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アディクションからの回復とスピリチュアリティー

多くの人々が、「何かを求めて」いる。とりわけ、自傷者や他の依存症者たちは、慢性的な空虚感を口にすることが多い。無能感や、無力感、不足感、あるいは生きる意味が見つからない・・・それらは、スピリチュアルな乾きである。                 -VJ ターナ 自傷からの回復より-

人はなぜ、依存症、アディクションにハマるのでしょうか?

長い間、依存症を抱える方々の話を聞き続けてきて、彼らをある特定の物や行動に走らせる背景には、根本的な「渇愛」があると感じています。

「さみしい」「空虚」「何かで埋めたい」「もっともっと欲しい」

彼らの心には、ぽっかりと大きな穴が空いていて、それを埋めるために、お酒を飲んだり、薬を使ったり、異性にしがみついたりしてみます。必死で、そういう行動をとり、つかの間の満足は得られるかもしれませんが、根本的には埋まらないどころかもっと寂しくなってしまうものなのです。

自分自身も、過去にはそのような心の穴を感じていたし、何をしても、誰と一緒にいても埋まらなかった・・・という感覚を経験しています。

それがいまその空虚感は、かなりふさがったように思います。子育ての体験や、自然とふれあること、瞑想すること、これらはすべてスピリチュアリティーの成長を促してくれます。

この空虚感を埋めるためには、スピリチュアリティーを成長させることが不可欠なのです。

アディクションの回復のゴールは、スピリチュアリティーの成長

アディクションを抱える方々に足りないのは、スピリチュアリティーなのだという考え方があります。

多くのアルコール依存症をはじめとした多くの依存症者を回復へと導いた自助グループの原理である12ステップをまとめたアルコホーリクス・アノニマスという書籍では、「12ステップを使ってスピリチュアルに目覚めることこそが回復である」と述べています。

下記の本(通称ビッグブック)のなかで、スピリチュアリティーについては、「アルコホリズムからの回復をもたらすに十分なほどの人格の変化」と書かれています。

はっきりいって、長年(13年ほど)この考えがさっぱりわかりませんでした(汗)12ステップの原理には、キリスト教に多いに影響を受けています。そのため、「神」「霊的」「ハイヤーパワー」など、違和感を覚えるワードが多く登場するのです。

どうにも、神様がいる・・というような考え方に馴染みがもてません。積極的に無神論者!というほどでもないのだが、あまり特定の宗教は、信じていないタイプです。クリスマスは、チキンとケーキを食べ、お正月は神社に初詣にいき、お寺に墓参りもする、ごく一般的な日本人だと思います。マインドフルネスも、宗教ではないから好きな部分も大きいです。

ユングが、指摘

アディクションからの回復にスピリチュアリティーが必要と述べたのは、心理学では有名なカール・ユングです。

彼は、AAの創始者のビル・ウィルソンにむけて、こういう手紙を書きました。

(ある一人のアルコール患者について)彼のアルコールに対する渇望は、私たち人類が持つ自己の存在の全体性に対するスプリチュアルな渇望の、低い次元での表現といえました。(Gorf, 1993)

さらに、VJターナーは、以下のように述べています。

自傷者や、アルコール依存症者、その他のアディクションを抱える人々が回復するためには、全体性を獲得し、ある程度スピリチュアルになる必要がある。.....(中略)私たちの求める全体性とは、自己の奥深くにあるべきものだ。その場所はスピリチュアルな核心と呼ばれている。私たちは、ここの空虚感をなにものかで埋めたいと願い、空虚感を埋められるものならば、どんなものであってもかまわない、と思ってしまうことがある。

このように、依存症を抱える方たちの、空虚感はスピリチュアリティーの欠如であり、全体性を獲得するためには、スピリチュアリティーを成長させる必要があるのです。

スピリチュアリティーを成長させるには?

