横顔あみ

場末の街、ネコのいる居酒屋

旧国鉄の改札を出ると、そこは駅前広場。
噴水もあって広々としているのだけど、どこかうらぶれた雰囲気が漂っている。ここが東京の外れだからだろうか。

ひと昔かふた昔くらい前によく見られたレトロな噴水は、季節外れで枯れている。藤棚にはなにも絡まっておらず、ただ梁がむき出しになっている。その下にある、年季が入って朽ちかけた木製ベンチ。
どれも古びて、うす汚れているように見える。

そういったパーツそれぞれが、この独特の雰囲気、いわゆる「場末感」を構成・演出しているように思われた。

ここは東京の、北の外れ。

駅前をせわしなく行きかう、または広場で所在なげにたたずんでいる人々。彼や彼女たちもまた古びてうすら汚れているように見えるのは、気のせいだろうか。

どうも私の目には、すっかり「場末」というフィルターがかかってしまったようだ。

もっとも、そんな自分だって広場の植込みに腰掛けて、気の抜けた表情で煙草をくわえてスマホをいじっているのである。私自身も「場末」の構成要素の一つとなっているに違いない。

そんな場末フラクタル。

私だって、それなりに古びて汚れてもいる。最近は自覚も出てきた。

折角なのでスマホの辞書アプリを引いてみる。

場末…“都市の中心から離れた(ごみごみした)所“『新明解国語辞典』

ああ、なるほど。たしかに中心部から離れて、ゴチャゴチャしている。
まさにここは場末じゃないかと納得する。

そして私もやっぱり場末的な何かなのであろう。いかにも投げやりな煙草の吸い方を意識してみる。

じつは、そんなに悪い気分ではないのだ。

ここらに漂う場末感は、それなりに殺伐としつつも、どこか気安い。身を置いていると、なんだか気が楽になる。いつしか安らぎさえ感じるようになっていた。

駅前広場から線路沿いの狭い通りに入っていくと、ゴチャゴチャと小さな飲み屋が連なっている。

この一角にある飲み屋に、ここ数年の私は通っている。

へたってくすんだ紺色の暖簾をくぐると、調理場を中心にコの字型のカウンター。狭い店だから7、8人でもう一杯なのだが、そんなに混んでいることは珍しい。大体は一番奥の隅の席が空いていて、自分はそこに座る。

お通しをつまんで、なんとなく飲んでいるうちに、二階に続く階段から、一匹の白ネコが降りてくる。

顔は太っていないから一見すると分からないのだが、このネコはかなり立派な体格をしている。お正月の鏡餅のように白く、どっしりとした存在感がある。店の老主人が自分に甘いのをいいことに、このネコは普段の食事に加えて日に何度でもカツオ節をねだる。それでどんどん余剰に育っていく。

私の隣の席が空いていればネコはそこに飛び乗って、身体を丸くする。しかしその身体がデカいので、店の小さな丸イスにはもう乗りきらない。

だから乗りきらない前足を、私の膝にそっと置いてくるのだ。

なんとも不遜なネコである。でもいつからか、このポジションが私にとっても自然なものになってしまった。

たとえば隣に見知らぬ一見客が座っていて、ネコが居場所を探して足下をウロウロしているとどうも落ち着かないし、あきらめて二階にまた上がっていったり外へ出ていってしまうと残念な気持ちになる。とうとうネコが隣に来ないままにその日の飲食を終えると、ひどく損をしたような気さえするのだ。

ネコを手懐けているようで、すっかり私が手懐けられていた。

ズボンの生地越しに伝わる彼の前足の重みと体温が、うらぶれた私の慰安となっているのだった。

「ほんまによう懐くねえ。ちょっと珍しいわ」
厨房に立つ店のおばさんがカウンター越しにこちらをのぞき込んで毎回言ってくる。それも自分をすこし得意な気分にさせる。

ネコにモテるというのも、まあ悪くない。

そうやって店ネコが隣について落ち着いたところで、飲み物と適当なツマミを追加注文する。

この店も外見は小汚く古びているのだが、出てくるものは色々とこだわりがあって美味いし、なにより会計が安い。たとえ場末であっても、いい店はいい店として存在する。当たり前の話ではあるが。

