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おうち英語 vs 帰国子女 の英語習得、似ている点と互いに得られるヒント

「おうち英語」の仲間と、英語堪能な「帰国子女」の子どもたち。

それぞれのコミュニティと交流しながら、子どもの英語の成長(主に小学生)について、あれこれと思い巡らしてきました。

似ているところも、互いにヒントになりそうなところもあると感じています。

これらについて、一人の帰国子女(帰国は30年以上前)としての自分の観点も入れながら、書き出してみたいと思います。


背景:帰国子女の世界に入り込んだおうち英語っ子

本題の前に、「おうち英語」vs「帰国子女」という視点を持つようになった背景を説明します。

(本題については、次のパート「おうち英語 vs 帰国子女 の似ているところ、違うところ」に進んでください)

帰国子女ママたちとの会話

おうち英語(英語育児)育ちの娘Leahは、小4の後半から小6の終わりまでの2年半、帰国生向け英語スクールに通いました。

帰国生向けといっても、カリキュラムが帰国生仕様であるということであって、帰国子女でなくても、クラスに参加するだけの英語の力があれば、誰でも入会できます。

それでも入会してみると、我が家のような、おうち英語のみのケースは、かなりレアでした。

その英語スクールに通い始めて、1年ほど経ったある日。

スクールの前まで迎えに来ている保護者たち。子どもたちは同じクラスに参加中。たまたま4人ほどが一緒になり、お互いの自己紹介が始まりました。

「どちらの国に行かれていたんですか」
「いつ帰国されたんですか」

このようなとき、下を向いて、なるべく聞かれないようにしていた私。
しかし、直接聞かれてしまっては仕方ない。

Minnie:うちは海外には行っていなくて…。

「あ、インターに通われているんですか」
Minnie:いえ、うちは公立小で…。

「え、では、ご家族が外国出身?」
Minnie:日本人です…。

「……?」

「カリフォルニアに5年」
「シンガポールに2年」
「モスクワに1年、ロンドンに3年」

など、家族で海外に滞在した経験のあるお母さんたちを前に

「うちはおうち英語10年

と言う勇気はありませんでした。

「おうち英語」なんて、なんだか得体が知れないし、変わり者扱いされそうな気がしていたのです。

「赤ちゃんのときから、家で英語を聞いたり読んだりさせてきてね」

これがとっさに出た、精いっぱいの説明でした。

帰国生向け英語スクールの授業 = 国語としての英語

しかし今では、不思議なことではないと考えるようになりました。

我が家にとって、帰国生向けスクールという選択はごく自然なものでした。
おうち英語を続けていくと、英語環境を経験して帰ってきた帰国子女に近いところに辿り着くと考えています。

娘Leahが小3のころは、Beverly Clearyなど、英語圏の学年相応の児童書を片っ端から読んでいました。小3の終わりに英検準1級に合格するだけのライティングとスピーキングの力もありました。

小学校高学年にもなると、一般的な英語教室では、外国語としての「勉強」を進めるところが多く、おうち英語っ子には、なかなか合わないのです。かえって難しかったりするのです。

対して、私たちが帰国子女の友人に紹介されて訪れた、帰国生向けの英語スクールでは、まさに英語圏の現地校国語(Language Arts)授業のような内容、いえ、それ以上に充実した内容でした。
日本で生活しながら、日本語で教育を受けながら、英語を保持・伸長していくための工夫が盛りだくさんでした。
これが、おうち英語を実践してきた我が家のニーズにも、ぴったり合ったのです。

おうち英語 vs 帰国子女 の似ているところ、違うところ

おうち英語の進め方は、家庭の方針によって百人百様です。

帰国子女としての経験も、年齢、期間、滞在先の言語環境など、一人ひとり違います。

一概に言えることはないくらいなのですが、あえて特徴を挙げてみます。(幼児から小学生くらいを想定)

おうち英語っ子のケース

  • 日本語で生活し、日本語で教育を受けながら、家で毎日少しずつ英語にふれる(ように親が働きかける)

  • 英語にふれるときは、日本語を介さない(英語を英語のまま吸収する、親は決して教えない

  • 長い年月をかけて英語のインプットを続けて、英語のベースを作る

  • ずっと日本語の環境にいるため、英語のアウトプットは出にくいが、英語に取り組んだからといって、日本語が遅れることはない(よほど極端なやり方をしない限り)

英語が堪能な帰国子女のケース

  • 日本語を母語として育つが、あるときから英語環境での生活が始まる

  • 英語で学校教育を受けるようになると、必要に迫られて、比較的短期間のうちに英語を吸収してしまう

  • その間の日本語環境は、家族との会話や、週末の日本語補習校など限られる

  • 英語をみるみる習得し、学力は英語で身につけ、伸ばしていくようになる

  • そのうちに日本に帰国し、今度は日本語環境のなかで、日本語と英語のバランスを取っていくことを迫られる

大胆にも比較してみると

似ている点:

  • 英語をインプットする環境がある
    (おうち英語:親が人工的に作る、帰国子女: 生活そのものが英語)

