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「ある」世界を信じて生きれば、きっと大丈夫!

先日「ロマンチック金銭感覚」について書いて、改めて私はずっとお金の不足感ばかり感じて生きてきたなと思った。

「ロマンチック金銭感覚」のふたりのようにお金の本質について考えることはなく、ずっと漠然とお金の不安や不足に囚われていた気がする。母方の家系がお金に苦労してきたからか「お金がない!」「お金がないと生きていけない!」という恐怖心を遺伝子レベルで引き継いでしまった感もある。それなりの中流家庭だったにも関わらず「うちはお金ないんだからね!」と母から何度もネガティヴな感情をぶつけられ、お金のことを考えるのが嫌で怖くてお金について真剣に考えることから逃げていた。我慢しろと言われ続けた反動なのか経済感覚はガバガバ。お金のことを考えるのが苦手で、どんな職種でどんな収入になってもいつもお金が足りないし貯金も無い。これを何十年も繰り返してる。なので、今のこの現状は、ええ加減そこから逃げずに真剣に向き合う時なんじゃないかな。実際、私の昔からの友人知人は「いつまでやってんねん!」と思ってる人もいることだろうし「歳いってからお金ないって人は信用されへんで」と言われたこともある。

お金について真剣に考えることから逃げてきたと書いたけど、実は密かに今年の5月からグループコンサルを受けている。「コンサル受けててソレ!?」と笑われてしまうかもしれないけど、私の中では静かで着実な変化を感じている。

加美大輔さんという方のグループコンサル。加美さんについては加美さんがカメラマンだった頃に知った。友人が加美さんに撮ってもらっていた写真を見て、その友人があまり多くの人には見せない繊細な部分をカメラの中で見い出していたことに驚いた。聞けばその人の美しさを引き出す写真をテーマに撮影していたらしく、私も撮ってもらいたいと問い合わせてみたけど結局撮影依頼をしなかった。その後加美さんはカメラマンではなくコンサルを生業にした。ますます接点はないんだろうなと思いながらもFacebookの投稿が面白かったのでフォローしていた。そんな中、たまたま今年の春に「お金に対する不安について」加美さんがライブ配信をしていたのを見た。そこで何を勘違いしたのか、加美さんにお金の不安に対する個別相談ができると思って申し込んだのがまったく違うコースだった。そうして事務局の方に相談してグループコンサルを1年受けることになった。

正直に言うとコンサルを受けることに気が引けた。「起業したり商売してる訳じゃないのにどないすんねん!」と思ったり、自分で申し込んだ癖に「私は騙されているんじゃないか?」という猜疑心が湧いたりしてた。でも、いい加減お金について逃げずに考えるタイミングやし、もしそれで騙されたとしてもぜんぶ自分の責任として受け入れようと腹を括った。

受けてみた感想。受けてよかった。お金で悩んでいたつもりが、お金だけの問題ではなく自己信頼の問題なのだと知った。コンサルと聞くと「どれだけ売り上げを上げて利益を産むか?」「稼ぎまくって年収◯◯万円プレイヤーになる!」とかギラギラしたものを想像して怖かったんだけど、むしろその真逆にあるような静かなものだった。それは今後もし私がたくさんのお金を運用するようになったとしても、自分の外側やお金自体に振り回されないでいる為の心得。自分の人生の基礎や基盤を作るようなものだった。

何度も何度も加美さんの話を聞いている内に、自分が人から「もらおう」としていたことを思い知る。もらおうとしていたのは愛情だったりお金だったり優しさだったり、自分の寂しさや欠乏感を埋めるもの。恥ずかしいくらい私は寂しくて飢えていた。しかも、たくさんの「ある」ものを抱えながら「ない! ない!」と思いこんでいた。

私が働いている老人福祉介護施設の利用者さんにこんな人がいた。水が入ったコップを手に持ちながら「お水ちょうだい! お水ちょうだい! 何でくれへんの!」と叫んでいる。「大丈夫です。手に持っていますよ」と言いながらコップを持つ手に手を添えてお水を飲んでもらっても収まらない。「持ってるやん!」とイラッとした直後、ふと「あぁ、これは私の姿でもある」と思った。不安になり過ぎて、自分が持ってるのに目に入らないし理解できてないんだ。どんなに手に持っている水を示しても、その水を飲ませても「お水ちょうだい!」という叫びは治らない。誰かがどんなに与えても、自分が欲するものが「ある」と理解できない限り求め続けてしまうんだと思った。きっと私もそうなんだ。

私は泣き叫びたいような自分の寂しさを見ないようにしてたのかも知れない。鍵っ子だったし小さな頃からひとりで家で留守番していた。ひとりではわからないこともできないこともあった。ひとりでわからなくても不安でも誰にも聞けないし話せない。不安なまま時間をやり過ごすしかなく、泣いたところで誰もいないし助けてくれないという諦めを子どもながらに刻み込んで、寂しい感情は感じないようにしてた。そのせいか不機嫌な子どもだった。

左端が私

子ども頃の私が望んでいたのは何だろう? 
本当はどうしたかったんだろう?
本当はどんな感情を味わって、どんな体験がしたかった?

そんなことをひとつひとつ思い出して味わってみる。

それがいったいお金とどんな関係があるねん! と思うかもしれないけど、私は自分の寂しさを埋める為にお金を使っていたところもある。不足感からお金を使って満たす。幼い頃の私は寂しさと引き換えにおもちゃやケーキをもらっていた。そうして埋めるものだと思い込んでいたけど、本当に欲しいものではないからずっと拗ねていた。本当は寂しさを埋めるのではなく、自分も周りも心から喜び合えるお金の使い方をしたい。お金の使い方だけでなく、働き方も自分も周りも喜び合えるような、自分も周りも喜びながらあたたかな交換や交流ができるようなことを仕事にできたら。

先日、神戸の長田にある「はっぴーの家ろっけん」に見学に行った際こんなことがあった。介護付きシェアハウスという雑多な場所なんだけど、テーブルに座っていたおばあ様が新聞紙で作る箱をうまく折れないでいた。聞くと昔はたくさん折っていたらしい。折りかけの箱を手に取ると新聞が重なりすぎて完成しても箱が開かないようだ。

「どうやったら箱が折れるか?」
「ひとりでも折りやすいサイズにするには?」

ほぼ言葉を交わさずにお互いに手を動かし合う時間を共有し、気づけば1時間以上経っていた。たくさんの箱を折れた訳でもない。生産性や合理性からは1番遠いような時間。でも箱が開く形に折れた時におばあさんの目が輝いてニッコリした。私にとってはそんな時間や体験が貴重で豊かなのだ。

私が感じるそんな豊かさを生かして楽しく働いてお金も稼げたらいいな。以前はそんな世界や働き方があると思えなかった。そんな願いを素直に願えなかった。「できない」「ない」ばかりだった不足の世界から、気づけば「できる」「ある」世界に少しずつ移り変わっていた。今は形として見えなくても近いうちにきっと満ちて溢れていく。そう信じられるようなれたことが嬉しい。

2023年12月22日 冬至の朝日

「ある」世界を信じて生きればきっと大丈夫!


見学に行った「はっぴーの家ろっけん」はこちら。


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