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私の変態の父#2 ー劇場型のガスライティング―性的虐待を性的虐待だと理解できない理由

性的虐待を受けた人の多くは、長い間、時には何十年間も、それが性的虐待であると認識することなく生きている。

もっと具体的に言うと、それが「加害」であるという認識である。また、それが「犯罪」という認識である。

他人から性暴力を受けてしまった被害者でも、同じように、被害であることを認識するまでに長い期間が必要だ。さらに、性的虐待の場合は、被害を受ける年齢が低いこと、加害者が絶大な権力を持つ父などの親族であることから、さらに長い年月が必要だ。

私自身も、「父親が私にしたことは、性的虐待だ、加害だ、犯罪だ」と迷いなく納得したのは、父からの被害に会ってから39年経った、53歳のときだった。

なぜだろうか。

私の家族・親族、地元の友人達が全員で、劇場型のガスライティングを私に対しておこなったから、だと現在わたしは思う。

ガスライティングとは、加害者が誤った情報で心理的に被害者を操り、正常な判断力を奪う行為である。 誤った情報を植え付ける心理的コントロールによって被害者に「自分が悪い。 相手が正しい」と思い込ませ、自信を失わせる。(エレミニスト2023.02.27版より)

それが劇場型として、私のまわりで繰り広げられたのだ。

仮に、中学1年生の女の子が、登校途中で見知らぬ変態から羽交い締めにされて手をブラジャーにつっこまれて直接胸を揉まれた、という事件が起きたら、近所の大人たちは、それは疑問の余地なく「変態が出た」「犯罪だ」「警察に通報」「学校にも連絡して親御さんに子供をお迎えに来てもらうべきだ」と対処するだろう。そしてもし、近所の家のご主人がその「犯人」だとわかったら、地域の人たちから一生白い目で見られるだろうし、その家族もいじめられるかもしれない。引っ越さざるを得なくなるかもしれない。


しかし、その変態が、被害者と血が繋がっている場合は、なぜか状況はまったく変わってくる。父親だというだけで、血が繋がっているというだけで、周囲の人は、その行為を知ったとしても、それは「たいしたことではない、なぜなら家族だから」という態度をとる。

それが私の場合である。

なぜ私が、父がやったことを「加害」である、「犯罪」であると認識できなかったか。それは、周囲の人が、父がやった行為に対して、受容的な態度、言葉、表情を見せ、父とのよい関係の継続を希望したからだ。

そして逆に、彼らは、父がやったことを明確に言葉にして言う私には、非難めいた態度、表情、言葉をかけ続けている。

被害から25年後に、私の周囲、つまり家族、親族に対し、父がやったことを明らかにした私は、このような冷たい態度に囲まれた。いとこ、叔父、叔母、遠くの親戚、誰に対して言っても、一人も、父のわいせつ行為についてまともに感想を述べる人はいなかった。父を擁護する姉が、外部の人に「あの子が言う事はデタラメ。あの子は人格障害だから。」と言っていたとあとから知った。

この頃は、父がやった行為について真剣に、常識的なリアクションをしてくれる人は誰もいなかった。その結果、私は簡単に「私のほうがおかしいんじゃないか」という考えにおちいっていた。劇場型ガスライティング効果である。

しかし、森田ゆりさんや当事者である山本潤さんの書籍を読むと、私が受けたことも「性的虐待」にあたるらしいし、実の父親から性的虐待を受けるケースも、ありえないことなんかじゃなく、実際に何件も日本で起こっていることがわかる。

それならば、父が私に対してやったことをはっきりと言っているのに、私の家族や親族は、なぜまったく驚かないのか。怒らないのか。父を非難しないのか。感情を表出しないのか。「世の中持ちつ持たれつでしょう」と手紙で書いてくるのか。まるで何も起こっていないかのように、父と世間話をしているのだろうか。なぜ私に対して、「父と仲直りしろ」と責め立てるのだろうか。

その当時は、悪夢を見ているみたいな気持ちだった。嘘でしょ?何かがおかしい。と何度も思った。心理学の書籍や当事者の体験記で書いてある理解と、現実がかけ離れすぎていた。社会全体に対する信頼感がくずれていった。

被害を家族・親族にカミングアウトするまで、私は、父が中学一年生だった私を後ろから羽交い締めにして乳房を直接揉んだことを、忘れていたわけではなかった。常に頭の中に焼き付いていた。ただ、その行為を言葉に出して人にいい、それが持つ意味を理解するのに、39年かかったのだ。