では、どうすればよいのでしょうか?一般的に書籍等で言われていることと、自分の体験を織り交ぜて述べていきます。

(1)12ステップの実践

私は、12ステップを実践してほぼ15年です。仲間と正直に自分の問題を語り合い、愛のあるサポートを受けたり、与えたりすることは、スピリチュアリティーの成長に役立ったと感じています。愛のようなものを少しずつ感じていくプロセスだったようにも思います。

また、12ステップでは、問題を他人のせいにするのではなく、自分側の問題を徹底的にみつめて、それを適宜修正します。これも積みかさねていくと、心の中にホコリがたまらず、キレイが保てるような感じがしています。まだまだ、なのですがね・・

12ステップの実践のゴールは、スピリチュアリティーの成長です。


(2)子育てなど、人の世話をすること

子育てじゃなくても、部下の育成とか、ペットを飼うとかそういうことも含めて、スピリチュアリティーは成長させられるのではないかと思います。

自分というエゴをいったんどけて、誰かのために、献身的に愛を与える、世話をする、面倒をみる・・・ということをしていると、成長できると思います。

人に愛を与える、世話する行為は、決して楽なものではありませんが、気がつくと、自分自身がとても成長している・・・そんな体験になっていると感じます。

(3)自然を感じること

回復して、最初にスピリチュアルな雰囲気を感じたのは、キャンプで、12ステップの瞑想の本を読んでいた時でした。

鳥のさえずり、川のせせらぎが聞こえ、森の中のテントの中で、ゆったりとした一人の時間でした。

大きな力のような気配をその時感じたのでした。具体的には、「あんた次は英語やんなさいよ」というものだった(笑)のですが、その声に導かれるよう英語を実践していったところ、道がひらけたのです。(マインドフルネス留学などにつながる)

また、登山で、頂上近くでテント泊する時なども、自然の驚異を感じて、圧倒的な「神様意識」あるいは「ハイヤーパワー(自分を超えた大きな力)」を感じることがあります。

自然の偉大さ、畏怖を感じた時、天候に圧倒される体験、自然の中で文明機器を持たず身一つになったときの、自分のちっぽけさ、無力さを感じる体験、そんな体験が大切なのかしら?と感じています。


(4)瞑想すること

瞑想を実践すると、自分の中にすでにあるスピリチュアリティー、内なる資源、核、そのような体験と繋がることができます。

今現在の全本質の中に身を委ねることができれば、まさにこの瞬間は信じるに値することがわかるかもしれません。
このようなことを何度も、何度も試してみれば、私たちのどこか奥底に は、大いに建設的で信頼できる核が存在し、私たちの直感は、この瞬間の現実が奏でる深い響きのように信頼に値するのだという、新しい感覚 が芽生えるかもしれません。  -ジョン・カバットジン-

マインドフルであることと、スピリチュアルであることは、比較的近い状態なのではないか?と個人的には感じています。

瞑想をしていると、「洞察」が得られることがあるのですが、さきほどの「英語」の例のように、「次にすることはこれでしょう」というお告げのようなもの(笑)がはっきりすることがあります。自分にとって大切なこともはっきりしていきます。

まとめ

アディクションの原因が、スピリチュアリティーの欠如だとするならば、すでに方法がいろいろ確立されている上記のような方法で、誰しもが回復するチャンスがあるのだと思います。

私自身の場合でいうと、13年位かかった感じがあり(汗)、人によっては時間がかかる場合も、スピーディーにいく場合もあるのでしょう。

瞑想で内側につながることによって、はっきりする「自分の仕事」「価値観」そのようなものに指針をおいて、生活することで、「なんか寂しい」「満たされない」「つまんない」などのおなじみの空虚感・・・から、自由になれた気がしています。

ただし、スピリチュアリティーの成長というテーマは、自分自身にとっても、生涯をかけて実践していくものになるだろう・・と思っています。

最後に、ビッグブックでの一節を紹介して、終わりたいと思います。

私たちが何より強調したいのは、どんなアルコホーリクスでも、こうした霊的(スピリチュアル)な概念に対して心を閉ざさずに、自分の問題に正直に直面することができれば、私たちの体験に照らして回復できるということである。障害となるのは、不寛容で、攻撃的な否認の態度だけだ。このプログラムの霊的な部分でつまづくことはまったくない。意欲と正直さと、開かれた心とが、回復に必要な核心である。これなしに、回復はありえない。








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