  • 日本語を介さずに英語を身につける
    (基本は英語のインプットを浴びるのみ)

  • 学力が飛躍的に伸びる時期に当たるため、日本語・英語どちらにせよ、軸となる言語力(国語力)をぐんぐん伸ばし続ける必要がある

違う点:

  • 日本語環境で英語をゆっくりコツコツと吸収していくか、ある時期に英語環境に浸り(初めは戸惑いなどありながらも)目覚ましく吸収していくか

  • 母語から離れる時期があるか、ないか

  • アウトプットの機会が豊富にあるか、非常に限られるか


互いへのヒント

日本で英語を伸ばす & 外国で日本語を伸ばす

おうち英語(英語育児)とはまさに、その言語が外国語である環境で、その外国語を子どもが習得していくためのアプローチです。

なので、帰国子女の帰国後の英語、また、海外滞在中の日本語を伸ばすうえでも、適用できる部分がたくさんあると感じています。

帰国直後は、日本語(と日本語による学習)のキャッチアップが優先するでしょう。これによって日本語は伸びていきますが、それと引き替えに英語が失われていくのは仕方ないと諦めることはありません。工夫次第なのですから。

非英語環境で、英語を維持・伸長していくには、良質なインプット(リスニング・リーディング)を継続すること、これに尽きます。
年齢と理解力に合った音声・動画を視聴し、物語やウェブ記事など文章を読む習慣を持つことが最も効果的です。

アウトプット(ライティング・スピーキング)については、非英語環境で、英語環境にいるかのような条件を、コンスタントに作り出すのは大変なことです。そこにエネルギーを使うのではなく、英語のインプットを積極的に続けて、インプット内容のレベルアップを図っていく。そうしておけば、中学、高校、大学、社会人と進んでいくなかで、アウトプットの必要が生じたとき、対応できてしまうものです。アウトプットは総合力であり、インプットの蓄積があってこそ。過去に持っていたアウトプットの力が衰えたとしても、インプットの蓄積さえあれば、リカバリーが効くと考えています。

海外にいて、日本語を伸ばしていく際も、同様のことが言えると思います。

私自身は、30年以上前に小学校時代をアメリカで過ごしました。当時は、オンラインコンテンツなどありません。都会に出れば日本語の本の図書館もありましたが、子どもの日本語離れを少しでも防ごうという配慮からか、子ども向けのものは、マンガ本やアニメ動画(VHS)ばかりでした。帰国後は、やはり日本語のキャッチアップに苦労しました。フォーマルな日本語、アカデミックな日本語にふれる機会がもっとあれば、だいぶ違っただろうにと思っています。

アウトプットが出ない悩み

おうち英語(英語育児)を進めるとき、よくある悩みの1つに、アウトプットが出ない、というものがあります。毎日、英語の音をかけ流しているのに「なかなか英語をしゃべらない。本当に身についているのだろうか」というものです。

アウトプット、ここでは、子どもが英語で「しゃべる」ことをさしていますが、そのような姿がすぐに見られるかどうかは、個人差があるようです。その子の性質にも環境にも影響を受けます。

しかし「しゃべる」かどうかは、英語力の指標にはなりません。

スピーキングは慣れの部分が大きく、瞬発力も要します。それを日本語環境で鍛え続ける、あるいは練習する環境を維持するのは難しいことです。

必要性がないところに、自然なアウトプットは出ません。子どものうちは、音読の取り組み(英語を発する練習)を続けながら、徐々にライティングの取り組み(英語で伝える練習)を加えてレベルアップしていく。そうすれば、いざ必要になったとき、スピーキングは自然に出てくる、というのが私の持論です。

慣れと瞬発力でもって、ペラペラとしゃべることが「英語ができる」ことだと勘違いする人が、いかに多いことか。

多少、話し方がゆっくりであったり、ぎこちなさがあってもいい。それよりも、内容がしっかりしていて、相手に負担をかけず、きちんと伝わる英語を話す方が、知的な印象を与えますし、信頼関係を深めていくことにもつながります。
結局、アカデミックな場ビジネスでのやりとりで求められるのも、そのような能力だと思います。

自分自身の帰国直後を振り返ると、周囲の人は、私の日本語が不十分であることになかなか気づかなかったようです。話せるので一見問題がないように見えます。しかし、日本語を書くと、特に漢字などでボロが出ますし、授業中に発言する時も、フォーマルな言葉使いができないので、やはりボロが出ます。それを自覚したとき、学校では何をするにも自信がないという状態に陥った時期がありました。

英語についても、インプットを怠り、会話の練習ばかりを続けたとしたら、同じような状況になるのではないでしょうか。

会話力ではなく、良質なインプットのベースがあるかどうかが重要であり、先々ものを言うのだと思います。

今回はここまで

得られるヒントの3つ目として「母国語の大切さ」について、さらに私見を述べる予定でしたが、うまくまとまりません…。整理がついたら、また続きを書いてみたいと思います。

お読みくださりありがとうございました。

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