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『マイ・ディア・ミスター 私のおじさん』 断ち切るべき罪悪感について

ずっと気になっていた韓国ドラマ「マイ・ディア・ミスター 私のおじさん」をようやく完走。

このドラマは心優しい中年男、パク・ドンフンと、彼の部下である派遣社員の女、イ・ジアンを中心に繰り広げられる。

物語前半は、ジアンのドンフンに対する酷い仕打ちにヤキモキして、一視聴者として気持ちが落ち着かなかった。
でも、二人の心がかよい始めるにつれ、ずっと泣きっぱなし。
深く心に刺さる作品だった。

登場人物それぞれが抱えている傷や生きづらさを丁寧に描いたこのドラマには、「幸せになることを躊躇してはいけない」というメッセージが込められているのだと思う。


ここでは、韓国ドラマ「マイディアミスター」を観て感じたことについて綴ってみたい。


1.パク・ドンフン ー自分の人生を生きるためにー

パク・ドンフンは何処にでもいる平凡な会社員だ。
左遷された部署で淡々と仕事をこなしながら代わり映えのしない日々を過ごす。
それは年老いた母親、そして失業している兄弟たちを金銭的に支えるためだけではなく、家族の中で唯一「落ちぶれていない人間」として、彼らの期待に応えるためでもあった。つまり、ドンフンは自分を殺して生きている。

ドンフンの人生は側から見れば決して悪いものではない。
妻は弁護士、子供を海外に留学させている大企業の部長といえば聞こえはいい。
しかし、当のドンフンは人生がまったく楽しくない。
まさに、ミッドライフ・クライシス状態。
だが、彼は現状から抜け出す術を知らない。

そんなある日、配送業者の手違いでドンフンの元に送り主不明の大金(商品券)が届く。それはドンフンと名前が似ている会社常務を嵌めるための賄賂だった。
この事件を巡り、ドンフンとジアンに接点が生まれると同時に、ドンフン妻の不倫相手(ドンフンの上司で会社社長)ト・ジュニョンとドンフンの確執が浮き彫りとなる。結果、彼は社内闘争に巻き込まれていくことになる。

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主人公の一人であるパク・ドンフンは45歳という設定だ。
まさに「中年」真っ只中。

ところで、中年(40〜50代)とは人生において最も複雑な時期だと思う。
若い頃のように無邪気に夢を追いかけることも、無鉄砲に行動することもできない。なぜなら積み重ねた経験から「現実」が何たるかを知っているから。
かといって、悟りを開くほど成熟はしていないし、若かった頃の感覚をまだ忘れていない自分がいる。また、人生の残り時間を意識する時期でもあり、焦り、もがくも、時間だけが虚しくに過ぎていく。

もちろん、年を重ねることは悪いことばかりではない。
失ってしまった若さの代わりに得た経験値や知恵は、生きる上での大切な財産だ。若い頃と違い、考え方は柔軟になり生き易くもなる。

しかし、多くの中年は家族を支える立場にあり自由がきかない(あるいは自由がきかないと思い込む)。生きてきた時間の分だけ背負うものが増え、がんじがらめになっているのが「中年」なのだ。

そんなドンフンのことをジアンが端的に言い表す。

真面目な無期懲役囚みたい


ドンフンはぐうの音も出ない。
そして、その言葉を頭の中で反芻する。

「真面目な無期懲役囚」という言葉に悶々とする一番の要因は、自分のために生きることを諦めざるおえない状況に対する憤りだ。自分の感情を抑え込む性格のドンフンならそれは尚更のこと。


しかし、ジアンとの出会いがドンフンを変える。

無愛想な上に礼儀を知らないジアンに迷惑を被りながらも、彼女が気になるドンフン。親子と言ってもおかしくないほど年の離れた二人だが、心に孤独を抱え、自分の欲望を封じ込めて生きているという共通点もある。
そして二人は、いつしかお互いを理解し合う存在になっていく。

