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同じ本を読むということ

 拝啓

 もう、半年以上になろうとしています。
 あなたにお手紙できないまま季節は廻り、長い晩夏から気温差の激しい冬を経て、三寒四温の春がやってきました。一昨日は初夏のような日差しかと思えば、昨日は冷たい雨、今日は晴れても寒の戻り。自然の営みに翻弄されながらも、確実に時は流れていきますね。

 大変長い間ご無沙汰してしまい、申し訳ありませんでした。
 その後いかがお過ごしでしょうか。

 あのあと私は、脳内バカンスから戻ったものの、バカンス以前とは違う道のりをおっかなびっくり歩き始め、なにかとてつもなく遠いところへ来ています。過去の作品を文庫にしてそれを売ろうという無謀極まりない試みに、惑い右往左往しながらも、よたよたと道を歩いているのです。
 昨年9月に神田神保町の「PASSAGE」という共同書店の中に、ひとつの棚を持ちました。そこに、自作の拙い文庫本を並べております。今年5月には初めての「文学フリマ東京」に出店する予定です。
 
 あなたにお手紙を書けなかったのは、年寄りの冷や水と自らを嗤いながらもそのようなことに夢中になっていたためで、さらに言えばその間ほとんど、読書らしい読書が出来ていなかったからです。
 あなたはきっと、私がバカンスに行ったまま、もう戻ってこないのかもしれないと思っていたかもしれませんね。いつかまたふと、手紙が舞い込むかもと思ってくださっていたかもしれませんが、あるいは、あのままで手紙が途絶えるのは不実だと感じていらしたかもしれません。
 
 実は私は、もう自分は読書が出来ないのかもしれないと思っていました。折からの作業に眼精疲労と老眼が進み、作業を終えるととても目が疲れてしまって本に手が伸びず、にも関わらず、目が欲しがって買ってきては本棚に並べるいわゆる「積読」の状態が続いているからです。

 そのような状況が続くと、次第に、そもそも私は、本が好きだったのだろうか、まともに読むことなどできていたのだろうか、と、思うようになっていきました。自分と読書について改めて振り返り、ああ私は何にも知らない、何ひとつ大事な書物を読んでいない、読書が好きだなどと、そんなことを言っていい人間ではなかった、そんな気持ちが膨らんではしぼみ、少し虚しささえ感じていました。

 あなたにお手紙を書きたくなったのは、元旦でした。
 大きな出来事が北陸を揺るがし、あのとき私は、あなたからのこのお手紙をありありと思い出していました。

 あなたから教えていただいて読んだ『幻の光』。
 主人公が奥能登で出会う人々や、主人公の悲しみを受け止めた海を思い出し、あなたにお手紙を書こう、と思ったのです。
 でもまだあのときは私の中で、動揺の方が大きく気持ちも定まらず、書き出してもなにか的外れで、うまく言葉にできないままでした。

 あなたとnoteを通じて出会いお手紙を交換する中で、あなたから尼崎と奥能登が舞台の『幻の光』を教えていただかなかったら、私はあの元旦の出来事をもっと遠くに感じていたかもしれません。私はあの出来事であの小説を思い出し、そしてあなたを思い出しました。あなたも『幻の光』を思い出しただろうか、と。そして万が一、あなたやあなたの親しい方があの場所に縁故があるとしたら、悲しい思いをしていませんようにと願いました。

 小説を読むということは、心の中に知り合いを増やすことのようだと思います。小説は飽くまでもフィクションです。しかしフィクションやファンタジーというものが、心に喚起する思いというものは、現実なのです。「思い出す」ということは、こういうことなのではないか―――作者も登場人物も、そして彼らが生きる時代も土地も、ついにはそれを一緒に読みあった誰かがいれば、それらすべてが知らないところ、知らない人ではなくなってしまう――それらもすべて経験した「思い出」となりうるのです。
 「思い出す」ということは、ゼロか1か、はたまた「知ったら知らない状態に戻れない」という知の特性そのものなのではないか。だからこそ、人は本を読むのではないか、と思いました。
 小説は無くならない――、人間が人間であるかぎり。
 そして小説(虚構)には、現実の人と人とを、結び付けてつなげていく力があるのだと思います。

 そう思い、今頃なにを、と思われたとしても、そう思ったことをあなたに伝えたくなり、お手紙をしたためました。

 今年の大河ドラマが『光る君へ』という紫式部を扱うドラマということもあり、最近は源氏物語やそれにまつわる本が大量に出ているようです。多分に漏れず私もドラマを楽しみに観ており、ぼちぼちと、読書のリハビリとして、関連する本を読んだりしています。小林秀雄の『本居宣長』に出てきた本居宣長の『玉のをぐし』を読んでみたい(読めるならば、眺めるだけでも)と思っているのですが、図書館で探さなければと思いつつ、そのままです。

 『コレラの時代の愛』は、購入しました。
 がしかし、こちらも完全なる積読で、私はまだマルケスを読めません。
 
 今自分がしていることは、今しかできないことと腹をくくり、頑張ることにいたします。まだゆっくりと腰を据えて本を読むことができませんが、それでも、あなたと本を通じて言葉を交わし合いたいという思いは変わりません。頻度はとても低いかもしれませんが、またこうしてお手紙を書かせていただくこと、許していただけるでしょうか。

 まずはこのお手紙が、無事にあなたのお手元に届きますように。

 春は何かと忙しく、また体調も変わりやすいものです。
 どうぞご自愛くださいませ。

敬具

 既視の海 様

 みらっち こと 吉穂みらい


 追記:先ほど、なぜかフォローが外れていたことに、初めて気が付きました。私が能動的にフォローを外したことはないのですが、長いご無沙汰をしたうえ、なお、ご不快な思いをさせてしまっていたとしたら、大変失礼しました。
 
 
 

 

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