被害にあったその夜、父は私の胸をしばらく揉んでいたが、私が嫌だという印に身体を動かすと、私から離れ、すぐ、無言で自室に行ってしまった。翌朝、父は私と顔を合わせたとき、いつもの通り無言だった。私も無言だった。父は何事もなかったかのように出勤し、私も登校した。休みの日になると、家事をお手伝いしてくれるおばあさんがいないので、私は変わらずに自転車でスーパーに買い出しに行き、父と妹のごはんを作った。

そんな日常が流れるように繰り返される中で、中学生だった私が認識したことは、

「これは、たいしたことではない」

ということだった。

父から被害を受けた中学一年生当時、私は実はそれが性的な意味を持つ行為であることすら、はっきりわかっていなかった。

その後、私は年をとるにつれて性に関する知識を友人やマンガから得ると、私の父が私に対してやっとことは確実に性的な行為だと気がついた。

しかし、当時は1980年。身近なマンガ、テレビ、当たり前のように強制わいせつ行為を笑いのネタや娯楽の対象として扱っていた。主人公の男の子から胸を揉まれた女の子が、次のシーンではその男の子に微笑みを向けていた。

そのメディアからも、私は、「父がやったことは、たいしたことではない」という強いメッセージを受け取った。

高校一年生になったとき、大人びた友人が、「彼氏が抱きついてくる、キスしようとしてくる」ということを、少し自慢げに語った。その頃には私はやっと、友人の彼がやろうとしていることは、性的な目的を持つ行為であることを知っていた。

私は、その友人に言った。その友人に対抗したくなったからだった。私だって性的な体験をしたと言いたかった。

「私だって、お父さんから、背中から羽交い締めにされて、腕をパジャマの中につっこまれて、直接胸を揉まれたよ」

その友人の顔色がさっと変わった。こわばった顔で、友人は言った。

「それは一生誰にも言わない方がいいよ」

私はただ混乱した。なぜ、やられたほうが黙っていなければならないのか。

私の地元の友人たちは、私の父とは利害関係がないのに、おそらく無意識に、私が受けた被害を軽視した。

何十年も「友人」だと私が思っていた地元の同級生数人に、父がやった行為を打ち明けたとき、

ある友人は、明るい顔で「どの家庭にも問題はあるよ。私だってダンナと家庭内別居みたいになった時もあったもん、大丈夫だよ!!」と言った。他の友人は、「こんなに大人になってもまだ親の文句言ってるの?子供っぽい」と言った。

友人たちは、おそらく、日本の文化に根ざした思考を持っているだけではないかと思う。家族は大事、子は親を敬うもの、それが道徳だと。殴っていなければ、DVじゃない。男で、稼いで、浮気せず、殴らない、ならばなんの問題もないだろうと。

私は、私の家族・親族と、私の昔からの友人たちの態度、言葉、表情に囲まれ、「私のほうがおかしいんじゃないか」「私が怒りを感じるのか、異常なのではないか」と思い、自分自身で自分を責めるようになった。

強く怒りを感じると、同時に自分に対して強い怒りを感じ、父を愛せない自分がこの社会のなかで日陰者として生きる化け物になったかのように感じ、自己嫌悪が身体中に充満した。

このように、被害を受けたにもかかわらず、自分のほうを責めてしまい混乱するのが、ガスライティングである。

私は39年間、この状態だった。

徐々に徐々に、薄皮を向くように、私が事実を正しく認識できるようになったのは、被害から36年を経て、伊藤詩織さんがTBS記者から性暴力を受けて手記を出し、日本でもようやくMe too運動が知られるようになった2017年くらいからだった。

私は2018年ごろから渋谷の性的虐待被害者の自助会Siab.に参加し、同じ体験をした人たちの話を安全な場で聞き、自分の体験も仲間に聞いてもらえた。2019年には、実の娘に性交をした父親の無罪判決などに反対する東京駅行幸通りのフラワーデモに新幹線に乗って参加した。このころから、確実に、父がやったことは加害であり犯罪だと、私は理解するようになった。

ここに至るまで、私は孤独で、寂しく、苦しかった。

これからの日本で、もし、私と同じ目に合ってしまう女の子(男の子もいるでしょうが)には、私と同じように長年苦しんで欲しくない。そのために、何が必要か。

それは法律での規制だと私は思う。法律で国家に裁かれ、罪に問われるかもしれない、それだけで、強い抑止力になるのだ。だから性暴力については、公訴時効を撤廃し、例えば私のように13歳で性的虐待にあった女の子が、39年間苦しんでやっと被害の意味を理解できたケースでも、告訴できるようにすべきだと思う。

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