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レポート第7回レタスマインドフルネスワークショップ7

(続きです)

じゃあ、委ねるってどういうことなのか。
起きている現象は、ただ起きているじゃないですか。
たとえばお天気。
晴れたり曇ったり、雨が降ったり雪が降ったり。勝手に変化していますよ。人間にはどうしようもない。
でもある人にとっては雨が気持ちよくて「快」。
ある人にとっては雨が都合が悪くて「不快」。
ある人にとっては雨が降っても「どうでもいい」。

現象はニュートラルなのに、心が現象に意味付けをしているだけなんですよ。
この「心が意味付けをしているだけだ」ということに戻ってこられるのがマインドフルネスであり、委ねているということです。
そしてこれが苦から離れる道です。小さいことですけどね。

たとえば朝起きて、屋外で活動する予定がある日なのに雨が降っている。
「なんだ、雨だよ」とムッとする。でもそこで、怒っても雨が上がるわけじゃねえしな、と気を取り直す。そう思えれば楽になる。
分からない人は雨に腹を立てて、立てたまま過ごしてしまう。
分かっていれば「起きていることにモヤモヤしてもどうしようもないから、手放してみよう」とできる。

(仕事の上で行き違いがあって、ハラハラさせられた話)
こういう、何か思うようにいかない時。もう自分にできることはやって、それ以上何もできない時に、神様でもブッダでも大宇宙でも何でもいいです、「ゆだねます」と口に出してみると、少し楽になります。
その時は私も本当に「委ねます」というしかなくて、不安な気持ちを持ちながら相手の出方を待っていました。
結局はすべて、お互いにとってうまくおさまったんですが。

こういうことは鵜呑みにせずに、こうすれば苦が減ってゆくということを自分の実感によって学び取って実証していってほしいんです。
鵜呑みにしてもいいんですよ。鵜呑みにして苦しみを紛らわせることもできます。
でもそういうやり方は、鵜呑みにできなくなったときに、すべて崩れます。簡単に。

起きている世界で起きていることはそのままで。
起きていることは正しいとか間違いとか意味付けをしないで。
ふわっと見ながら、ただそれだけだと思って生きられると、すごく楽ですね。

しかしこういうことが実感できるようになると、娑婆の人との感覚の解離っていうのはおきてきます。
人が右往左往するようなことが、たいしたことじゃなくなってくる。
子供が生まれた、結婚した、葬式だ、そういうことに目出たいとか不吉だとか、大げさな意味付けをしている人を見ると、(バカバカしい)とか(意味ないのに)とか思うようになってくる。
でもそれは「俺はこんなことにはこだわらないぜ」とか「俺にはもっと大事なことが分かっている」という特権意識から起きている。
そういう自分の心にも気づいて、世間の習わしにも役者みたいにバッチリ合わせていきたいですね。その場に合わせて、人を傷つけない、適切な行動をとってください。
そうでないとスピリチュアル・バイパッシングにもつながるし、修行者として恥ずかしい。

(続きます)