とは言っても、彼らが相手を思う温度には差がある。
ジアンにとってドンフンは「好きな人」。でもその気持ちは恋愛感情というより「自分を守ってくれる男」つまりは保護者のように安心感をもたらしてくれる相手への親愛ではなかっただろうか。それは大人に守ってもらうことなく生きてきた彼女が一番欲したものに他ならない。

一方のドンフンは、自分の立場を考え、安易にジアンと恋愛関係になることを自制しているように見える。確かに、ドンフンが背負っているものを考えれば、ジアンと恋愛関係になることは自分にとっても彼女にとっても最良の選択ではない。
結果、ドンフンはただのおじさんとして、彼女を見守り支える立ち位置を守り通す。が、彼にとってジアンが特別な女性であることには変わりはない。

君は 僕を救うために この町に来たんだな
死にかけている俺を 君が生き返らせた


物語終盤、ソウルを離れ釜山で人生をやり直すと言うジアンに向けて語られたドンフンのこの言葉に、彼の心情の全てが集約されていると言えるだろう。

ジアンとの出会いによって、ドンフンは自分の生き方を変える勇気ときっかけを得た。そして、ようやく自分の人生を生きることを決意できたのだ。


2.イ・ジアン ー自分の人生を始めるためにー

21歳のイ・ジアンの人生は薄幸だ。
障害のある祖母を抱え、親の借金を一人で背負って生きてきた。

幼い頃から借金取りに虐待されていた彼女は、正当防衛とはいえ、人を殺した過去を持つ。そんな彼女は、生きていくため、そして祖母を守るためには犯罪に手を染めることも厭わない。

たとえば、社内抗争で失脚のターゲットとなったドンフンを違法な手段を使って容赦なく騙し、利用し、翻弄する。
ドンフンのスマホに盗聴アプリを仕掛けたのもその一環だった。

しかし、盗聴を続けるうちにドンフンの抱える苦しみに共感し、徐々に彼に惹かれていく。そして、自分の雇い主であるドンフン妻の不倫相手ト・ジュニョンを裏切り、全身全霊をかけてドンフンの人生を守ろうとする。

ドンフンは彼女が初めて出会った 理解できる他者だった。

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さて、この物語の核となるのはドンフンとジアン、それぞれの成長だ。

たとえば、ジアン。
苦労の連続で人生に希望を持てなかった彼女が、ドンフンや彼の周囲の人々と出会い、人々の愛情に触れたことで「生きる希望」を知り、ようやく自分のために人生を歩き始めるという流れ。

しかし彼女が「生きる希望」を持つまでが長いのだ。実際に、第7話の終わりまでジアンは全く笑わない。
大人に虐待されながら育った彼女の心の傷は計り知れないほど深く、そのことがジアンの無表情によって表現されている。

個人的にはそんなジアンを見ているのが辛かった。
親の愛情を知らずに育った彼女は自己肯定感が著しく低い。たとえ大好きな祖母がいたとしても障害者の祖母は自分が守るべき存在であり、ジアンには頼るべき大人がいない。そう、生きていくためには自分が大人になるしかなかった。

そう考えればジアンが同情すべきヒロインであることに疑いの余地はない。でも、ドンフンに対する容赦ない仕打ちに物語前半の彼女に共感することができなかった。


しかし、ドンフンへの想いを自覚してからジアンは変わる。
自分を犠牲にしてまでドンフンの立場や人生を守ろうとする。

この、一途にドンフンを想い行動する姿にジワジワと胸が熱くなった。ジアンの凍っていた心が、ドンフンをはじめとする町の人々との交流によってほぐれていく姿も然り。それによって物語前半で感じたジアンへの不信感や嫌悪感みたいなものが一気に溶けた。
言い換えれば、物語前半、ジアン演じるIU(アイユ)の暗く影ある演技が、後半の展開の前振りとして効果を発揮したということ。

