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記憶すること、思い出すこと。そして「私」と「魂」

 蒸し暑い日が続きます。

 先日、朝から通勤通学の人に混じり目的地に向かい、その後帰宅して、エアコンが切れているのにほんのり涼しさを残した部屋に入ったとたん、大変な勢いで汗が噴出しました。それまでも汗をかいていたのに、さらに湧き出る汗があるものかと感心するほどで、服を脱いだらしばらく服が着られませんでした。

 ついに7月の声を聞き、もうすぐ梅雨が明けそうですが、まだまだ蒸しますね。かつて戸川純は『隣のインド人』で「日本の夏は蒸すけど涼しい」と歌いましたが、実際インドは今、強烈な酷暑だそうです。おそらくはインドよりは涼しいであろう日本ですが、この蒸し暑さに参っている人も多いようです。

 あなたの住んでいる場所は、いかがですか。
 そしてあなたはいかがお過ごしでしょうか。

 しばらく、ご無沙汰をいたしました。あなたのお手紙にあった、早川義夫の本と、池田晶子の本を少しずつ読んでいました。

 また、私事ながら現在少々創作等にかまけておりまして、お返事がおそくなりましたことを、お詫び申し上げます。

 早川義夫は、『たましいの場所』と『女ともだち』を読みました。

妻・しい子が生きていたという確かなことを示すために、早川義夫は書くことを選びました。ひたすら精密な描写をして、巧みなレトリックを用いて、どのように美しい随筆を書くか。そんなことはまったく意識していません。みずからの魂を、しい子の魂を、書かずにはいられない。そんな衝動に早川義夫は身を委ねたのです。

あなたのお手紙より

 ただ書かずにはいられない衝動に従い、「ほんとうのこと」を書くということ。
 難しいことですね。人は普通、自分を表に出すときは、粉飾したり糊塗しようとするのが普通で、特にSNS全盛のこの時代は、誰もが良く見られたい、素晴らしいと言われたいと願うのが当たり前、と言われます。
 本名や顔を出すといったこととは無関係に「素の自分」をさらけ出すことは、本来、恐ろしいことです。しようと思って簡単にできることではありません。だからこそ、それができる人は稀有で、綺羅星のごとく輝くのだと思います。

 町田康の話題のあとの早川義夫は(私は早川義夫を知らなかったのですけれど)、確かにつながりを感じました。ミュージシャン・詩人としての言葉のセレクトやリズム感は、ふたりに共通するところでありましょう。
 そこに加えて早川義夫の「純粋な、あまりに純粋な」精神には驚きました。妻への思いは、なるほどこれは「裸の魂」の姿であると感じましたし、なんということはない随筆のなかに、きらめく洞察がひらりと現れる。それは「ほんとうのこと」だからこそなのだとあなたのお手紙を読んで改めて思いました。

 池田晶子の著作は『魂とは』を選びました。やはりそう簡単にスルスル読めるものではなく、考え考え読みました。

 途中で『無常ということ・モオツァルト』も再読しました。あなたとお手紙をやりとりするうちに、小林秀雄の文章の雰囲気に、触れたくなってしまったからです。

 家にあったはずのこの本が見当たらず、別の本でもよかったのにどうしてもこの本が読みたくなり、電子書籍を求めてしまいました。かつて紙の本で読んだあの感覚と同じものが得られないことに少し残念な気持ちになりつつも、四十年近くも前に読んだときにはわからなかった、気づかなかった豊かな収穫が沢山ありました。

 「モオツァルト」の冒頭は「エッケルマンによれば、ゲエテは」というものですが、かつてこの本を読んだときの私はゲーテもまともに読んだことがありませんでしたし、当然エッケルマンなる人を知るはずもなく、ぼんやりと受け流して読んでいたものでありました。

 しかし初読から何十年を経た今の私は「ゲエテとの対話」を読んでおり、ところどころに引用されるだいたいの作家や作曲家、作品などがわかるようになっていて、それが驚くほど文章を鮮明化させ、随筆そのものと著者自身をくっきりと感じさせていることを実感せずにはいられませんでした。知識とはいかに蓄積されるものか、そしてその蓄積無くしては読めない文章があるものだと、再確認したのです。

 かつて、この本を一度読んだくらいで「小林秀雄ね、読んだ読んだ」などと簡単に言っていた自分を今、猛烈に恥じております。そして私淑されている方の全集を登頂の足跡をたどるように読まれている既視の海さんを改めて尊敬いたします。
 何はともあれ、こうして目の前が開けるような思いをするのですから、半世紀生きるのも良いものです。

