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続・和歌山の加太・夏の海を見たくて河内長野からショートトリップ

 昨日の続きです。海のない河内長野から夏の海を見るために、和歌山の加太に行ってきた記録。その後編です。

 山上の休暇村から加太の街に降りてきました。送迎バスは駅まで行きますが、途中で降ろしてもらいます。そして海の前には古い集落が残っていました。最初に来たのは加太春日大社。

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 さて葛城修験(かつらぎしゅげん)とありますが、実はこれ河内長野も関係する日本遺産です。これは加太から東に続く山で、大阪と和歌山を隔てる和泉山脈。そして河内長野付近からは北方向に伸びて、今度は奈良と大阪を隔てる金剛山地と続いています。最終的に、大阪府南河内郡太子町付近にある二上山までの山の中がゴール。 

 そしてこの山の中を、修験者が修業をしました。ちなみに和泉葛城山と大和葛城山というふたつの葛城山があります。

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 神社の説明書きがあります。せっかくなので全文引用します。

加太春日神社の創建は明らかではありませんが、江戸時代の「紀伊続風土記」には、当初は天照大神を祀っていたが、中世に住吉社を合祀し、その後、日野左衛門藤原光福がこの地方を地方舌嘉元年間(1303~12317)に、地震の祖先神である春日三社を合祀し、それ以降は春日神社と称するようになったと書かれています。
 現社殿は、羽柴秀長の家臣で和歌山城代を務めた桑山重晴により建立されたものです。一間社流造の桧皮葺で、屋根中央に突出する千鳥破風、軒先には湾曲して屋根と一体化した軒唐破風が付いています。木鼻・蟇股(かえるまた)、欄間、和障子などの彫刻はとても豪華で、安土桃山時代の特色を良く表しています。
蟇股の彫刻は、雲に龍、竹に虎、宝珠、恵比寿、大黒天、迦陵頻伽(かりょうびんが)、貝、波に海老、菊花など多種多様で、特に恵比寿、貝、海老など海に関わる題材が見られることは海村の神社として注目されます。また、仏典に現る想像上の鳥である迦陵頻伽は、上半身が人で下半身が鳥に表現されますが、蟇股の装飾に用いられるのは他に類例がなく、大変珍しいことです。

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主祭神は、天児屋根命、武甕槌神、経津主神
それに加えて配祀神が、天照大神、住吉大神となっています。

 次は海に行ってみましょう。漁港があり魚を販売しているところがありました。

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 ここでは取れたばかりの海藻類を干していました。魚の多くは業者に卸してしまうので、一般ではあまり多くの者が買えません。それでもタコと、大きなアジを買って帰りました。

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 夕暮れどきです。河内長野だと寺ヶ池で夕陽を見ることになりますが、海だとはるかに大きく見ごたえがちがいますね。

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 波止場では魚釣りをしている人がいました。

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 日が沈んでから見られた幻想的な夕暮れです。

 そして加太と言えば淡嶋神社が有名です。

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 一見どこにでもある神社に見えますが、実は拡大すると。

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 このように数多くの人形が奉納されていることで有名です。人形がこんなにあると少し不気味に見えますが、これは人形供養のために来ているとか。2万体のいろんな人形が安置しています。

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 日本人形の他にもいろんなタイプの人形、動物の形をした置物などが勢ぞろい。

 ちなみに、淡嶋神社は全国にある淡島神社・粟島神社・淡路神社の総本社。創建は仁徳天皇の時代と伝わり大変古いです。

祭神は
少彦名命(すくなひこなのみこと)
大己貴命(おほなむじのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
です。

 それとは別に民間信仰の淡島神をまつっています。(この神さまは少彦名命の他に諸説あります)

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 心霊スポットとしても取り上げられることが多いそうですが、最初のインパクトは凄かったですが、慣れてくると、そこまで不気味な感じではありません。

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ということで、加太で海を堪能し、山に囲まれた河内長野に戻ったのでした。

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