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怒ってるんじゃなくて怒りたいんだ


爆発させるための火種をずっと探している。


まだ人間になりきれていない生き物を目の前に立ち尽くす。
嫌だと言ったらいけなくて、イライラしてもダメで、辛いと言ったら失格で、感情をグチャッと潰して「大丈夫だよ」「いい子、いい子」「ねんねだよ」と優しく声を出す。

何が嫌かって言うと、泣いてる赤ちゃんじゃなくて、ちゃんと出来ない自分で、支えてくれない夫で、無神経な周りの人たちの言葉。

私はずっと怒りたい。
嫌な言い方をして、怒らせて、それ以上に怒りたい。
そして謝ってほしい。
私の顔色を常に伺って、息苦しく過ごしてほしい。


過激な発言をしてしまった。
でも、本音はこうなのだ。


我が子の前では絶対服従。
逆らうことなんてありえない。
それが嫌とか嫌じゃないとかそういう次元ではなく、当たり前なのだ。
報酬がほしいとも思ったことがない。
ただ心の中に湧いてくるのは、夫にも何かしらの苦痛を味わってほしいという感情だった。

でも無理だ。
妊娠中の不調も出産の痛みも毎日家でひとり子と向き合う時間も、どうしたって私一人のものだった。


ああ怒りたいなぁ。
何か、私を怒らせることをしてくれないかな。
無神経なこと言ってみてよ。
ここぞとばかりに責め立てて、私ばっかり辛いんだって主張してやる。
何か失敗してみてよ。
ほらね、何も出来ないじゃんと呆れたように言ってやる。


そんな物騒な妄想が浮かんでは消して、グッと堪える毎日が続いていく。

どうにかして証明したいのだ。
自分が一番頑張っていて一番可哀想で一番子どものことを考えていると。
でも、一人の空間ではそれをしてくれる人はいなくて、我が子は私を責めるように泣き続ける。
一番簡単な方法は悪者を作り上げることだった。
あなたは何もしていない。自由で、自分のことばかり。
そんなセリフをずっと、口の中に入れたまま吐き出すことも飲み込むことも出来ずにいる。

同じ痛みを感じて同じ孤独を味わい同じように悩んでくれないならせめて、違う形でひどく傷ついてほしいと思っていた。



そうか、なるほど、そうだったんだなぁと納得した。
今まで書いていた気持ちに気付いたのはほんの数時間前。
どうして気付けたかというと、夫が以前よりも育児に協力的になってくれていたからだ。


数時間に及ぶ寝かしつけの末、やっと寝た我が子の顔を見ながら息をつきそして小さな小さな声で「可愛いね」と夫が言った。
こっちは大変だったのに何もなかったみたいにスヤスヤ眠る顔を見て呆れたように言う、「可愛いね」だった。



そうなの。

寝なくて本当に嫌になっちゃうの。
次に起きることを考えて、やりたいことも出来ずに布団に入らなきゃいけないの。
でもこんなにも可愛いの。
嫌で、イライラして、辛いけど可愛いの。

今まで夫が言ってきた「可愛い」はただの可愛いだった。
その可愛いを聞くたびに私の気持ちは悪い方向に向かう。


いいよね、ただただ可愛いと思えて。
可愛いだけじゃないのよ。
あなたのその薄っぺらい可愛いなんて聞きたくない。


そうやって、夫が愛情を表現することすら苛立ちに繋がっていた。



そして今、私の気持ちに近い「可愛い」を聞くことができ、夫に抱いていた激しい感情がおさまった気がした。
今まで言われてきた「いつもありがとう」とか「何もしなくていいよ」とか「あっちで休んできて」とか、そういう言葉よりもずっとあの「可愛いね」は嬉しいものだった。


どんな爆発エピソードがあるの?
とワクワクしている人もいると思う。
残念ながらない。
散々怒りたい怒りたいと書いてきたが、怒ってもいい結果にならないとわかっていたので本人に直接喧嘩を売るようなことはしていなかった。
怒るのも喧嘩するのもエネルギーがいるし、そんなことするなら寝ていたいのだ。

グワッと怒りが込み上げて、怒りたい。怒って、喧嘩して、離婚して慰謝料たんまりもらってやる!!!!と一瞬でそこまで考える。
次に、いや、この地で子育てしていくには夫を敵に回したら大変なことになる。と考える。

結果、その場では堪えて暫くしてから「〇〇されると悲しかったから△△してほしい。」と伝える。
そのかわりTwitterのサブアカウントでは心のまま盛大に発狂するのだった。




意外なことに、出産時も出産してからも一度も泣いていないのだ。
育児をする自分は、自分を責めて泣くタイプだと思っていたが私の場合夫に強烈に怒りを抱くタイプだと知った。
負の感情は全て怒りへ変換されるシステムとなっているらしい。我ながら嫌すぎる。
でもそうなっちゃったのだ。
そういうもんだと思ってコントロールしていくしかない。

いつの間にか、協力してほしいとか共感してほしいとかそういうまともな気持ちじゃなくて、私の怒りの捌け口になってほしいと願うようになっていた。


怒ってるんじゃなくて怒りたいんだと気付いた今、これからどうなっていくのか考える。
爆弾を抱えて火種を探し回っていた生活から、爆弾は抱えているが爆発しないよう注意を払いながらの生活になるのだろうか。
授乳後の眠れない午前4時にこの文章を打っている。
怒りの矛先が、我が子に向かないように。
夫にも、そして自分にも向かないように。
慎重に爆弾を処理をしなくてはならない。



本音を言えば、一度くらい大爆発させたかったなぁと思っている。
だって、正論をぶつけて人を責めるのってたまらなく気持ちがいいから。
認めよう。私は怒ってるんじゃない。怒りたくて仕方がないのだ。
自分が気持ち良くなるために、怒りたくて仕方がない。


いやいやそんなのダメだと思い、溢れる怒りを発散するため筋トレを始めました。
平和に生きましょう。



おわり

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