 また時代を経てよいことは、中高生の頃の私が「ト短調シンフォニィのallegro assaiと書かれた楽譜はどんな音楽だろう」と思っても簡単にレンタルショップに行くこともできず、身近にクラッシックの香りが全くない環境ではとても知ることはかないませんでしたが、いまでは「ト短調シンフォニィ第四楽章」を検索すればすぐさま有名な指揮者やオーケストラによる演奏をYouTubeで聴くことができる、その事実そのものに感動を覚えました。今の時代は、なんと手軽に「知識」を手に入れることができるのだろうと思いましたが、それを「教養」と呼んでいいのかどうかは、また別の話でありましょう。

 話が脱線いたしましたが、前回のあなたのお手紙を読んで、最初はたったひとつのあなたのコメントから、お手紙をやりとりする中で「読書」という軸を中心にこんなにも深く広く話題が広がったことに感激し、手が震えるほどでした。

 池田晶子は、あなたから紹介していただくまで存在を知りませんでした。なるほど書籍の後ろの紹介文には「哲学者」ではなく「文筆家」、「哲学エッセイを確立した」と書いてあります。アカデミズムとは違った視点をあえて持とうとされた方だったのですね。早逝されて「わたくし、つまりNobody賞」が創設されたというのも、初めて知りました。
 このような池田晶子初心者の私が、1冊著作を読んだところで池田晶子について語ることなどできませんが、「書かずにはいられないもの」ということに、池田晶子の情熱が通じるのはとてもよく理解できました。

 普通ならばある程度の深度で考えるのをやめてしまうであろうことを、池田晶子は深海に潜るような危険を冒しながら思索を深めている、ということは、ただ1冊の著書からも充分に伝わってきます。

 あなたとのお手紙の中で「魂」が話題にあがりましたので、このたび『魂とは』を手に取りましたが、「魂」についての池田晶子の見解は、私には意外に思われました。
 哲学者たるもの、およそ明快な論調で滔々と述べられているか、はたまた多くの哲学者のように「触れてはならぬこと」としての説明があるのだろうかと身構えていたのですが、さにあらず。

 「論考」と呼ぶのが、やはり最もふさわしいと思う。「作品」でも「評論」でもないのは、ひとえに論じようとしている事柄自体を、未だ明快に理解していないからであって、理解していないことを書くということが、どんなに大変なことであるか、この仕事で私は痛感した。
 書きながら考える。むしろ書くことによって考える。考えを損なわないように書き進める。このような慣れない努力の過程において、私は、論じようとしている事柄自体が、狭義の理性的言語を超えているということ、そしてそれを語るにふさわしい形式を、向こうの側から要求されているのだということを、深いところで理解した。言ってみれば、「<「プシューケー>の文体」が必要なのである。

『魂とは』1999年著者のあとがきより

 池田晶子は、考えに考え、考え続けたのですね。時には自問自答し、埴谷雄高や大森壮蔵など哲学の先人の言葉に肯首し、反論しながら、いっぽうで、おそらくはアカデミズムは一顧だにしないオカルトに分類されるであろう本も読み、納得できるところとできないところに「分ける」。心理学は最初にフロイトに触れてしまったがゆえに食わず嫌いだったといい、河合隼雄やユングに触れて感動しています。そして飼っている犬にも「魂」をみる―――ここにも、ひとつの「純粋」を感じました。

 書籍の中にインタビューが収められていましたが、その中にこんな一説もありました。

 若い人に限らずすべての人間は、なぜ自分でありここに居るのか、という問いを多かれ少なかれ感じるはずなのですが、そういう問いを考える機会を持たないまま、大人になる人が大半です。(中略)たまたま私なんかの書いた本に出会って、ああ同じだと自信を持つのではないでしょうか。たとえ彼らが今後専門に哲学を学ぶにしても、こうした素朴な問いや驚きというものを手放さずにいれば、頭だけの知識にならないですね。

 『魂とは』の中で池田晶子は、魂は「感じる」ものだといっていますね。 

 学問はまず最初に「定義」をすることが多いですが、

 ところが、いま、<魂>これについて考え、語りだそうとして、私は深く絶句する。絶句するのを自覚するのだ。
 わからない!

