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短編小説【聴けばめでたき千代の声】八

第八声:家宝の手紙

足袋の作り方を教えてもらいに静代さんの家に出入りしていたのは六年前。
おしゃべりと料理が大好きな静代さんは、わたしに多くの自画自賛と大いなる和裁の知識と美味しい手料理を与えてくれた。
静代さんはこの山の住人としては”歴”が浅いほうで20年そこそこ。20年住んでいても初期入植者からすれば「よそ者」の新人。静代さんは自治会で随分と嫌な思いをしたようだ。それでも自治会を辞めないのは「巧くこの地で生き抜きたいから。」だと言う。
こんな緑溢れる美しい場所で、雪に埋もれたような切ない台詞を聴かされたわたしは眉間にグッと力が入った。

静代さんは自画自賛が得意で色々な事を聴かせてくれた。そのせいで予定より足袋作りが遅れた面は否めないが、それは授業料という事で納得するしかない。
自画自賛が捗り、静代さん自体が”わたしにどこまで話したか”を忘れてしまい、同じ自賛が登場する場面も度々あった。
登場率が圧倒的に高かったのが「家宝の手紙」だ。
家宝の手紙はかつて日本の総理大臣だった人物から送られたもの。
静代さんが「読んで」と差し出す手紙を、わたしは何度受け取っただろう?
”まるで初めて手に取ったかのように振舞う”のは自分の演技力を試す場としては最適だが、演技力の向上など人生の目標には設定していないわたしは心底疲れた。だけど一度”許して”しまったこのやり取りを途中で投げ出すわけにもいかず、結局最後までやり切った。それはわたしが自画自賛すべき事柄だろう。

その手紙は静代さんと旦那さんに向けたもので、引っ越しの手伝いのお礼が冒頭二列程書いてあり、それ以降の三枚は全て手紙の送り主である”元総理大臣”の初々しく希望に満ちた未来への誓いや願いで埋まっていた。
静代さん・旦那さん・元総理大臣が二十台半ば頃にやりとりされたものだ。
読み返し過ぎて折り目が破れてきたからという事で静代さんはその手紙を10部コピーしてあると言う。
何故そこまで静代さんがその手紙を大切にしているのか聞いたことがある。
「彼はいつか日本の頂点に立つ人だって学生時代から確信があったの。本当にその日が来たら”家宝”になるでしょ?彼、本当に総理大臣になったじゃない?私が思った通り!」だそうだ。

わたしは政治などは手の込んだ茶番だと思っている。茶番でなければ辻褄が合わない事だらけ。そんな日本の元総理。死んだ目をしていたあのオッサン。そんなオッサンにも若く輝く思想が備わっていた時期はあった・・・・それが、その手紙(のコピー)から伝わってきたこと。
キレイゴトでも偽善でもない純白の野心と壮大な愛。
本当にこの日本を心底良くしたいという思い。
それを成し遂げるための切実で誠実な歩み。
驚く事にオッサンは「この腐りかけた日本」という表現を手紙内で使っていた。
「あ・・・、分かってたんだ。当時のオッサンはソレ感じてたんだぁ。へ~~~、あぁ、そうなんだぁ。」と、わたしは思った。
と、同時に
「マジでそう思ってたの?だとしたら、やっぱオッサン駄目だよね。鈍感すぎるよ、政治の本質見えて無かったのかよ?!」とも思った。
いずれにせよ、オッサンは今と同一人物なのか?という疑いが出てくるほど情熱ギラギラのアツい奴だったのは確か。

いつから人は変わるのか?
いつどう変わるかは自分で選べる。
ギラついた初々しい情熱を捨て、腐った現実を見たオッサン。ニュース記事の画像に映るオッサンの表情はいつでも「魂ここにあらず」。
腐った日本を更に腐らせさようなら。
それでも静代さんの家宝であるその手紙は「私が死んだら棺桶に入れてもらうのよ~!」・・らしい。

どうせ変化するなら輝く方が良い。
魂ここにあらずな暗い生き方は苦しいだろう。

”決めつけは良くない”
手紙の送り主、元総理の文から得た教訓。

どんなクソにも輝く時代があった。最初からクソだったわけじゃない。
それは紛れもない事実で勿体なく本当に残念なこと。

以上だ!また会おうぜ、あばよ!






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