくちゃおいしかったのに……。
 そんな理由もあって、今回は『山猫軒』さんでお昼!!

メニューもめっちゃかんわいい💕
あらかじめ想定されるであろう質問を網羅してあるの、観光地の飲食店の鑑だw
こういうの見て「行ってみよっかな!」ってできるのも嬉しい。

 と、こんな感じで、見るもの、読むもの、盛沢山なので、多少混んでいたとしても待ち時間は退屈知らずです。
 私が行ったのは平日かつお昼前(何度も見ている常設展をほぼ流したから)だったので上記の写真のように空席が目立ちますが、バスツアーで来られたっぽい団体の方々が記念館で展示見られていたのでたぶんこの後ババ混みが予想されます……。行かれる方はお昼のタイミングを計算に入れて、展示をご観覧くださいね。

メニュー豊富だなぁ……! 迷う!

 選択肢が多すぎてめっちゃ迷いましたが、岩手に来ると自動的に蕎麦の口になるので、私は「鹿踊りそば」(900円)を注文しました。

ナルトとチャーシューで鹿踊りの面を表現。

 器の半分以下しか蕎麦が入っていませんが、念のため断っておきますと、写真は箸をつける前に撮っています。まあ、観光地ですしねw
 あれ? メニュー写真で見るより、量少ないな……? とは思いましたが、意外とそんなに食べないのでこの後も色々見ることを思えばこの量は丁度よかったんですけど、同じ900円の冷麺を頼んだ友人のは写真どおりボリューム満点でした。なんでだwww
 味は普通に美味しかったです! クセの無い感じの食べやすいお蕎麦とお出汁でした。
 胃に余裕があったので、デザートもいきたい気持ちもありましたが、まだまだ見たいものが花巻には多すぎる……ということで、後ろ髪惹かれながら退店。
 今度おじゃまする時は「でくのぼう」(お餅)を試してみたいです!
 ごちそうさまでした!

 そのあと、イーハトーブ館で開催していた「『銀河鉄道の夜 四次稿編』-複製原画展- ~ますむらひろしの新たな挑戦~」展を観覧する予定だったのですが……(いや、観ましたけどね! 良すぎましたけどね!)
 何があったか興味のある方は、以下の記事をご参照ください。

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