『魂とは』より

 池田晶子は、まず最初に「わからない」というのです。

 確かに、<魂>というのは哲学には限界のあるテーマで、宗教の範囲に足を突っ込むであろうことは想像に難くなく、これまでの歴史上、西洋の哲学者のほとんどは「神」「宗教」にいきあたると口を閉ざすか異端者扱いされるのが常套。そんななか、自分の疑問や謎、命題に対しカテゴリの枠を飛び越えて論じようとする人はなかなかいなかったし、これからも少ないであろうと思われます。

 実際「魂」の扱いは大変デリケートなもので、たとえば宗教としてみても(西洋哲学史の限界と混乱はキリスト教に譲るとして)、仏教もインド発でありながら南伝と北伝に分かれ、北伝として中国を経て日本に伝わってからは全く別物に変わったうえ、その後も変化し続けていて、同じ宗教と言えないほど教義が違ってしまっています。

 「魂」「霊魂」などに関しては、仏教は非常にあいまいな態度の宗派が多く、肯定している宗派もあれば、浄土真宗のように存在を認めないとしているものもあります。(鵜飼秀徳著『「霊魂」を探して』で読んだのですが、図書館で借りたのですみません、今手元にありません)。
 その曖昧さは、つまるところ池田晶子の命題そのものだったように思います。

 目に見えない「魂」に関する問いは、「私」というもの、「私」という存在がどこからきてどこへいくのか、何者なのか、という「問い」そのものです。実在の問題です。その私が、肉体があればこそ存在するのか、肉体が滅びようとも存在するものなのか、人間にはそれを証明するすべがありません。

さて、死んだのは誰なのか。

池田晶子

 そんなところに、独特の立ち位置から切り込んだのが南直哉みなみじきさいの『超越と実存「無常」をめぐる仏教史』です。
 第17回小林秀雄賞を受賞しています。

 この本についてかいつまんでご紹介したいと思ったのですが、これまでも長々と書いてきて、さらに字数を取ってしまうと思い、以前書いた記事を付け加えることにしました。
 紙の手紙にはない、ちょっとチートなやり方ですね。すみません。

 南直哉は、先に引用した池田晶子の言う「こうした素朴な問いや驚きというものを手放さずにいれば」を実践した方だと思います。彼のこの論は、宗教というより、やはり哲学だと思います。自分自身の内なる声を深く掘り下げずにいられなかった、それが哲学に繋がるか、宗教に繋がるかといったら、彼の場合は限りなく哲学寄りの宗教に繋がったのであり、池田晶子は哲学でとことんやってやろうと思ったのではないか、と思います。

 池田晶子『魂とは』には、日本で知の巨人と言われた立花隆氏を「生死の問題は、論理的にのみ考えるべきであって決して現象的に考えるべきではない」「間違っている」と喝破するところがありました。
 立花隆氏は生前、「宇宙」「臨死」「脳死」「がん」に関しての多数の著作が常に話題になる方でした。彼はどちらかというと科学で証明できない「魂」ではなく脳における器質的な「意識」に注目を向けていたように思います。
 私は、先年彼が亡くなった時に「人は死ねばただのゴミ」と言っていたことを知り、正直衝撃を受けました。彼がそういう答えを出すとは思っていなかったのです。

 文学における「魂」のお話から、どんどん、話が転がってしまいました。
 人間は究極「魂」の問題から逃れられないものだと思います。
 安易に他人に答えを与える宗教やスピリチュアルに偏るのは、危険でもありましょう。とは申すものの、これらがひとつの考える窓口になるのは確かだとも思います。どこを入り口に考えるか、それもまた魂の命題なのだと思います。

 池田晶子や南直哉のスタンスは非常に納得できるものです。内なる自問がとても「個人的なもの」であることに根付き「わからない」ことから始め、様々に学んで深く深く考えたうえで「わからない」ことを肯定している、それはとても勇気のあることだし、だからこそ腑に落ちます。

 小林秀雄の「無常ということ」は今読んでもとても難しいです。

 死者こそが人間であり、生きている人間は「人間になりつつある一種の動物」と小林秀雄は言います。

 記憶するだけではいけないのだろう。思い出さなくてはいけないのだろう。多くの歴史家が、一種の動物に止まるのは、頭を記憶でいっぱいにしているので、心を虚しくして思い出すことができないからではあるまいか。

『無常ということ』小林秀雄

 記憶というものは主に脳の機能として語られることが多いですが、思い出すという行為には単に脳から知識の断片を取り出すことだけではない何かがあると思います。私にはそれがやはり「魂」の問題に思えます。

 長くなりました。
 梅雨明けが待たれますが、どうぞお身体に気を付けてお過ごしください。

 かしこ

みらっち こと 吉穂みらい













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