インプットで学ぶ日本人、アウトプットで学ぶアメリカ人

こんにちは!私は現在カーネギーメロン大学の博士学生として、授業の履修と研究に取り組んでいます。そんな中で、日本人(私)とアメリカ人の勉強の方法が全然違うという気づきを得たので、今日はそのことについて書きたいと思います。

私たちはずっと受け身で勉強をしてきた

日本は義務教育が非常に整備されている国だと思います。日本国民に生まれたからには、ほぼ全員が義務教育に則り、同じように学びます。その義務教育の中で、私たちはどうやって学んできたのでしょうか。

多くの人が想像する姿は、教科書を広げて、先生の授業をひたすら聞き、テスト前になったら暗記をして、テストで良い点を取ることができるように頑張るというようなものではないでしょうか。もちろん、テストでは、自分が覚えている知識をしっかりと出す必要があるので、ある意味で全てにおいて受け身ではないのだと思います。

しかし、私たちが行ってきた勉強では、自分が学んで理解していることや、学んだ上で考えたことを人に話したりする機会はほとんどなかったのではないでしょうか。つまり、私たちの勉強は、私たちの頭の中、もう少し広くいうと、自分自身の中だけで閉じたものだったのではないかと思っています。

そして、これが私たち日本人の中で当たり前のように根付いている勉強の仕方であり、勉強とはこういうものだと無意識に私たちは考えているように思います。

受け身で学ぶことの弊害:実際に使うことができる知識を得ることができていないのかも

受け身で学ぶことが必ずしも悪いことだとは思いません。一方で、私が最近感じている弊害があります。それは、自分の中で閉じた形で勉強をしていると、本当は理解していないのに、理解をした気になってしまう傾向があるということです。これは、理解しているという状態の定義にもよるのですが、私の場合、先生が授業で説明したことについていくことができたら、よし理解ができていると考える傾向があります。しかし、私の場合、このような理解の深さでは、習ったことに対して少し違う角度から質問をされると全く知識が応用できないということに最近気づきました。自分の中では理解ができていたつもりなのに、実際には少しでも状況が違うとなかなかその知識を使うことができません。

また、それに少し関連して、自分の中で閉じた形で勉強をしていると、人にそれを説明することがなかなか簡単ではないという課題を感じています。自分の中では理解をしているつもりなのですが、それを誰かに説明をすることを考えると、より深いレベルでの理解が求められますし、習ったことを順序立てて説明をする力も求められます。私はこれが全くできないことに最近気づきました。

つまり、私は誰かが説明をしている内容に対して、何を言っているかを理解して、それが正しいか、正しくないかを自分の中で判断をするようなことはできるのですが、その説明を自分自身で行ったり、なぜそれが正しいと思うのか、正しくないと思うのかを説明をするようなことが非常に苦手なのです。

アメリカ人は自分の意見を考え、発信することで学ぶ

このような課題を感じるようになったのは、最近二人のアメリカ人の学生と頻繁に勉強会を開くなったことがきっかけでした。この勉強会では統計学の授業について学びを深め、一緒に宿題に取り組んでいるのですが、その中で彼らはとにかくとにかく喋るのです。彼らの勉強というのは、考えが合っていようと間違っていようと、とにかく喋ることから始まるように感じます。彼らはどんどん喋っていく中で自分自身の考えをまとめていきます。

一方で、私は自分の頭の中ではすごく考えていることがあるのですが、それをいざ喋ろうとすると全く言葉にならないのです。これは英語の問題のせいという訳ではなく、そもそも考えや理解がまとまらず、何も話すことができません。

彼らのように喋りながら学ぶと何が起きるかというと、複数の学生でより学びを深めていくことが可能になります。私のように、一人の頭の中で閉じて勉強をしていると私一人の能力に限られた勉強になるのですが、彼らのようにコミュニケーションを通じて学習をすると、その会話の中から学びがどんどん深まっていくのです。

また、彼らのように喋ることができると、同じように習ったことを他の人にも説明をすることにより、その知識を使っていくことができます。彼らのように学ぶことは、後に使える知識を得るための重要なステップなのではないかと最近感じています。

アメリカの授業と日本の授業の違い

そんなことを考えている中で、先生中心の授業と生徒中心の授業をまとめている以下のような表に出会いました。

画像1

私たちが日本で行っていきた学びは、まさに左側の列にある先生中心の授業で、上の表にあるように、先生は知識を提供し、生徒はその授業を聞き、ノートをとり、記憶することが仕事です。そして、試験を通じて学びが評価され、学んだことがしっかりと記憶されているという状態を最終的には目指します。

一方で、アメリカでは右側の列に記載されている生徒中心の授業が多く行われているように思います。生徒中心の授業では、先生は知識も提供するものの、それ以上に議論を推進していく役割が求められます。生徒は、授業を聞くだけでなく、自分の考えをまとめ、発信していくことが求められます。評価は、試験もありますが、プレゼンテーションや、クラスでの議論への参加、またグループプロジェクト等を通じて行われます。最終的には、習ったことを新しいシチュエーションで応用するためのスキルを生徒が得ることを目指します。

両者は全く違う授業スタイルなのですが、上で書いた二人のアメリカ人学生が話しながら学んでいくのは、アメリカで昔から生徒中心の授業をずっと受けてきて、学んだことを話しながら実際に応用していくということをずっとやってきたからだろうなと思います。一方で、先生中心の授業をずっと受けてきた私は、習ったことを自分の中でまとめることはできますし、テストでもそれなりに問題なく成果を出すことができます。しかし、それを誰かに説明をしたり、応用をしたりということが本当に苦手なのです。

最後に:アメリカ人流の勉強方法は受け身でずっと勉強してきた私たちにはすごく難しい

ということで、これまでの学習スタイルの違いによって、アメリカ人流の学習方法がすごく難しいなと感じているというお話でした。知識は、最終的には誰かに説明ができたり、何かに応用ができて初めて役に立つものだと思います。少しずつでも自分で発信しながら学ぶ方法に慣れ、使える知識を得ていきたいなと思うところです。

今日は以上です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?