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【創作】好きなようにして、いいんだ。〜第ニ話〜




ソウくんとの結婚を決めるまでは
前途多難だった。



最初、両親は決して
それを許さなかった。

いつも優しいはずのお母さんは
見たこともないソウくんに対して
想定出来る限りの罵詈雑言を浴びせた後、
1週間も口をきいてくれなかった。




それで、
私の言うことには甘い
お父さんを始めに何とか口説いて


「我が家の近くに
 住むって言っているんだから、
 会うだけ会ってみよう」

って
お母さんを説得してもらった。




お母さんはソウくんを
家に上げるのを嫌がった。




それで、外で待ち合わせしたのが
気持ちの良い晴れた日で
かえって幸いだった。




日の光をじゅうぶんに受けた彼を
見たお母さんは、
案の定すぐに絆されたから。




金銭的に苦しくて
大学に進学できなかったソウくんだけど、
元はと言えば
私とは比べられないほど
裕福な家で育ったご子息だ。




私でも分かる高貴さを
お母さんが気づかないはずがない。 



更に、ごく自然にソウくんから
発せられることば。


「お荷物、お持ちします」


これでもう、
お母さんのハートは
メロメロになったみたい。




ソウくん、王子さまみたいでしょう。
憂いのある眼をしているけれど
優しくて、頭も良いんだよ。




いつだかソウくんに
聞いたことがある。



「ソウくんは3ヶ国語も話せて、
 日本で介護福祉士も取れて、
  N1も持ってる。
 頭もいいのに、
 介護の仕事をして辛いと思わないの」




「辛い?どうして?
 僕は介護の仕事が好きだよ。
 他にどんな仕事なら
 いいと思うの」



私の髪を撫でながら
彼は言った。



「例えば外国語の能力が生かせる
 商社とか」



「貿易にも興味があるけど
 僕は介護の仕事に
 誇りを持っているよ。
 ユズはそうじゃないの」



優しく触れる
骨ばって大きいソウくんの手が
気持ちいい。



「ううん。
 私はこの仕事、大好き。
 ただ、私たちの仕事って
 汚れ仕事だからって
 馬鹿にする人も多いから。
 給料も高いわけじゃないし」



「給料は、数年して
 社会福祉士を取れば
 少しは上がるでしょう。
 ケアマネを目指してもいい。
 人の言うことは
 気にしなくてもいいんじゃない」





私たちの結婚式は
勤務先の特養で行なった。


ソウくんに
ここで式が挙げられたらいいね、って
何の気なしに言ってみたら

「それ、実現させよう!」って
張り切ってしまった。


こういう時のソウくんの
行動力は本当に尊敬する。


さっそく私の手を引いて
施設長に相談しに行かれた。


私は迷惑をかけるから
断られると思っていたけれど
何とすごく乗り気になってくれて、
知り合いの銀行マンやら政治家やら
たくさんの人の伝手を頼って
本格的な装飾を施してくれた。


どこの誰かは知らないけれど
レッドカーペットまで用意してくれた。
元々、趣のある特養のこともあって
更に本格的な
結婚式場のような雰囲気ある
会場に早変わりした。



