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心療内科にかかることにした

てめぇの感受性ぐれぇてめぇで守れバカヤロウ。
茨木のりこ先生の詩を立川談志風に言えばこんなところだろう。

一度病院にかかってみようか、とふと思う私の心を遮るように談志の声がそう言うので、メンタルクリニックってやつからは自然足が遠のいた(最近談志の落語ばかり聴いてるもんで、すみません)。

ハタチぐらいから心の具合がおかしいことに気付いて、だましだまし見て見ぬふりして40まで生きてきた。今ちょっと、自分の生き方が下手なせいで苦しい場所にいるからということもあるが、またやつがのさばりはじめて困っている。鬱(と私が勝手に名付けている心の不調)。こいつをコントロールできなくなってきた。いよいよ歳かもしれない。

20年も付き合ってきたこの鬱を、先生にペロッと見せて(というか、こんなもんをどう説明すればいいと言うのだ)、わかるはずがない。医師だって医学的見地から相対的に判断するしかないのだ。そもそも心の中の状態なんてのを100%的確に説明できるわけがない。派手に転んで怪我した血だらけの足を見せるのとはわけがちがうのだから。相対的に判断してもらって「まぁ、総合的に判断して鬱病でしょうな」とか「心の風邪ってやつですわ」なんて言われて適当な薬をもらって帰って来るのだ。心の件で医者にかかるということは、当然ながらそういうことなのだ。

私はそれを20年間拒否し続けてきた。Love and hate relationshipではないが、憎くてたまらない、とっとと私の中から出て行って欲しいはずのこの「鬱」ってやつを、しかし逆に、誰にも渡したくない、誰にもわかってたまるかという反抗期みたいな自分がいるせいで、憎みながらも抱え続けてきた。完全に自分の一部になったこいつを、簡単に手放したくない思いがあった。つまらないこだわりと言ってしまえばそれまでだが。

しかしだ。最近、この鬱が調子に乗りすぎて、生活に支障をきたすようになってきた。発作が起こると、号泣したい気持ちを我慢しているような、酷いショックなことの後のような気の落ち込みや、追い詰められているような焦燥感。こんなにきついのに涙の一滴も出ない。苦しくてたまらない。錆びた蛇口みたいだ。

そして集中力が全くなくなった。3月にある試験の勉強など、ちっとも進まない。テキストを広げて文字をわずか数行読んだかと思うと、気づいたらパソコンで勉強とは全く別のものを検索し始めている。私はすっかりおかしくなってしまった。

そういえばこないだ、どこかの帰りにふと、見慣れたいつもの駅前の商店街に「なかじま心のクリニック」という看板が目に飛び込んできたことを思い出した。記憶のまま検索バーにクリニックの名前を叩き込むと、診断の予約を入れた。

20年も拒否し続けていた病院通いを、どうして決意したかというと、心の病の悪化が著しいこともそうだが、やはり前回書いた記事が大きなきっかけとなっていることは間違いない。見て見ぬふりをしてきた自分の心のことを赤裸々に書いたことで、病院に行ってみたいという気持ちがうまれた。

私の心の状態

そのクリニックのホームページの「初診の方はこちらから」というボタンを押すと、症状を入力する項目があったので、このように答えた。

送信したあとに、「号泣したいような気持ち」とか「すぐに横になりたくなる」とか「過去の嫌な記憶や未来への不安が止まらない」とか、書き忘れたなと思ったがキリがない。

心療内科と精神科のちがい

ところで20年も心の不調を抱えながら、このふたつの違いもきちんとわかっていなかったので、調べた。

■心療内科…ストレスや心理的なことが原因の心と体の不調について診療を行っていることが多い。
【多い症例】
• 落ち込みが続いている
• 下痢や嘔吐、便秘などを繰り返しやすい
• 特定の環境や状況での体調不良、呼吸症状など
• 体調不良で出社できない
• 食欲減退、食事がおいしいと思えない
• 睡眠障害
• イライラや落ち込みなどの感情の起伏が大きい
■精神科…心理的、精神的な症状を診療していることが多い。
【多い症例】
• 幻聴、幻覚などをともなう被害妄想
• 周囲や近所の人から監視されていると感じる
• 常に誰かに見られている気がする
• 強迫性障害

50歳で死ぬことにする

これは、「そう仮定することで生きるということに活力を与えようとしてるんだ」なんて自分にバカ丁寧に説明しちゃだめなんだ。50が来たらほんとに死ぬ。そう思って、あと10年は生きるんだ。

それにしても日本にはウォッシュレット完備のトイレがあって、白米に味噌汁がある上に世界各国の食べ物がだいたい食べられて、会社から帰れば好きな服を着ることができて、何でも自由に自己表現ができて、自由に意見が言えて(近頃は怪しいが)、生きることの何が不満だってんだ。50で死ぬと本気で思わなければ、生きながらえないと思うほどに生きることが苦しいとは。

心のクリニックは、希望の予約日よりも一週間先の日程で決まった。自分にどんな変化が起こるのか、またここに記そうと思う。

私はお調子者の馬鹿なので、会話の流れで母親に、心療内科を予約したことを話してしまった。軽はずみにもほどがある。

例のごとく疲れてしまってまだ夜の8時だと言うのに深く寝込んでしまったのだが、お風呂あがりの母が私を呼びに来て寝顔を見たのだろう。鼻歌を歌いながら私が下着を持って風呂場に向かうと呼び止められた。私をしっかと見つめている。「大丈夫なの?」その目がすこし泣いているみたいだった。「自分のこと、もっと心配しなさいよ」

母親に心療内科の話をしたことを心底悔いた。心療内科に行くのはやめたと言っておいたが、信じていないだろうな。

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