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過去の自分に愛を送り、未来の自分に見守られている

去年の春夏は、子どもたちを連れてプレーパークという廃校になった学校を利用した体験広場によく遊びに行っていました。
1歳の三女がちょこまかと動き回るのについて回り、持参したおにぎりやパンを食べ、スタッフの人とちょっとおしゃべりしたり。

⁡そんなふうに過ごしていたらふと、長男長女が0〜3歳くらいまでの間、毎日子育てサロンや児童館に通って遊んでいた時期のことを思い出しました。
記憶の中のその光景はなんだかとても眩しくて、尊くて…ちょっと泣きそうになりました。
 
時を経て、今は4人の母となり、いろいろな知識や経験を積んできたけれど、なんだかわたし重くなってきてしまったのかな?と感じたのです。
軽くなった部分も、要領良くできるようになったこともある。
なんだかでも、常に成長しなければとか貢献しなければとか、認めてもらいたいとか、そんな気持ちに追い立てられてしまうことが増えたような気がするなぁ、と。(それはそれで、必要だから経験しているのだけど)

そんなことを考えず、ただ毎日を過ごしていたあの日々のわたしは、別の苦しさを抱えてはいたけど、「今」を精一杯生きていた。
それはとても美しいなと感じました。


わたしは美しいものを見るのが好きです。
美しいものを感じるのが好き。
美しいものを創り出すのも好き。

わたしの心が美しさで満たされればそれでいい。
何も成し遂げなくても、認められなくても。

⁡過去の自分に美しさを感じて、そう思いました。


子どもたちとの時間も、わたしにとって、美しいものです。

わたしの心を美しさで満たすために
子育てさせてもらっている。
無条件の愛をいつも与えてもらっている。
それも4人分も。夫からも。

家族だけじゃなく、たくさんの愛をもらっている。こんなにも愛されているということを思い出せてよかった。
そして、過去の自分にも愛を送ったような気持ちになりました。


今この日々も、数年後に眩しく思い出す日がくるのだと思います。
いつでも、未来の自分が見守ってくれているのだろうと思っています。

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