資本主義に考えること②
あんなにネガティブに考えていた資本主義も、いまはそんなに気にせず生きてる。
むしろそんなのわたしにおっきすぎる問題だし、そんなのに悩まされ息苦しくなるなら、木屋町に飲みにいってる自分の方がすきだ。
そんな資本主義の違和感を思っていたわたしだったけれど、心をかるくさせてくれる気付きがあった。
①お金を使ってくれる人がいるから、わたしがお金を使える。
大学3年生のときから数年、神楽坂の居酒屋で働いていた。
そのお店には同業者の常連さんが多かった。
近くの、カフェとか、居酒屋とか、ラーメン屋さんとか、地中海料理屋さんとか、イタリアンとか、そういうとこで働いたあとに仕事終わりでくるようなお客さんが多くいた。
わりと仲良くさせてもらっていたので、来てくれた人のお店にも自分がお客さんとしていくこともあった。
その循環がわたしは好きだった。
お店に来てくれるから売上があって、わたしもお給料がもらえる。お給料もらえるからどこか食べに行こう!って思って、いつもお店に来てくれる人のお店にいける。
お金を使ってくれる人がいるから、わたしがお金を使えるんだ。
それに気づいてから、そういうとこにお金使えばいいんだと思えてきた。
行き過ぎた資本主義はわからないけど、使う人を決めたら資本主義が悪いだなんて思わなくなった。
②結局お金って必要だ
資本主義の中で生きてる以上、お金は必要だ。
実際にいまわたしの働いている会社も出資してもらっている。
だから、会社は続いているし、わたしのお給料も払われて生活できている。
でも決して私利私欲とか、利益優先の会社ではない。
そういう目に見えるなにかとかよりも、もっと大切なものがあるよね。って思うような人たちが集まってる会社だと思ってる。
でもそんなきれいごとだけで、会社は続かないし大きなこともできない。
だから結局お金は必要だ。
持続可能な社会と謳って、地球や環境が持続可能であっても、それをする人、そこに生きる人が持続可能でなければ、それは意味をなしてないのではないかと思う。
きれいごとだけでは生きてけない。
③きれいなお金の使い方だってある
2年前に、新井和宏さんを知って、鎌倉投信という会社を知った。
(いまは鎌倉投信を退社されてeumoという会社の代表をされてる方。)
もう、本当にその出会いは衝撃的で、こんな会社、大人がいるんだと思って、涙がでるほどうれしくなって、鳥肌がたって、興奮した。
お客さまが投じたお金が「いい会社」を通じて社会の役に立つ。そして「いい会社」が成長し、豊かになればお客さまの心が豊かになる。「資産の形成」「社会の形成」「心の形成」をかけ合わせたものが、投資の果実としての「幸せ」というリターンになって還元される。これがぼくらの考えるリターンの定義です。
効率を追い求めるのは収益を追い求めるからで、それはこれまで収益が最優先になっていたからです。これからは優先順位を変えて、収益ではなく「幸せ」や「理念」をいちばんにもってくるべきだと思います。
本来、お金自体に善いも悪いもありません。「人がそれを何に使うか」で善悪が分かれるだけです。ただし、今のお金には欠点が一つある。お金になることをビジネスといい、お金にならないことをボランティアということです。
資本主義が悪いというよりは、結局どこにお金を使うか、どこにお金を循環させていくかで、社会も自分の気持ちも変わるのではないかと思うようになれた。
お金も資本主義も悪くない。きれいで、循環できるお金の使い方をしていけばいいんだと思えた。
こういう気づきから、ネガティブに思っていた資本主義に対して、最初に気づいた違和感はどこにかに消えていた。
どんなに抵抗しても、どんなにあぐらをかいても、資本主義という果てしもなく大きいルールから外れて生きるということは、わたしにはできないと思う。
だから、そのルールの中で、自分が納得できるようなお金の使い方、生き方をしていきたいなと思うようになってきた。
ああ、わたしはお金がもっとほしいよ。
そしてちゃんと社会にいいこと、いいお金の使い方したい。
わたしはどっちもほしい。
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