変わりたい、そう感じた時が進化の時。
※この記事は、ラジオでもご視聴いただくことができます。文章と音声、ライフスタイルに合ったツールでお愉しみください。
今日のテーマは、「変わりたい、そう感じた時が進化の時」というお話しです。変わりたいと思ってから、実際に変われるようになるまでの過程を料理に絡めてお話しします。
ちなみに、今日のタイトルは、2、3年前につくった食後アートの題名です。整理していたら、タイトルを撮った写真を見つけました。「お、いい言葉だな!」と改めて思ったので、今日はこのタイトルについて掘り下げていきます。
そもそも、「この言葉がいいな」とか「この服いいな」「この色、映画いいな!」と思う時には、必ず自分の中にもその想いの種や芽があります。
共鳴できるから、「いいな」と思えるし、何かきっかけになるようなことや自分を認められるようなものを見つけようとします。
よくビジネス書なんかでも言われるように・・・『人は、自分が見たいものしか見えない。』というやつですね。
その視点で言うと、今の私はいつも以上に「変わりたい!」と感じているんです。
どう変わりたいのかというと、まだ靄がかかったような、もうすぐキリが晴れそうな・・・みたいな具合に漠然としています。
「どう変わりたいのか?」の解像度の低さを自覚する
自分の頭の中には、あるはずなのに、いざ「じゃあ、どう変わりたいの?」って口頭で聞かれると、うまく言語化できない。つまり、まだ“理想の未来への解像度が低い”ということに気付かされます。
その度に、ゴニョゴニョして。「今は、まだ…ちょっと….あれなんですけど。こうして,,,,,ああしようと…..思っていて。。。」って、自信なさげに話すことになります。
すると、「やってみようと思ってます…。」と言っている自分にしっかり凹みます。
変わる気がありなら、とっくに動いてる
だって、本当に今の自分を変える気があるんだったら、思うだけじゃなく、既に動いているはずなのです。
特に、変化を望んでいる時って、自分にすごく厳しく、ストイックになってしまうので足踏みしている自分に尚更、腹が立ってきます。
でもですね。
人に話して、理想に対するその解像度が低いことを知ることやお節介とも言えるアドバイスを受け取ることで、少しずつ少しずつ理想が具体的に見えてきます。
そして、だんだん輪郭がはっきりしてくると、そのためにどういう動きが必要なのか考えるようになってきて、好奇心さえあれば、間違いなく試してみたくなります。
なんなら、試してみたくてウズウズするくらいにまでなってきます。
試したら、もちろん、失敗することの方が多いのですが、理想の状態は既に見えているので、失敗しても別の作戦で動くことができます。
エジソンも何百回も失敗したけど、そのうち一回成功してるのです。(※彼は何百回どころではないはず。)
人の脳は案外、純粋なのか、私の場合は一回成功すれば、何百回の失敗はほとんど忘れられます。これまでの、生き方や料理を試作するときはこの手法を試しています。
「でも」「だけど」・・・他人の意見に違和感を感じたらラッキー
たいてい、フードアートを提供するときには、コンセプトを決めるところからスタートするのですが、毎度海の苦しみを伴います。
「もう今回こそは、だめだ。」
「もう絶対思いつかないかもしれない。」
「一個も料理できないかも。」・・・・・・・とか毎回必ず喚いてます。
でも、実際には、頭の中に何かしら散らばったアイデアの欠片みたいな物はあるので、仲間や友達に小一時間くらい質問攻めにもらったり、会話に付き合ってもらいます。
会話していると、みんな優しいのでちゃんと付き合ってくれます。
「え、こうしたらいいじゃん?」とか「それって、もう、ちゃんとアイデアまとまってるじゃん。」「あとは、やるだけじゃん!」など言ってもらえます。
もしくは、「こうしたらいいじゃん?」って言ってくれたときに、「でもさ」「だけどさ」って言い返すこともあります。
これこそが重要です。理想に対する解像度を上げられる要素の一つ。
誰かの意見に対する違和感こそが、自分の価値観だし、理想に対する、今の自分の答えなのです。
違和感が見つけられたら、アイデアを行動に移すのは、えいやって勢いでやってしまうだけ。やらなきゃ気が済まなくなります。
勇気なんてものは、実態のない架空の秘密アイテム。「えいやっ」という、ちょっとの掛け声とともに自分の足を一歩踏み出す以外に勇気を獲得する方法はありません。