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ところで、このドラマの見どころの一つであるドンフンとのジアンの心の交流は、男女の恋愛感情に発展せずに終わる。
発展しそうで発展しない、その微妙なところで揺れ動く二人の関係が現実味があり、個人的には好感が持てた。

と言うのも、孤独や苦悩を抱える二人が傷を舐め合うようにお互いを支えるよりも、傷の治療方法を模索しながらそれぞれがそれぞれの人生を自分の足で歩むことこそが必要なことだと思ったからだ(傷を舐め合う状態で始まる多くの恋愛は依存関係を生みやすいと思う)。
それこそがきっとドンフンとジアン、双方の幸せに繋がる。

そういう意味で、ジアンが馴染みの町を離れ、別の土地で一から人生をやり直したことは正解だった。

実際のところ、多くの視聴者はラストシーンに見るジアンの成長に心から安堵し、彼女が実行してきたであろう幸せになる努力に思いを馳せ、温かい気持ちになったのではないだろうか。


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さて、このドラマの中でとても好きな場面がある。
それはジアンが自身のスマホにインストールされた盗聴アプリを削除する場面。

犯罪行為と知りながらも、盗聴でドンフンの生活を見守ることが心の拠り所だったジアンにとって、ドンフンの優しい声(それが自分に向けられたものではなくても)や息遣い、足音さえも愛おしかった。

「これが最後」と、心地よいドンフンの足音を聞きながら静かに盗聴アプリを削除する彼女は、ようやく今までの生き方と決別した。
それは同時に、盗聴アプリ越しに常に存在を感じていたドンフンとの「別れの決意」でもあったはず。

アプリの削除によってドンフンの足音がプツリと切れた瞬間、ジアンは一歩前に歩き出した。

新しく、そして本当の意味で自分の人生を始めるために。

幼い頃から他者のために生きてきたイ・ジアン。
彼女自身の人生はここから始まる。


3.断ち切るべきは罪悪感、そして幸せになるために

ドンフンとジアン。

私はよりどちらに共感したのだろう。
年が近いと言う意味では、たぶんドンフンだ。

実際のところ、自分を殺して生きてきたドンフンが「生きる実感」を取り戻す過程は、ある程度年齢を重ねた大人ならば誰もが共感すると思う。

家族のしがらみや愛情にがんじがらめになり、妻の裏切りに苦しみ、望まぬ権力争いに巻き込まれ、不幸なジアンに同情し支えるも、逆に彼女に助けられる。

ドンフンはこの様々な苦しい出来事を乗り越え、前に進んで行く。つまり彼は自分の人生を諦めなかった。ドンフンのように、良いこともそうでないこともひっくるめて、その経験の中から自分の幸せを探す旅が「人生」なのだろう

そして、ドンフンの親友、僧侶ギョムドクが自身の出家について語る場面では、この「自分の幸せを探す旅」へのヒントがあるように思う。

ギョムドクはドンフンに言う。

断ち切るべきは罪悪感だった


親の期待に背き、恋人や友人を捨て出家したギョムドクの心に常にあった「罪悪感」。それは自分の周囲の人々への気遣いであり愛情の裏返しなのだと思う。

でも、その罪悪感を解消するために、自分が空っぽになってしまったら意味はない。「そんな罪悪感は断ち切るべきだ」と彼は言っているのだろう。

人は一人では生きていけないけれど、結局は個の存在。
他者の期待に応えることばかりを考えていると、他者の価値観で、他者のための人生を生きることになる。

それは決して幸せな生き方ではない。他者の期待に応える前にまずすべきことは、「個」として内力を鍛えることなのだ。

結果としてそれが自分のみらず他者をも守ることに繋がる。つまり、自分が幸せでなければ他者を幸せにはできないということ。


心優しく誠実で責任感の強いダンフン。
彼に関して言えば「罪悪感を断ち切ること」こそ必要だったのだと思う。


すべては、自分が幸せと思える、自分の人生を生きるために。


トップ画像:tvN公式サイトより http://program.tving.com/tvn/mymister

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