やがて気分よく酔いが回りはじめる。
黒ホッピーなど飲みながら、手元のネコを好きなだけなで回す。

「あんたニャ参ったニャー。おいらを仲間にして冒険に連れていってくれニャー」

……たしかこんなセリフを、灯台守のホビットみたいなおじさんと暮らしているネコが言うのだった。

そうやって仲間に加わったネコのステータスを見ると、信じられないくらいに強い。でもそのネコを仲間にするためには、まずは戦って勝たなきゃいけない。

敵として襲いかかってくるネコは、魔界の城で待ち受けるラスボスよりも、そのラスボスよりさらに数段強い裏ボスよりも、格段に強い。つまりゲーム中で最強のキャラなのだ。こいつと戦って勝つためには、パーティのレベルを99までカンストさせ、その上で入念な戦術を練らねばならないとされる。とにかく灯台にいるネコは、それくらいに強かった。

「でもそんな強いなら、仲間にした時点で他にもう戦う相手がいないわけだし、あんまり意味ないんじゃないの」

当時夢中になってネコを仲間にしようとした自分に対して、そんな突っ込みを入れたくもなる。

でも、それでよかったのだ。とにかくべらぼうに強いそのネコが、隠し要素とか裏技で仲間になる。そこにロマンがあったのだ。ドキドキもワクワクもしていた。

なにせ小学生男子というものは「最強」という概念に激しく興奮するものである。とにかく最強、最強が一番最強に格好いい。そして「裏技」「隠し要素」……その甘美な響きに魅了される。あの頃、ほとんどの小学生男子はそういう価値観で生きていたのではないか。

そんな最強キャラが、ゲーム中盤で訪れる港町の灯台で、ひっそり何の野心も持たずに暮らしている。そこがまたロマンではないかと、いまくたびれたオッサンと成りつつある自分は思う。

なんでもない、世間やメインストリームから外れたり遠い所にいる、取るに足らないと思われる存在が、じつは最強の力を持っている。そんな構図に心をかき立てられたりするのは、現在自分が場末酒場のカウンターに沈み込みようにして酒を飲んでいるから……なのだろうか。

「いつか訪れたドット絵で描かれた、ゲームのなかの港町。そこも一つの場末であったのかもしれない」

そんな文句を頭でこねくりながら珈琲焼酎の黒ホッピー割りを飲んで、本当は魔王より強いかもしれないネコを片手でなで回している。

あの港町にも、こんな酒場はあっただろうか。あったような気もする。ひっそりネコと暮らす灯台守りのじいさんだって、時々はそこで一杯引っ掛けに行ってるんじゃないか。

主人公がネコを仲間にして去っていったとき、あのじいさんは一人になってしまう。それに耐えられるのだろうか。ドット絵で描かれていた世界で孤独に生きる彼の運命を私は案じる。最強のネコは、気まぐれに世界を蹂躙した後で彼の元に戻るのだろうか。

「ポートセルミの灯台にいるネコが、ある条件を満たせば仲間になる。ネコは魔王ミルドラース、さらにエスタークよりも格段に強い、最強の存在である」

しかしながら、このロマンあふれる裏技、隠し要素は現実には存在しないものだ。

その噂は小学生だった自分の周囲でまことしやかに広まっていたが、完全なるガセネタであった。改めてネット検索もしてみたが、灯台のネコが仲間になるなんて情報はどこにも出ていない。

それでも駅前の書店で立ち読みした『大技林』とかいう名前の、とにかく分厚い裏技大全集みたいな本で、その記事を実際に目にした覚えがある。
「おれ前にあのネコと戦ったけど、超強くて全然勝てなかった」って同じクラスのオノ君だって真顔で言っていた。

とにかく記憶というものは、わりとすぐに改変されたり、気軽にねつ造されたりするものなのだ。本当の事なんて何も分からない。だから場末の飲み屋によくいる見え透いた嘘ばかりつくオヤジをあまり責めてはいけない。自分だってそのうちそうなるような気もするし、もうなっているのかもしれない。現にこうして場末の飲み屋で飲んだくれているのだから。

「今日はよう飲むね。大丈夫かね?」

飲み物を頼むと、カウンターの中からおばさんが声をかけてくる。

「なんやあ、男一匹、そのくらい飲んでも屁でもないわなあ」

テレビで流れている鬼平犯科帳を見ていた老店主がそういって、飲み物を持ってきてくれる。この夫婦の関西弁のやり取りも面白い。膝に置かれたネコの前足が生温かい。ポートセルミの灯台守のじいさんも、この店に飲みに来たらいいと思う。

