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ガッタンピを知らない子供たち

君はガッタンピを知っているだろうか?

もしご存じであるのなら、君は私と出自を同じくする、選ばれし者かもしれない。

自分のなかでガッタンピというのはごく一般的なワードだった。だから自然な流れで「ガッタンピのときはさあ……」なんて、何気ない会話に出してしまうことがある。

すると相手はひどく怪訝な表情を浮かべ「ガッタンピって、なにそれ?」と聞いてきたりする。

なんだ君は、ガッタンピも知らないのか!

そうやって相手の無知をあざ笑うのだが、よくよく考えてみれば知らなくて当然という気もしてくる。

実際にGoogle検索をかけたところ、ヒット件数は見事にゼロであった。これは逆に、なかなか珍しい事象ではなかろうか。
(ちなみに平仮名で「がったんぴ」と入力したら、類似する字面のTwitterアカウントなどが出てきたが、この「ガッタンピ」とはまったく無関係だ)

さて、その「ガッタンピ」とは一体なんなのか。

それは「失われた通過儀礼」である。

『通過儀礼』とは、子供から成人社会の仲間入りをしたり、結婚や出産、または死に向かう際(つまりあるカテゴリーから違うカテゴリーに移行するとき)に行われるイニシエーション、儀式である。

こうやって「通過儀礼」なんていうと、なんだか大仰で、神秘的あるいは部族的な匂いが漂ってくる。まあ実際にキリスト教の洗礼、他には断髪、割礼といった、あからさまに儀式ぽいイメージが浮かんでくる。
けれども例えば卒業式、成人式、結婚式、銀婚式、お葬式など、およそ式と名の付くものは本来すべてこれなのであり、現代においても意外と身近なところに通過儀礼はある。そして「〜式」のように、ちゃんと形式として確立されていないものもかなりあるのだ。

では、ガッタンピとは具体的にどんな通過儀礼で、どうしてそれは失われてしまったのか。いい加減もったいぶらず、ちゃんと説明することにしよう。

まず君は、箱ブランコというものをご存じであろう。

……なに、箱ブランコなんて知らない?

そんな君は、さてはかなり若いな? 平成ジャンプみたいな世代か? いやそんな世代よりもっと若いのか?

ちくしょうめ、私は昭和生まれのおじさんです。

まあそれはいいとして、本当に分からないのならググってくれ。さすがに箱ブランコは出てくるだろうさ。

……出てきたね? まあこれは、ちょっと前まで普通に公園に置かれていた、いたってメジャーな遊具ですよ。

まず滑り台、それにジャングルジム、ブランコ、シーソー、そして箱ブランコ。それなりの規模の公園なら、こうした遊具は大体揃っていたように思う。

ところが、いつしかPTAとか文部科学省とか、よく分からないけどその辺の人が「キケンで危ない!」ということに気がついて、箱ブランコやシーソーはおそらく全国で一斉に撤去された。
おぼろげな記憶では中学生くらいにはもう完全に地元の公園から姿を消していた。

まあ実際に当時のキッズたちの運用方法は「キケンで危ない」ものであったから、仕方ないといえば仕方ない。

そして箱ブランコを使った最もデンジャラスな遊戯が「ガッタンピ」だったのだ。

うちの地元の学区は広大なマンモス団地に覆われており、その敷地には公園が点在。箱ブランコも数多くあった。だから全盛期には、そこかしこでガッタンピが行われていた。

まず箱ブランコというものは、例えば誰か保護者的な立場の人に後ろからゆらゆらと揺らしてもらう。もしくは座席に向かい合う二人(子供なら四人)が箱の底を足で押すように交互に体重をかけ、それで箱が揺れる。そうやって、わりあいに牧歌的な楽しみをする遊具なのだが、活発な小学生男子にはそんな使い方は当然物足りない。あまりにもスリルと興奮に欠ける。

