ずっと満たされ続けるための法則
引き続き風邪っぴきのため、年初のベリーダンスのレッスンはおやすみ。
今日やりたかった仕事もいくつかあったけども、大事をとって明日することに。でもだんだん回復してきていることがわかる。風邪が少しずつ経過していく様子がわかる。
野口晴哉さんは「くしゃみをしたらもう風邪は通り抜けている」となにかの本で書かれていたが、そこまで達人の域にはとてもたどりつけないものの、微熱が落ち着いていくとき、いつもより身体が弛緩しているからふだんはゆるまないところがゆるんでいるのがわかるとき、生きていて、免疫系が活性化していて、やがてウィルスが体外へと出ていって、わたしの身体が台風一過のようにリフレッシュされるのだ!としみじみと思う。
三連休はかんくん(中1野球少年)の試合が入るかもしれないと思って、予定を入れていなかったからしっかり休めたのもよかったな。
身体だけが変わるのではない。きっと心も変わる。風邪は身体をゆるませてくれるものだということを、わたしは野口整体から学んだ。
そんなわけで、もろもろメールやメッセージやLINEなどいただいておりますが全無視で申し訳ないです。明日、復活予定です!
書くことはないのだけれども、書いていると嬉しい。「書く」という行為の中に、「言葉」というものの中に、なにかわたしにとっての大切な価値があるのだろうということだけが漠然とわかっている感じ。
今年はもっとその価値に目覚めていきたい。大切な価値に目覚めていきたい。
頭がぼうっとしていると、いろんなことをつらつらと思いつくのがおもしろい。お金に困らないひと、という人種がわたしの周りには一定数いて、そのひとたちのお金の使い道を観察していると、「いつでも出口(使い道)が決まっている」「その使い道は、必ずエゴでも見栄でもなく魂が喜ぶこと」だということがわかる。
わたしにとっての「出口」もここ最近は明確になってきていて、たとえば今月だったらハチと平日に一泊でちょっと良いホテルにお泊まりに行く予定と、月末に山口に行く予定があり、また春には子連れで宮崎に行こうと思っている。
そのためにはもちろん先立つものが必要だが、わたしには定期収入というものはないので、必要なタイミングで「入口」から入ってこなくては成り立たない。
でも、わたしにとってそれらの「出口」は、”わたしがわたしである、わたしがわたしを生きるための決定事項”とも言える使い道なので、その決定事項に従った使い道はとにかく自分にとってもまわりにとっても最善でしかないので、「よくわからないけれども、それまでにそれくらいは入ってくるのだろう」と思っている。
それまでに、いくら稼がなくては!という思考は、現在から未来を見たときの思考で、どうしても不安がつきまとう。不安がある限り、行動が義務化して重くなる。そうなると良い結果にならないことが多い。
そうではなくて、今月末あるいは春に、楽しく山口や宮崎に行って必要な経験をする自分、という時間軸がすでに存在しているので、つまり「未来から現在に向かっての流れ」というものがあるので、すでにそうであるわたしとして思考して行動すると、どうやら必要な出口の分、入口から入ってくる仕組みのようなのだ。
そうなると、お金にまつわるなんやかやに”追われる”という人生じゃなくなる。お金を管理したりコントロールしたりする次元から解放される。こちらが主体になって、お金を使いこなすというモードが発動するのだと思う。
そこらへんはちょっとまだ研究中なので、いろんな事例を集めてみたいところだけども、たぶんそう。
だからてっとり早いのは、「出口」を決めること。
たとえば次にまとまった仕事(お金)が入ったら、新しいMacを買う!と決めること。
でもひとは往々にして、ちょうどそのくらいのお金が入ったときについ「でも、まだ今のMacも使えるしな…..」と、出し渋ったりしてしまう。なんとなく貯めておきたくなったり、他の使い道を探したりしてしまう。
そうじゃなくって、決めた出口に使うのだ。
副業でこれから稼いでいきたいひとは、「毎月1万5千円を副業で稼ぐ」と決めるのではなく、先に出口として「これからは毎月1万円のヘアサロンに行って、5千円は寄付する!」と決めてしまう。そしてそれを実際にやること。決して「ヘアサロンはやっぱり2ヶ月に一回にして、寄付はもう少し稼げるようになってからにしよう」と、貯め込もうとしないこと。
お金を一番喜ばせるのはつまりは使い方だし、どんどん自分を満たすことへと手放していったらいい。それをやったひとだけが、ずっと満たされ続けるという法則なのだと思う。
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