「仲間にしてくれニャー」なんて実際に声をかけられたことはないのだが、その辺にいるネコは寄ってきて、すぐに無防備な姿をさらす。

たとえば旅先で。

あと最近だと、気分がクサクサすると(つまりほぼ毎日)真っすぐに職場に行く気にならず寄り道していく神社。そこの賽銭箱の後ろに毎朝いるネコだとか。

みんな何となく私の側に寄ってきては頭をこすりつけたりする。私は彼らの眉間や耳の後ろから全身をほぐし、さらに何らかのパワーを注入してやる。あたかも注入してやっているような気に自分ではなっている。

きっと神通力とか気功とかヒーリングだとか、そういった特殊能力が自分には備わっているのだ。ネコたちは、その力に引き寄せられているに違いない。私の掌や指先から放出する神秘的な力によって、なにかしらのパラメーターを回復させたり、MP的なものを補充しているのだろう。

アルコールとゲームにすっかり脳を侵された私は、そうした自己設定を半ば信じ込んでいる。

考えてみれば、ドラクエ5の主人公もそういう力を持っていた。すると自分も伝説の魔物使いになれるかもしれない。そして世界を救うことになるかもしれない。まあ頼まれれば、救ってやらないこともない。とりあえずビアンカとフローラをダブルで持ってこい。

ところで回復を終えると、ネコたちはさっさと立ち去っていく。メーターさえ戻ったら後はもう用無しだというばかりに、プイと無情に去っていくのである。尻の穴をこちらに向けて。

まあ基本的にネコはドライで自己本位な生き物だ。現にいま自分の膝に手を置いているこいつだってそうだ。

「なんやあ、お前、お客さんにまた甘えて。オカカいらんのかいな」

老店主の発した「オカカ」というワードに反応して、ネコはハッと顔を上げる。それから丸イスからサッと降りて、「ニャーン」と甘えた声を出して老店主の足下にからみついていく。

「よしよし、オカカやで」
ネコの心を奪って満足そうな店主が床にこぼしてやったカツオ節をハグハグと夢中で食べる。もうカツオ節しか眼中にない。

とにかくカツオ節が食べたい。それがまず第一で、その次か、またその次くらいに私の気功的パワーもしくは単なるマッサージによるリラクゼーションという順位づけなのだろう。

つまりネコにとって、この店にいる人間は機能でしかない。老店主はちょっと甘えてみせればいつもカツオ節をくれる重要不可欠な機能であり、私などは定期的にやって来る移動式マッサージ器くらいのものだ。

優先順位と利害関係がはっきりとした、したたかな個人主義でネコたちは生きている。別に主義でやってるわけではないだろうが、とにかく彼らはそういう生き物だ。互いにあまり過剰な期待をせず、ほどよい距離で付き合えばよいのだ。

なんて偉そうにネコについて語ってみたくなるわけだが、実際のところ私はネコを飼ったことはない。いつもネコはそこら辺を通りすぎるだけ、あるいはネコの周囲を自分が通りすぎ、つかの間に触れ合う。私はそんな行きずりでアバズレた軽薄な関係だけをネコと結んできたのだ。なんて書くとちょっとエッチだけど、あくまでネコの話だ。

ネコがしゃべるという着想、妄想あるいは幻聴の類いというのは古今東西語られている。江戸の怪談噺、落語でも幾つかそんな話があった。

そういえば我が敬愛する百閒先生も、ネコが不気味にしゃべる不安神経症的な話を書いていた。そんなことをツラツラと思い出す。

なるほど気まぐれなネコの表情を眺めていると、いかにもしゃべり出しそうな気がしてくる。なにも考えていないようで、なにか人間めいた感情の動きが感じられるような。

「いやあ、まったくそれがネコの魅力ですよね」って、無理やりにまとめにかかっているのは、ちょっと面倒になってきたから。酒を飲みながら片手にネコ、片手にスマホで「ネコ」と「場末」について文章を打っている。そんなマルチタスクも結構しんどい。

と、ここでいまさら断っておくのだが、別に私は「ネコ好き男子」アピールをして「ネコに弱い女子」の歓心を引こうとしているわけではないのですよ。最近の自分はとにかく草臥れて、女子の歓心を引くとかそういう気力も枯れている。こうして場末の酒場でネコをなでることだけが楽しみの、零落した毎日を送っている。

そんな零落した私であるが、通りすがりのネコたちは私の気功的パワーに引かれて寄ってくる(本当ダヨ)ので、ネコ話のネタとか撮りためた写真なんかも結構あるんですよね。

「ね」って、誰に語りかけているか自分でも分からなくなってきたけど。

たとえば『ネコのいる宿屋』なんて続編は、すぐにでも書けるだろう。

山陰地方の温泉街の、むかしながらの湯治宿にいるネコ。この宿には、もう何度も泊まっていて、その度に彼と顔を突き合わせている。そういえば、こいつも白ネコだ。自分は白ネコに縁があるのかもしれない。