そこで生み出されたのが、ガッタンピである。

両方の座席の後ろの背もたれ(むき出しのパイプだけど)に一人ずつ立って、箱の上部のパイプを手でつかむ。そして思い切り足を踏ん張って体重をかける。それを反対側のもう一人と交互に行っていく。当然ながら箱ブランコの箱部分は次第にすごい勢いで揺れはじめる。立って漕いでいる二人は、油断すると後ろに吹っ飛ばされる。それくらいに激しく漕ぐのだ。

やがて限界までスイングした箱ブランコの座席上部のパイプや金具がぶつかり合い、ガッタン! と恐ろしい音を立てる。スリルは抜群、興奮すること間違いなし。

しかしそれでは「ガッタン」ではないか、「ピ」はなんだ? そう思われる向きもあろう。実際のところ私もそう思う。しかしいま思い出すと「ガッタン」の後に、なんとなく「ピ」という感じで揺り戻しがあった気がする。だから「ガッタンピ」なのだ。とにかくうちの地元では圧倒的にガッタンピだった。

そしてそのガッタンピは、一つの通過儀礼として機能していた。少なくとも、うちの小学校ではそうであった。

例えば高知の四万十川沿いに生まれ育つ少年であるのなら、飛び込み台のようになっている岩場から川淵に飛び込んでみせる。それを成功させれば、一人前の小学生児童として周囲に承認され次期ガキ大将の候補としての資格が得られる通過儀礼。そういう仕組みのところを、自然環境に乏しいベッドタウンに育った我々は公園にある箱ブランコによって行っていた。そういうことであろう。

まず小学校の一、二年になると、志願者はガッタンピが行われる箱ブランコの座席にひとりずつ座らされる。この際に重要なのは、横向きに座ること。それで座席の横に両足を出す。ここで絶対に普通に座ってはいけない。箱から外へ吹っ飛ばされたり、金具に足や手を挟まれる。ここのところを先導役の上級生にまず注意される。「間違ったら大けがするし、下手すると死んじゃうかも」って。それが恐怖のはじまりだ。

いまでも私は、そのイメージがつよく残っている。
「ガッタン!」という衝撃音と振動、その後の「ピ……」をすぐ耳元で聞いた。目の前で激しくぶつかり合う鉄製のパイプ、ところどころ剥げ落ちているペンキ塗料。そして天地がひっくり返るような重力、浮遊感を全身で味あわせられる。自分が宇宙空間に浮かぶ地球で生きる一個体であるという感覚を初体験する。心臓がキュッとなって息が詰まるスリル。それから先導役となった上級生の半ズボンとTシャツからにょっきり生えた浅黒く長い手足の力強い(小学校二年からはそう見える)躍動感。そこに年長者への畏敬を否応なく抱かされ……というような、おそろしくも原初的なイニシエーションだったガッタンピ。あれはまさに通過儀礼だった。

そして明晰なあなたならすでに察しているかもしれないが、ガッタンピは一方的に施されて終わるものではない。

じつは施す側、先導役になることも含んでの通過儀礼なのである。

当然ながら漕ぐ側の方が要求される能力は多い。どうしたって漕ぐ方が圧倒的に危険でもある。だからガッタンピを可能になるのは、早くても小学校四年生くらいから。それくらいにならないと身体が追いつかない。そして二人一組でやらないことには本格的に激しく「ガッタン! ……ピ」とはならないから、誰かとバディを組む必要がある。

つまりガッタンピの先導者となるには資格がいるのだ。
身体能力、友情、そして下級生を自ら導いてやるという人徳、それに伴うコミュニケーション能力、それらがすべて備わっていなければ、先導者たり得ない。そこらへんの条件からも、これは厳粛な通過儀礼だといえる。
 
小学校四年生くらいになって、私はやや低め(前から四番目とか)ではあるにしろ、それなりに身長も伸びてきた。そして当時よく一緒に遊んでいたエンチとコツコツ特訓を重ね、ついにはガッタンピの体得に至ったのである。

