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短編『牛丼屋にてベルがなる』

僕にはかつて、松屋を愛してやまない友人がいた。曰く、その”ちょうどいい”感じが、いいのだそうだ。それである日、彼行きつけの松屋に足を運ぶこととなった。なんというか常連らしいのであった。一応コンプラのこともあるから”とある牛丼屋”ということでもいいぞ、などと言っていたけど…なんのことやら。

さて、事前の彼のアドバイスは、シチュエーションとして”さっぱりした”感じ、気持ちとしては”最初だが、最後の覚悟で”ということだった。高級フレンチに行くわけでもないのにさぁ、なんだかさっぱり分らない…まあ彼が言うのだし有り難く聞いておくか、などと回想していた。すると本当に温泉にでも入った後みたいな、さっぱりとした気分で颯爽と彼があらわれた。

あと言い忘れていたのだが、今どき珍しく西郷隆盛に憧れているらしくシンプルな角刈り風なので、僕はてっきり私服もそれに合わせて来ると思っていたのだが、案外ふつうだった。

それで入り口が開くなり、バイトの店員に”大将いつものぉ”と言わんばかりの態度で
「豚骨ラーメン二人分、ニンニクマシマシ。」
というのである。バイトは少し困り顔で
「大変申し訳ございませんが、うちはラーメンはやっておりませんので…」
「じゃあ野菜ありますか?野菜系で」
と少し普通の声量で言った。

僕はこの一連の流れを、傍観していた。彼の日頃の態度から、さもありなんと思っていた。

「なぁ、いいだろぉここ。俺の行きつけなんだ。俺さぁ、飯作れないからいつもここで食べてるわけ。でさぁうまいのよ。いつも腹減ってるからね。やはり肉体労働は体に悪いね。」
僕はゆっくり頷いた。

いつまでたっても来ないのにしびれを切らして、彼はベルを二回鳴らした。
”チリン、チリン”
と、辺りに冷たい金属音が響いた。

間もなくバイトが急いで持ってきた。野菜炒め丼というらしい。

彼は急いで食べ終えて、こうつぶやいた。
「ダンジョンでもこんなうまい飯が食えるのかなぁ」
「えぇ?なんだって?」
「あぁ言ってなかったけ?俺さ、来週から仕事辞めてダンジョンに行くんだ。」
彼とは学生時代からの腐れ縁だが、まさかダンジョンの話が出るとは思わなかった。
「なんだお前も行くのか?」
「いやぁ僕は、まだ…ほ、ほら彼女もいるしさ…まだ準備とか心構えとかそういうのが十分じゃないってか」
彼はふと悲しそうな目をした。
「そうかぁ」
「でも俺さ、ダンジョンに行ったらきっと出会ったやつら全員にこう話すんだ。おまえらここを終えたら、うまい飯屋、連れて行ってやるって。こんな感じでさ、気張らずに美味いメシ食えるのがいいんだよって」


“チリン、チリン”

僕はふと後ろを振り向くと、夕焼けが真っ赤だった。古びた自転車がスッと抜かしていった。その人は手を上に伸ばすと、赤い封筒がヒラヒラ舞った。タンポポに止まった蝶が遠くに飛び去った。足元に落ちたから、手を伸ばすと、音が鳴り止んだ。遠い空の向こうが微笑んだのが、ゆっくりと見えた。

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