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コロナ禍中の、教育者の罪。

コロナ禍の弊害って
こんなに酷かったんだ、って
今なら分かる。


今年の私の担当は
全て専門学校の1年生です。


昨年度より90分授業換算で
2コマ減らして頂いたので
少しは楽になりました。


日本語学校は
私の場合、
報酬が専門学校より下がるので
希望しなかったのですが、


先日、
空き時間に優雅に
採点していたら、
日本語学校担当で
専任の30代お兄ちゃん先生が
私のところに来て、


如何に人が足りないか
メソメソと恨みがましく長時間
お話しされました。


最高齢の88歳の先生が
片道2時間かけて
ラッシュの電車に乗り、
1日45分授業を
8コマもされていることやら、


教師の数を数えたら
10数人しかいなくて
どうしよう、って思ったことやら。


そんな訳で
10月生くらいなら
引き受けてもいいよ、って
言っておいたので、

秋ごろからはもしかしたら
昨年度と同じ担当コマ数に
なるのかもしれません😅


さて
専門学校の話に戻りますと、
コロナ禍が終わって
この勤務校にも人気が戻り、
かつての倍率5倍までは
戻っていないようですが
3倍程度までは復活したようです。



そんな優秀な学生たちの中
私が教えているのは、


まず日本語科目は3クラスで
週2回ずつ。


レベルが1番と2番、3番目に
高いクラスです。


留学生向け専門学校の宿命で
悲しいかな、1番上のクラスは
腰掛けの学生が多い。



つまり、大学や大学院に
落ちたけど、
どこかの学校に入籍して
留学生ビザを持っていないと
次の入試が受けられないから、
それまで仕方なく
専門学校に入った学生たちです。


専門学校の入試選抜というのは
本当に難しいですね。

試験の高得点の学生を
たくさん入れると、
1年または半年で
他の大学や大学院に合格し
退学してしまう。


でも中には心から
この学校で勉強したい学生も
混じっている訳です。


そこを入試の段階で見極めなんて
出来ませんし。



そんなレベルの高い学生のクラスを
私は持たされることが
多いのですが、

※過去の話で言えば
 スルメクラスです。

今回、トップのクラスには
日本語能力試験の最難関である
N1取得者が7名います。


しかしながら学校の
1年生の指定テキストは、N2。


簡単すぎるんですね。


だけど、トップのクラスでも
N2でちょうどいい学生が
大半のため、
飛ばしてN1をやる訳には
いきません。


どうするか。


大学入試の勉強やら
TOEICやら
日本語の読書やら
他のことをやっていてもいいですよ、
「勉強」なら。


と、言います。


他のマーケティングなど
ビジネス科目は
習ったことがないだろうから
真面目に受けて下さいね。


でも、日本語は
もう習得した内容だから、
簡単すぎる勉強を
し続けるのは辛いから、
自分の目標をしっかり捉えて
有効な勉強をして下さい、


質問があったら
聞いて下さいね、


って。


一人で勉強するのは
辛いでしょうが、
無理やり軍隊みたいに
毎回90分も全員に
同じ勉強をさせることは
出来ません。


こんなところも多様性ですね。


机間巡視をしながら
個々の勉強内容を見て
コミュニケーションを取る。


その程度しか出来なくて
悪いけど、
出席率はとても大切だから
ちゃんと来て下さいね、と言いました。



今年は数学やら英語やら
自分のビジネスやら
優秀な学生たちは
本当に様々な勉強をしていますが、

こちらが全体に向かって
やるように指示した内容も
ちゃんと、やっているんですね。


簡単でしょうに偉いなあ。

※N2が簡単というのも
 凄いですがね。

この素直さが
成長に繋がるんだろうな。



それに対して
私が今回担当しているマーケティングは
日本語レベルが1番下と下から2番目、
真ん中の3クラス。


企業経営論は
真ん中の1クラスです。


1番下と下から2番目のクラスは
まだ、語彙力が少なく
漢字もあまり上手く書けません。


それでも分かる言葉で
たくさん発言してくれます。


そう、
この子たちは
留学時に本格的なコロナ禍が
かかっていない学生です。


昨年度の2年生と比べると
全く違う。


昨年度、私は
一番優秀な2年生のクラスを
担当していました。


優秀でした。
でも、静かなの。



プリント類は今の1年生より
とても短い時間でささっと終わって、
間違いが少ない。

読める、分かる、書ける。
でも、喋れない。


日本語学校で話せなかった
時代の子たちです。

話すことを、
コミュニケーションする自由を
奪われて、
オンラインで授業を受けてきた
子たちです。


やる気は確かにあったから
プリント類は正確で
しっかりテキストを読み込んで、


そんな能力が
会話能力だけを置き去りにして
ぐんぐんと育った。



私は一人ひとりに
たくさん話しかけたけど、
基礎となる日本語学校で
会話をやっていなかったから、



もう、
「恥ずかしい」の気持ちの方が
勝ってしまっていて
あまり伸ばすことが
出来ませんでした。


日本語の授業を
昨年度の2年生で
担当していなかった
というのもあるけれど。


いや、そんなのは言い訳で
私だってもっと会話能力を
伸ばすために出来たことが
あったはずだ。



今年、
びっくりしました。


こんなに違うんだ!


もちろん上のクラスは
よく喋ります。

それは国籍は全く
関係ない。

中国人だろうがネパール人だろうが、
打てば響く。

ジョークを入れて返す。


一番下のクラスは
じゃあ話せないか、というと
それも違う。


「これ、難しいよ〜!」

「先生、どうして?」

「もう一度!」


投げた会話のキャッチボールが
できる。


分からなければ
分からない、と言える。


そうだ、

コロナ禍の前は
どのクラスだってそうだった。


誰だって、
クラスが上だろうが下だろうが
国籍がどこだろうが、
よく喋ったんだ。


そうやって各地の日本語学校で
教育されて来たんだ。


コロナ禍のときに
偉い日本語教師の先生が
仰いました。


これからはオンライン授業も
珍しくなくなる。
一人ひとりを指名して
発言させる時間が足りないから、
一対一の会話形態での
練習はしなくなる。


オンラインでコーラス練習も
しなくなる。


それで、
出来ない子は置いていかれる。

やる気のある学生だけが
伸びていく時代になる、って。


先生、
全然違いましたね。


人間はやっぱり
会話を楽しまなければ
ならないんだ。


双方向ではなく
オンラインで一方的に
配信したって
上手にならないんだ。


昨年度の2年生までは
どのクラスも静かでした。

思い起こせば
その前の2年生も。


彼らは何かに飢えるように、
必死に、
読み書きの能力だけを育てていった。


会話能力が育たない。
でも育て方を知らないまま、
それを習慣として出来ないまま、
卒業していった。


可哀想なことをしました。
これは、日本全体の
日本語教育者の罪だ。


あの静かな学生たちは
私たちが作り上げた
被害者だったんだ。

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