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エジプト

 二十数年前、エジプトに行った。新婚旅行だった。新婚旅行先にエジプトを選ぶ人がほかにいるのかいないのかはわからないが、私たちは選んだ。行ってみたことがなく、仕事でもそう簡単に行けるところではなく、歴史があって、前から行きたかった場所。それがエジプトだった。

 ただ、そこまで思い入れが強かったわけではない。なんとなく行きたかった、くらいの感じだった。1990年代。当時のエジプトについて、ふたりとも何の知識もなかった。ピラミッドがあって、スフィンクスがあり、ナイル川がある。私は映画『アラビアのロレンス』を観たし、神坂智子さんのエッセイと『王家の紋章』くらいは読んでいたから、夫よりは少し知識があった(威張れることではない)。

 夫はそこそこ旅慣れた人だったし、沢木耕太郎の『深夜特急』を読んでいるようなタイプだったので、特別な準備をしたがらなかった。一応新婚旅行という名目なのだからと難色をしめした私のために、仕方なくホテルとチケットを手配した(いや、普通、することだと思うし、してよかった)。

 到着は夜で、空港からホテルまでの車中は、高速道路のオレンジ色の灯りで不思議な静けさに包まれた、なんだか判然としない景色の中を不安な思いで移動した。ものすごく静かだった。

 ホテルに着くと、ツインの部屋に案内された。はーやっと着いたと思ってチップを渡そうとしたら、ホテルの案内係が「新婚旅行でしょう?新婚旅行なのだったら、ベッドをくっつけないと!」と言い張って、そんなことは不要だと断ったのにわざわざ二つのベッドをくっつけてダブルにしてくれた。私たちは無言でそれをみていた。結構時間がかかった。つきあってだいぶ経ってから結婚した私たちは、そんなことはどうでもよかった。でも、これがこの国のサービスなのだろうなと思った。もしかしてもう少しチップが欲しかったのかもしれないが、私たちはとにかく疲れていたので、ぼんやりと彼のすることを見ていた。彼はすごくいいことをした!という顔をして、部屋を出て行った。

 翌日、起きたらコーランが聞こえて、イスラム圏だなと実感した。適当に街に出た。日本人とみると何かとお金を取ろうとするから寄ってくる人には注意、と話には聞いていたが、本当にすぐに男性が声をかけてきた。いきなり自分は教師だと名乗って、日本人だろうと聞くから、違いますと答えた。そう言うとそれ以上追及してこなかった。向こうも、いきなり否定されて何を言ったらいいかわからなくなったのだろう。去っていった。旅の間中、それで通した。教師は何人もいたし、政府の役人だという人も何人もいた。カイロの町は、教師と政府の役人だらけだった。タクシーを呼ぶとか、観光案内をするとか、そういう話をしたかったのかもしれない。万が一ではあるが、世間話をして親切にしたかった人だった可能性もある。すぐに断ってしまい話も聞かないから、何の用だったのかもわからない。

 翌日はホテルのピラミッドツアーに参加した。ラクダにも乗れるツアーだった。車で郊外に向かった。ピラミッドは意外と近く、スフィンクスの一部は修繕していた。ラクダは「ゲロゲロガラガラゴロゴロ」と鳴いた。ラクダの背に乗せてもらい、ラクダをひくおじさんの、パンツの透けた上衣を眺めた。『月の砂漠』みたいな情緒はなかった。ピラミッドは大きく壮大だったが、大きすぎて全体像が目に入ってこない。写真で見る方が理解できるという矛盾に遭遇した。

 ツアーに参加していたアメリカ人女性が、ラクダの上で「お水~お水をちょうだい!コーラでもいい!」と大声で叫んでいたのを思い出す。誰に叫んでいたのだろう。彼女はひとり旅だった。そんな些末なことばかり覚えている。