その過程はまさに血の滲むような努力の放課後であった。何度か後ろに吹っ飛ばされたり、逆にエンチを吹っ飛ばしたりしたことを覚えている。

そして我々バディは学校帰りに立ち寄った公園で、格好の対象である小学校二年生らしい二人組を発見した。

「ガッタンピやる? おれたちできるよ」

そうやって声をかけて、まんまと彼らを一人ずつ順番に箱ブランコに押し込んだ。座席の後ろに立って、いよいよ漕ぎはじめる。全身を使って箱ブランコを勢いよく揺らしていく。特訓の甲斐もあり、エンチとの息もぴったり合っている。これで無事「ガッタン! ……ピ」までいけば、ようやく我らも立派な小学生高学年として振る舞える。あの日見た名前も知らない上級生のように、一人前になれるのだ。

……ところが!

最初の一人はまだ「ガッタン!」までいかないところで「コワイ! 危ない! 止めて!」と泣き出しそうになって中止。

次のもう一人は明らかにビビっているのに小賢しそうな表情でそれをコーティングして「これやったらいけないって、先生とお母さんにも言われてるから」とチャレンジ自体を土壇場になって拒否。

いまにして思えば、その頃もうすでにガッタンピという伝統儀式は下火になっていたのだろう。

そんな彼らに無理強いをするわけにもいかないから、私とエンチはその場を立ち去った。先導役を果たせぬままで。

「最近の小二は、情けないな」
「ああ、まったくだ。おれらが小二の頃はさあ……」

そうやって軟弱な世相を嘆き、若輩者に憤慨した小四の思い出。

それから間もなくして箱ブランコの一斉撤去も始まったのだろう。私とエンチは、ついにガッタンピの伝道者にはなれずじまいで終わってしまったのだった……。

そういうわけでガッタンピというのは、もうすでに失われた通過儀礼で、どうしたって復活することもない。ただ少しの期間だけ、あの地域に根付いていた儚い伝統であったのだ。

その記憶を掘り起こされ、私はなんだか泣きそうな気分になっていた。

「でさ、そのガッタンピってのは……」

そうやって電車のなか、妻を相手にまた私はガッタンピの話をしていた。

すると前の駅で乗り込んできた同年代と思しき男が、こちらをじっと見つめていることに気がついた。

「あ、あんた! いま、ガッタンピ、ピ、ピって言ったよなあ!?」

そう言いながら、いきなり凄い勢いで近づいてきて、その男は私の胸ぐらをつかんだ。

「え、いや、言いましたけど。ガッタンピって……」

突然の出来事に動揺しながらも、私は答えた。

「……お、おれはそれを、ガッタンピを、ガッタンピをとうとう受け損なったんだあ!!」

男は私をガクガク揺さぶりながら叫んで、ついには泣き出した。

「ガッタンピ、ガッタンピさえ受けていれば、あの日、最後まで我慢して……。そうしたら、あいつも……おれだって、今頃は……」

私の胸にすがりついて泣きじゃくっているこの男は同年代、すこし下くらいだろうか。

「あ、あんた、もしかして……?」

……そうだったのか。こいつも、あれから苦労したんだな。そこで私は悟った。

立場は違えど、彼の無念さはよく分かる種類のものだ。私もエンチも、ガッタンピの先導役さえ最後までこなせていれば……。

ああ、エンチ。ここにガッタンピを受けたがってる奴がいるぞ。やっと見つけたんだ。エンチ、君はいまどこにいる? まだあの団地の、あの棟に住んでるのか? もういい歳になったけど、おれたちまだ箱ブランコなんて余裕で漕げるよな。もう一度、ガッタンピくらい、やってやれるよな。でもさエンチ。箱ブランコ、もうどこにもないんだよな……。

「わけが分からない」という顔をしている妻と他の乗客たち。しかし遠いあの日に出会っていたらしい同郷の男と一緒に、そこで私も泣いた。


 


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