結果として、友人とのお茶会の一週間後には、メニューの大まかな構成が決まっていたり、作戦を始めていたり、ガシガシ行動できるようになります。
人に話すなら、本気で変わる気で話す
行動してると、モヤモヤと自分の部屋で天井見をつめて「あ〜、変わりたい」とぼやいていた時とはもう、違う自分になっています。
私の場合はフードアートや働き方など、いつも何かしら悩んでいます。悩んでいることにも悩んでしまう時があるので、危うく負の無限ループに入り込みそうになります。
そんな時には、「自分はエジソンみたいに研究中なんだ!」って思えると、その悩みは研究テーマと捉えることができて、長期休みの自由研究のように思えて面白くなってきます。
いつも元気に悩んでいて、「今日はこのテーマについて研究してた!」という会話をよくするので、仲のいい友人たちに会うと「面白いとかむしろ元気をもらってるよ!」と言ってもらえることの方が多いです。
こうして話してみると、私ってとんでもなく面倒臭いやつなんだなと、改めて思います。いつも皆様お世話になっております(笑)
※ちなみに、行動しないで何度何度も同じ悩みばかり話して現状を一切アップデートしないままの人は、確実に嫌われると思いますので……ご注意くださいね。(お互いに無限ループに入り込める場合は逆に楽しいとは思います。)
『人に話すなら、本気で変わる気で話す』これはルールです。
「変わりたい」と嘆くのは「お腹すいた」って言ってるだけの時と一緒
「変わりたい」と嘆いている状態を料理に例えると、「あ〜、お腹空いたな」(①)という状態です。
お腹は空いてるのだけど、ラーメンという気分でもハンバーグという気分でもないし、何が食べたいのかわからない。
でも、ちゃんと「食べたいものが食べたい!!!」(②)って思っている時と同じような状態。なんとも贅沢な悩みですね。
そういう時に、友達に「お腹すいた〜」と言うと、「何食べたいの?ラーメン?ハンバーグ?」「じゃあオムライス?」って提案してくれますよね。
頭の中では、(麺よりご飯だなぁ。でもお肉がいいなぁ。あ〜、さっぱり食べるものより、しっかりお腹いっぱいになれて、味の濃いものがいいなぁ。(③))と想像できるはずです。
さらには、(でも、おかずがいっぱいあると、食べるのに時間もかかるしサクッとワンプレートですませたい。(④))なんて、思ってくるわけです。
そうすると、「あ!カレー食べたいかも!」(⑤)と言う発想に至ります。
カレーといっても、今の気分は(インド系なのか、レトルトがいいのかホテルで食べれるようなシェフこだわりのお上品なカレーなのか?(⑥))という風に細分化して考えることができますよね。
これを繰り返すと、いつかは、ばっちり今の気分にあった“超おいしいカレー”に出会えるわけです。(⑦)
なんなら、自分の味覚に合った超おいしいカレーに出会ったことをきっかけに、カレー巡りのブログを書いたり、カレー屋さんになることがあるかもしれません。“超おいしいカレー”に出会えた先の行動は無限にトライできます。
そうなれば、最初の「お腹すいた」(①)と嘆いていた人とは明らかに変わっています。もはや進化を遂げて、ちょっと違う人へとアップデートできるというわけです。(⑧)
この例えが解りやすかったどうか微妙なところではありますが、変わりたいと思った時が、最初の始まりです。思ったら、とにかく誰かに話してみて、ちゃんと挫けて、がっつり失敗して、その過程を楽しみながら進化に向かいましょうっていうメッセージでした。
変わりたいと嘆いている時よりも、進化の過程を体感できている時の方がきっと自分を好きになれます。
少なくとも、わたしは、研究を愉しんでいる自分の可笑しさが面白く思えて好きです。
リアルでは、「心の栄養」をテーマにした食体験やオーダーメイドのパーティー、フードアートの提供をしています。
もしよかったら、こちらもチェックしてみてくださいね。
その他、小山嶺子に聞いてみたいこと、お悩み、料理やアートにまつわるご質問などありましたら、コメントやレターでお知らせください。
Live,Love, Laugh, and Be…HAPPY.
2023.01.18
Mineko Koyama
サポートしていただけることに心から感謝いたします。いただいたお金は、活動資金や出版活動に利用させていただきます。