白猫は一説には「死の象徴』とされて不吉らしい。難しい病人も多いだろう湯治宿にそれはどうなの不吉! と最初は思わなくはなかったが、まあいいやと部屋に入れてしまった。というか自分を人間で、宿の従業員(それかむしろ主人)だと思っているのか、引き戸を開けて彼は勝手に入ってくる。

今度のゴールデンウィークには、またその宿に行く。1週間くらい滞在する予定だ。実際、それだけを支えにして現在の自分は生きている。もし休めなかったら会社なんか辞めてしまう。なにせきつい。ひたすら面倒くさい業務と職場環境よ。これは呪いです

まあ元から自分には会社勤めなんて向いてない。だから個人の資質の問題なのかもしれない。じゃあ何が向いてるかって言われると、向いてるものなんてこの社会にないかもしれない。純粋にシンプルにダメ人間なのですよ自分は。

でもネコには好かれるよ。ということは心根がきれいなんですな。きっとそうだね。そうに違いないよ。それか伝説の魔物使いになれる資質。やっぱそれだ。まあとにかく何が言いたいかっていうと会社行くのがもう本気で怠い。温泉に何連泊もしたら、やっぱり会社なんて辞めちゃうかも。憑き物が落ちるように無職になっちゃうかもしれない。あれ、温泉行けなくても辞めるし、行っても辞めちゃうってことか。これはパラドックス? ジレンマ? 違うか。あーあ、どうする人生。

「そんなの知らないニャー」きっとネコは言うだろう。

まあ無職になったらなったで、なんかこういう記事をひたすら書き飛ばして変な民話的スポットとかもっと行き倒して、レポート記事とかポエムとかSF私小説を毎日のように更新。それで生活する人になろう。

え、なれんの? 教えてよイケハヤ師。でもなれたらいいな。あんな夢こんな夢……高知に移住しようかな。いまさら。いや逆にいまこそ。あっはっは。

いっそネコを捕まえて三味線でも作る人になるか。そんな職業いまどきあるのか。まあどちらにしろネコにうらまれそうだし気が弱い自分にはできませんね。でも一人でできる仕事がやっぱりいいよな。むかしから集団行動とか無理だった。この歳になってまで何をか言わんや。でもつらい。ああ、働き方改革とかベーシックインカムとか新しい時代カモン、ウェルカム万歳三唱。とにかく私は家にいたいんだ。あと平日の昼間から商店街を練り歩いたり図書館や公園で呆けていたい。でもだらけてばっかりだと絶望的にダメ精神になって文章も結局つまらなくなりそうだから週2くらいで労働してやらないこともないけど別にしなくても自分的には大丈夫だとは思うしつまりいまの仕事なんて副業くらいで丁度いいと思うのよ本当に。

自分の本業としてはこうして場末の(しかし人情味のある)酒場で飲んだり内省モードに陥ったりして、そこで得た霊感を翌日の昼間に二日酔いの脳のまま喫茶店の暗がりで書き飛ばしたりとかね……。

まあ、そういうわけで、どうぞ「スキ」もしくは「課金」じゃないや「サポート」とか、とにかくその辺りを適当にクリックして、よく分からないけどSNSとかにも拡散をよろしくお願いします。さしあたって来月から定額のマガジンを始める予定ですオンラインサロンも同時開設しますクリエイティブでポジティブでスピリチュアルなサークルです皆さんどうかふるってご参加下さいウソです御免なさいすいません。

「オイコラ。人生、甘くみてんじゃねーよ」

私の膝に手を置いて寝ていた店のネコが、こちらを見上げて言った。
店ネコはカツオ節を食べ終わって、いつの間にか定位置に戻ってきていた。

「お前に説教はされたくないな」
私は店ネコの首の後ろをククッとつまんでやる。

店ネコは「ああ……」と満足そうな表情になり、恍惚の余韻に浸りながらも言う。

「お前はとにかくこうして、おれのマッサージを続けたらよいのだ」

それでも生活というものを考えなくてはならないのが人の身の世知辛さである。それからまた私はしたたかに酔った。いつの間にか店ネコは二階に戻っていた。

お読みいただき、ありがとうございます。他にも色々書いてます。スキやフォローにコメント、サポート、拡散、すべて歓迎。よろしく哀愁お願いします。