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プレッシャーを考察してみる

はやいもので、津和野町に来て1年3か月がたとうとしています。

1年目は、ただただ毎日ワクワクして、やってみたいことで溢れていて、やりたいが叶う町だと思っていました!
思い返してみたら、大変だったこともあったと思うけれど、そんなことは一切気にせず、自分の欲望に忠実に(笑)ひたすら突っ走っていました。

2年目を迎えて、後輩CNが2人増えて体制がガラッと変わったり、昨年度の反省点が見えてきたり、見えていなかった細部や町の全体像が見えてきたり。
これからの自分の行く末を考えすぎたり。

これしたら、あそこに迷惑がかかるかも。
今は、それはしないほうがいいかな。

学校の先生、町の人との関係性ができてきたからこそ、守りたい、壊したくない。の気持ちが溢れてしまっていました。別にそれは悪ではないのだけれども。

傷つくことや変化を恐れて、守りに入っていた3か月でした。

知らず知らずのうちに抱えていたプレッシャー
「プレッシャー」って言葉の通り、「プレス」がずっとかかり続けている状態なんでしょうね。

「背中を押す」も「プレス」の仲間←これは、「いいプレス」

いろいろな方向から小さい「プレス」をかけられ続けるのは、ボディーブローのように効いてきます。
そして、さらに自分は自分に対しても「プレス」をかけることで奮い立たせる特性があるので厄介です。

ふり返ってみると、今までも過度の「プレス」が自分にかかっているとき私は、赤ちゃんか!?ってくらい一人で大泣きをします。
そんなときいつも流れてくるBGMは、
「TOMORROW(♪涙の数だけ強くなれるよ~)」
そして、ほらこんな歌詞もあるんだから私めちゃくちゃ強いじゃないか!って思って強くなったことにしています。

「泣く・走る・話す→取り戻す」の繰り返しです。
自分の対処法が分かっているので、取り戻せないほど大変なことにはなりません。
そして、書いてみて気が付きましたが、全部自分から外に向けて放出している行動でした。

「話せばわかる!!」(by犬養毅)
本当にその通りだと最近すごく思う。
決めつける前に、思いこむ前に自分自身に「その人と話したかい?」って問いかけよう。

そして、やっぱり私は「今日死んでもいい一日だったか?」という軸でいるのが一番心地いい。
それを忘れていた。
1年後のことなんて、何しているかなんて、誰にもわからないんだった。
だから、今日も「あ~最高だった!」と思って寝られるようにだけ考えて生きるんだった。
もし、最高じゃないと思う日だったら、そんな日もないと楽しくないじゃんって笑っとけばいいや。

「プレス」がかかりすぎている!!って気が付いたらジャンプしてみたらいい。ぴょーーーんっと。そうしたら俯瞰して見えるから自分にかかっている「プレス」を客観視できると思うんだ。
でもジャンプできる力が残っていなかったら、話すとか書くとかで、とにかく自分の中から出してあげたらいいと思う。

出しても大丈夫なんだと思える人が増えたら、生きやすい社会になるんじゃないかという仮説を立ててみました。
だから私は隠さず出してみています。










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