現場の同僚には
いつも以上に仕事を
増やすことになるから
悩んだんだけれど、

介護長にも、先輩にも言われた。

「私たちだって
 貴女たちがしてくれなかったら
 こんな光栄なことって
 きっと一生できないわ。

 そんな希望を出してくれた
 2人にとても感謝してるのよ。

 だから、堂々と、ここで式を挙げて。
 むしろこちらから
  お願いしたいくらいよ」



ソウくんは敬虔な仏教徒だから
服装も着物がいいのかと思ったけど、
私がドレスを着たいと言うと
快くOKしてくれた。




相談するのを躊躇っていたのが
おかしいと感じるくらい、
みんなが嬉しそうに
私のわがままに協力してくれた。


特養で式を挙げてもいい。

人に迷惑をかけない範囲で、
ううん、かけているかもしれないけれど
相談しながら困らせない範囲で、
好きなように、すればいいんだ。




会場には地元のマスコミまで来て
恥ずかしかったけれど、
その分協賛金を頂いたから
正直助かった。

施設長は
「これはすごい施設のPRになるよ」って
ニヤリと左の口角だけを上げて黒く笑った。



ソウくんのご両親は
はるばるヤンゴンから
伝統的な民族衣装で
いらっしゃった。




刺繍が細かく散りばめられた
鮮やかで上質なシルクのロンジー。



拙い英語で挨拶した私に
輝くような笑顔を返し、
優しくハグしてくれた。



ミャンマー語も私、習わないと。





お母さんは、
顔をめちゃくちゃにして
泣いていて、
同じく泣いているお父さんに
笑われていた。

「心配かけてごめんね」

と謝った私に、
馬鹿ね、嬉し泣きよ、と
返したあと、

「私よりずっと立派な、
 誇れる人になったわね」

と、酷い顔のまま、
それなのに実の娘の私が見惚れるくらい
美しく微笑んだ。




96歳の田島さんも
ボロボロ涙をこぼしながら
嗚咽している。


「ありがとう」って伝えたら

「こんな幸せな日は初めてよ。
 お礼を言いたいのはこっちだよ。
 頑張って子どもをたくさん
 こしらえるんだよ」

ですって。







私、どうして他人のことばかり
気にしていたんだろう。
介護士だからって
向けられる視線ばかりを。


むしろ、この大好きな仕事を
バイアスをかけて見ていたのは
他ならぬ自分だったのかもしれない。



ソウくんとの国際結婚は
認めてもらうのに苦労したけれど、
両親を説得できて良かった。




発展途上国の人との結婚は
いろいろ偏見があるから
心配されるのも納得できる。



でも、

ソウくんのことは
「定住権目当ての結婚」じゃなくて
私への愛情が嘘じゃなくあるって
信じられるから。




髪を上げて
タキシードに身を包んだソウくんの
エスコートする所作が美しくて、
いつもジャージで仕事している
その場所を
お姫さまになった気分で
フワフワと歩いた。




仕事も、結婚相手も、結婚式の形態も、
きっと他も何だって、
周りに配慮すれば
人の言うことなんて気にしないで
好きなようにして、いいんだ。



泣いているお母さんや田島さん、
特養のみんなを見て気づいたから。



私が好きなことをして
幸せでいることできっと
周りの人も嬉しい気持ちに出来るって。


(完)


第一話はこちら。

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今年度の留学生は
ミャンマー人が激減しました。

国の情勢が悪くて
来日が難しいのかもしれません。

もともと、私の勤務校に来る
ミャンマー人は
現地では超富裕層です。

それでも日本の大学へ
行くほどの資金が工面できず、
何とか専門学校を卒業して
就職する学生が大半です。


彼らは敬虔な仏教徒が多く
心優しく真面目で勉強熱心のため、
どんなに増えても教師としては
大歓迎の国民性だけに、
今のお国の状況が
早く良くなって欲しいと望むばかりです。



ミャンマー人学生に移動中会うと
必ず自然に荷物を持ってくれます。
これはミャンマーでは当たり前のこと
なんだそうです。


彼らの中には優秀で
日本語能力試験の最難関である
N1に合格する学生もいます。

日本に生まれ育っていれば
その能力だったらきっと
大手企業や名だたるやり甲斐ある会社に
就職できるのでしょうが、

実際には優秀な彼らであっても
小さい飲食店や工場に
やっと就職していくことも多いです。

それが悪いという訳では
決してないのですが、
特に途上国の外国人には
日本はまだまだ厳しいのですね。

介護分野に好んで勤めることが
多いのもミャンマー人で、
来日直後から
特養でアルバイトしている学生も
少なくありません。


この創作はそんな、
少し鼻にかかる日本語を話す彼らを
思って書きました。



話は変わりますが
特養で結婚式というのは、


私が特養勤めの頃、
同僚の介護士の
別の特養に勤めるお兄さんが
そこに勤める奥さんと結婚するときに
本当に行なった話です。


ご入居者に出席してもらって
とても素敵な式だったそうです。
現場は大変だったかもしれませんが、
きっとみんな嬉しかったでしょう。
微笑ましいお話ですよね。



どうか、
心優しい国民性のミャンマーに
一刻も早く
平和が戻りますように。

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