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人生なにが起こるかわからない。

人生ってなにが起こるかわからない、いい意味でもわるい意味でも。
自分もいい意味で変わったこともあるし、逆も然りだと思ってる。
想像してたのよりなにも起こらないこともあるし、想像できなかったぐらいのそれ以上のことが起こることもある。


生まれてはじめてそんなのに気づいたときは、中学生ぐらいかな。
憧れでしかなかった先輩と付き合うことになったとき。
他校だし、頭も良くて、生徒会もやってて、超エリートの遠い存在だったから、まさか、そんな人とそういう関係になれるとは思ってもなかった。

夢みたいな数ヶ月だった。(遠い目。。。
思ってもないことがあるもんだなと思った13歳の夏。



次にそう思ったのは、高校受験のとき。
わたしと仲がよくてわたしよりも頭のいいm子がいた。
小学生のときから塾に通っていて、期末テストでもいつも首位を争うような子。
「今回も全然できなかったよー」と自分を蔑むのが日本人のほとんどだと思うけど、彼女はいつも「今回はこんなにできたよー」ドヤってしてきて鼻につくようなタイプの子だった。
とはいえ、仲良いし、地頭力の良い子だった。

m子は市内でも1番偏差値の高い高校を受験していた。本当はわたしもその高校を受験したかった、なぜなら好きだった先輩が通っていた高校だったから。
でも、わたしの頭では学力が足りなくて、わたしはその下の偏差値の高校を受験した。

わたし「うらやましいなあ〜、受かったら先輩と同じ高校じゃん。。。」
m子「そうなるね〜いいでしょう〜!」ドヤ
みたいな会話をした気もする。

でもm子は受験に失敗して、私立の滑り止めに行くことになった。
仲の良い友達も、学校の先生も、塾の先生も、その子を知る友達のお母さんたちも、うちのお母さんも、みんな受かると思ってた。
あれだけ塾に行って、お金もかけて、お兄ちゃんもいい学校行ってる、m子が落ちるわけないって思ってた。

どんなに努力しても、いけると思っていても、それが叶わないこともあるんだ。。。と思った15歳春。



記念すべき20歳の誕生日。大人になる20歳になる日。
わたしはフィリピンで過ごした。
子どもたちに囲まれながら、生まれてきた中でいちばん美味しくないケーキ、ただ甘くて大きいだけのケーキでお祝いしてもらった。

まさか、そんな大切だと思っていた日を海外で知らない人たちにお祝いされるなんて、思ってなかった20歳春。



わたしにとって京都は観光地だった。
一回目は中学の修学旅行
二回目は高校の修学旅行
三回目は大学1年生のときに18切符で一人旅
四回目は大学卒業してから友達と二人旅。

五回目はいまの会社の様子見で
六回目来たときには、もう京都に住むためにやってきた。

京都なんて人が住んでるとこじゃないと思ってたし、祇園祭も生きてる間に一度目にできたらなと思っていた。

だから未だに自分が京都に生きてるのが信じられない28歳夏。笑



人生、努力はほどほどに必要だし、目標もないよりはあった方がいいと思ってる。
それに近づくために、毎日の積み重ねも大事だ。

ある程度は自分の努力とか、操作でどうにかなったりするし、こうなったらいいなと思って想像して生活しているけど、

それ以上のなにか大きな、運命なのか宿命なのか、見えないなにかがふりかかってきたときに、その人生はそれ以上に最高にもなり得るし、それ以下の最悪にもなりうる。


だから人生なにが起きるかわからない。
いい意味でもわるい意味でもね。
というテンションで生きている。


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