読書漫筆2:辻村深月『凍りのくじら』

【注意:本の内容に関する記述を含みます】

 ドラえもんの道具で何がほしいか、と聞かれたら、自分ならなんて答えるだろう。
 先月までならタイムマシンと答えたかもしれないが、金曜ロードショーの「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズを観てそれはやめにした。未来のことを知ったところで、これから先の言動ひとつで、どこでどう変わるかわからないし、うっかり過去を変えてしまうのも困る。
 だとしたら、もしもボックスだろうか。いま自分が生きているのとは違う世界を「お試し」できて、やっぱり元の世界に戻りたいと思えばすぐに戻れるという気楽さ。
 でも、それで作られた「いつでも元に戻れる」世界、ずっとそこにいなくてもいい世界で、私は自分の振舞いに責任を持てるだろうか、その世界にいる人たちに対して真っ当な向き合い方ができるだろうか、とも思う。

 もちろん現実にはそんな世界を作ることはできないので、私は自分のいまの生活に、そこで接する人々に、それから自分自身に対して、責任をもつことになる。そこがいま、本当に自分のいるべき場所だとは思えなかったとしたら、いるべき場所を見つけようとすることも、つまるところは自分のために自分でやらなくてはならないことだ。

 辻村深月さんの『凍りのくじら』は、自分のことを「少し・不在」だと感じていた少女が救われる物語であると、そう紹介したい。
 読み始めた時、こうも好きになれない主人公というのもなかなか珍しいなと思った。
 主人公の理帆子は、どこにいてそこを自分の居場所と思えない、だから、自分は「少し・不在」なのだという高校生だ。「ドラえもんの作者である藤子・F・不二雄先生が、その作品をSF=『すこし・ふしぎ』と称していたこと」にちなんで、理帆子は自分もふくめて人の特徴を「少し・ナントカ」と名付ける。彼女はよく本を読み、賢い。その反面、現実感が薄い。少し現実のほうにエネルギーを傾けて考えたら、自分を「少し・不在」にしてしまっているのは、何よりもその自分の傲慢さと諦念だと気づくだろうに。自分の感じている息苦しさは、まるきり同じものではなくても、ほかの人も持っているものかもしれないと想像するに至るだろうに(とはいえ理帆子をこんなふうに非難する時、私自身のことを棚に上げているのは否めないが)。

 そういう主人公の登場に初めは戸惑ったが、それでも読み進めようと思った理由のひとつは、彼女がきっと救われるはずだという予感が最初に提示されていて、その実現を私も願っていたからで、もうひとつは、その過程でキーとなっているのが、彼女の好きな「ドラえもん」だったからだ。

 物語の各章にドラえもんのひみつ道具の名前が付けられていたり、要所要所でドラえもんのエピソードが引用されたりしていて、主人公と同じようにかつてドラえもんの漫画やアニメに夢中になっていた読者には懐かしくてたまらない。どこでもドアやタケコプターはもちろん、もしもボックス、ムードもりあげ楽団、先取り約束機。すて犬だんごを食べたのび太が家に帰れなくなったり、どくさいスイッチが実は独裁者を懲らしめるための道具だったり。大長編の海底奇岩城や魔界大冒険。そんな思い出深いエピソードをいとおしんでいるうちに、気づけばストーリーそのものにも引き込まれているというのが、この作品のおもしろいところだと思う。そういうひみつ道具やそれにまつわるエピソードは、もちろん何の脈絡もなく引用されているわけではない。序盤、理帆子が「テキオー灯」の名前を思い出せないシーンに違和感を覚えたのも(というのは、テキオー灯は大長編でも活躍するひみつ道具であって、それなりにメジャーだと思われるからなのだけれど)、終盤を読むと無意味なことではなかったとわかる。

 理帆子が「少し・不在」であるのは彼女自身の傲慢さや諦念がそうさせていると書いたが、彼女がそういう態度をとってしまうこととおそらく無関係ではないのが彼女の家族との間の出来事、特に父親の失踪という事実で、これは作品の頭から通奏低音のように流れ続けているのだが、その父親についてのことと作中の様々なものごととのつながりがすべて明らかになるのは、上にも書いた「テキオー灯」の意味がわかる瞬間と重なっている。その「テキオー灯」の光――暗い海の底や宇宙の遥か彼方を照らすような光が、結果的に理帆子を救うことになる。この仕掛けには胸を打たれる。

「私は一人が怖い。誰かと生きていたい。必要とされたいし、必要としたい」
 そう願った時、彼女は「少し・不在」ではなくなった。自分を照らしてくれたのと同じ光を、今度は自分が届けたいと思うようになった。
 自分の生きる現実の世界を、ちゃんと自分のものとして生きられるようになったことで、理帆子は救われる。彼女を照らした光をきっかけとして、でもそのあとは、彼女自身の意志と力で。
 このラストを私は心底うれしく思った。好きになれないと思っていた主人公を含めて、この物語がとてもいとおしかった。
 
 読み終えて、自分もどこか救われたような心地でいる。
 いま自分が現に生きている場所で、必要とされ、必要とすることができるように、願ってみてもいいのかもしれない。たまにはもしもボックスで別の世界に行くことぐらい想像させてほしいけれど。

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