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なぜ芸術家としての道を選んだのか?【Part1】

初めての投稿はどうしよう?何を書こう?

登録して1日経って、ふと思った。

私は何のためにこのnoteを活用していくのか?

それは『自分』を知ってもらうため。

そして私は、アートを生業としている。

何故Mioは芸術家として生きていこうと決めたのか。
自己紹介をした後に、一番聞かれる確率が高いこと。

なので、まずはそれについて触れていこうと思う。

前編、後編ぐらいにまとめたいが
あまり簡潔な文章力には自信がないので
今回の記事はPart1としておく。


実は結構なレベルで絵が嫌いになった時期がある

と言っても、自分で描くのが
嫌になったという方が正確だ。

幼少期、絵に関しては

〝まぁまぁ″好きだったってぐらいだと思う。

夢中になって時間も忘れて

毎日のように絵を描いていた…みたいな
所謂〝天才″タイプでは決してない。

周りの子と比べると、

それもまた〝まぁまぁ″上手ぐらい。

小学生になると大好きな少女漫画のキャラを描き
漫画の最後にある読者イラストコーナーみたいなのに
2、3回載ったりしたことはある。

でも、そんなことは恐らく

ちょっと絵が好きな人間であれば
誰しも経験しうる範囲の出来事だろう。

それに漫画系のイラストが

好きになり始めた頃ぐらいによくある

『顔』しか描けない典型

全身は何度か挑戦はしたけど、どうも上手くいかず
結局すぐにやめてしまって

好きな顔の部分だけたまに描くような日々。

つまり向上心は大してない
根性なしというか、上達に関して
そこまで高いモチベーションはなかった。

でも中学3年の時、進路をどうするか考えた結果
美術が多く学べるようなところに行きたい

という思いもあり


デザイン表現コースという普通科に
プラスアルファで美術要素が入っている
私立の高校に進学させてもらった。

ちなみに両親には相当反対されたのだけれど、
その辺りの話はまた別で書こうと思う。

入学するまでは、画力的には
自分は真ん中ぐらいかな?と思っていた。

が、これがとんだ勘違いの始まり。

落書きが落書きレベルじゃない子達の集まりだった


偏差値も高くない有名でもない高校だし
というか新設されたコースだったのに

ヤバイぐらいレベルが高かった。

どう考えても私の画力は

下から数える方が圧倒的に早いどころか
一番下だったかもしれない。

先生からも日々デッサン力の低さを指摘される日々。
「お前はデッサンがなぁ…」と苦笑いされてばかり。

この投稿では軽く説明する程度にしておくが、
私は小、中学校でかなり人間関係に苦労し、
先生という存在がそもそも信用ならなかったし

嫌いでもあった。

だから余計に堪えた。

高校生活はなんとか楽しくしたいと思っていた矢先
出鼻をくじかれた感。

私は忍耐力に欠けていたし、
何より強いモチベーションが

絵に対してあるわけでもない。

画力がない自分を直視しきれず、
上手くなって見返してやろうという気にもなれず

高校時代は結局、最低限の提出物を出す以外で
絵を描く機会はほとんどなかった。

『上手く描けないと意味がないんだ』

私の潜在意識にその言葉は深く刻まれ
長い間、絵を描くことから遠ざかることになった。

でも、高校生のみの部門ではあるけど
実は2つだけ賞を獲れた機会が、在学中にあった。

そのうちの1つは、現在描いているような抽象画だった。

すごく嬉しかったけれど、周りの子は
私よりももっと上位の賞をいくつも獲ったりしていて
私が獲れたのは、こんなのただのまぐれだな、

としか思えなかった。

思い返すと、現在私が抽象画を描いているのは
この時の喜びが忘れられないからかもしれない。

当時の私は完全に腐っていて
『絵なんか描かなくても別に生きていける』
毎日自分に言い聞かせていたような気がする。

自分から望んで美術コースに進んだくせに
美術の時間が何より一番苦痛だった。

描きたくないのに描かざるをえないストレス。
描きたくなさすぎて泣きそうになったことも

何度もある。

あまりにストレスを感じるものだから

『どうせ期待されてもいないし
下手なの知ってるやろ?適当でええやん』

と自分の未熟さ、惨めさを感じないように
感受性を閉ざして無になっていたことも少なくない。

その分、他の分野ではなんとか頑張った。
一般座学は卒業時はオール5だったし
テストでも上位は必ずキープした。

最後まで5が取れなかったのは美術と体育だけ。

他にも、生徒会に入り

創立以来初の女性生徒会長にもなった

とはいえ、漫画でよくある憧れの的になれたとか

そんな展開はなく
むしろ嫌われていた方だと思う。

現実はそんなに甘くない。

学校にもよるのだろうけど、私の学校では
先生に押し付けられたら嫌な仕事をやっているのが
生徒会、というイメージだった。

やりたがる人がそんなにいるものではなかった。
だからなれたというのも大きい。

別に自分を過小評価しているわけではなく
単純に事実だ。

そんなわけで、絵を描くことを

極力避けた高校生活を送ったから
絵はもう描きたくないと思っていたのに
私は芸大に進むことになる。

そこからの話は、また次回に書こうと思う。

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○ ヒーリングアーティストMio ○

1988年 大阪生まれ
2007年 大阪芸術大学 中退
2011年 大阪バイオメディカル専門学校 卒業
2016年 大阪、兵庫にて初個展

以来毎年関西を中心に個展開催

画材や技法、スタイルに囚われず、独自の世界観を表現し続けるヒーリングアーティスト。
実際に発表される作品を見た者、購入した者には不思議な現象が起こるとの声がいくつも寄せられている。

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