 ハリーリ(市場)は確かに異国情緒満載だった。でも買い物はたいして面白くなかった。日本人が喜ぶはずの、すでに当時でさえ時代を感じさせる「バザールでござる」を連発していた(先日テレビで何の番組だったか少し前の旅行ものでカイロの街が出てきて、懐かしく思ってみていたら、三十年近く経っているのに同じ言葉が聞こえてきて、驚いた)。地球の歩き方に載っているような香水瓶を、探し回った。値切る方法もしらないから、1回くらい値切って適当に買った。いくらで買ったかも覚えていない。いいカモだっただろう。

 お腹がすいたので近くのケバブ屋でケバブを食べた。ハエがたかるケバブを、ハエを追いながら食べる私を、夫は奇異なものを見るような目でみた。あのころは、夫より私の方が、そういうのが平気だったのだ。三十年近く経って、自分がほとんど遺伝子レベルから別人みたいな気がする。今、私はかなりの潔癖症だ。年月は人間を変える。

 カイロ博物館でミイラも観たが、結局エジプトの歴史上重要で主要な展示物は全部英国の大英博物館に持って行かれてしまっていて、レプリカばかり見た。

 ナイル川クルーズを、したのだったかしなかったのか、今ちょっと記憶喪失になっている。そのころには、もうだいぶ疲れていた。暑かったかどうかも忘れてしまった。そんなふうに忘れてしまえたのは、若かったからだろう。今行ったら、まず間違いなく暑いことしか覚えていないに違いない。

 アジア人夫婦にあまり優しくないスタッフのいるホテルのレストランのテラスで、私は友達に絵ハガキを書いた。夫は勧められたハシーシをすった。いいのか悪いのかわからないからやめとけばと言ったが、吸ってボヤッとしていた。せっかくだからモスクを見に行こうとしたら、私は当然門前払いで、夫だけ中に入った。同じく門前払いされた金髪の年配女性と、暑いですね、そうですね、と盛り上がらない話をしたことを覚えている。

 その後ギリシャにも行く予定で旅は続くのだが、その時点でふたりともかなり疲れていた。なにか、文明が足りない気持ちになっていた。文明発祥の地なのに、そんな風に思うのが理不尽な気がしたが、正直な感想だった。

 本当に飛ぶのかと心配になるような飛行機に乗って、ギリシャに向かい、ギリシャの青い海と街並みを眼下に見たときは感動した。文明だ!これが文明だ、と思った。何をもって「文明」と思ったか、とどのつまり、私がすっかり「西洋文明」に毒されていた、ということだと思う。自分の未熟な「文明の基準」を、おそらくはそのとき、初めて認知した。

 着陸時は機内が拍手喝采だった。みんな同じように思っていたんだなと思った。

 アラブの春を経て、かの地は変わっているのだろうか。今のエジプトのことを私は何も知らない。今は、このご時世ということもあるが、それ以上に気軽に行くには難しい場所になっているのかもしれない。

 ちなみに、新婚旅行でエジプトに行くのは、正直あまりお勧めしない。交際が長く「新婚」という要素はあまり関係ないと思っていたが、さすがにそれまで一緒に暮らしていなかったので、普段よりも問題は発生した。いろいろと価値観の差が出やすい新婚旅行で、負荷のかかる場所には行かないほうがいい。そういう点で、異文化度の高い国は負荷がかかる。

 エジプト旅行の疲れから、ギリシャで割と険悪な喧嘩になったことだけは、付け加えておく。

 おいそれと旅に出られない今だからこそ、旅の話をしてみた。新婚旅行では勧めない、とは書いたが、鮮烈な思い出のある場所だ。三十年近く経ってもくっきりと思い出せる。

 今、若い人が旅に出られないのは本当に酷だと思う。世界中どこにでも、好きな時に旅ができる日が来ることを、心から願っている。

(2021年6月29日 初出)

2023年追記:再び自由に旅行に行けるようになった世界、万歳。願わくばどこの空も迂回せず、どこの国にも、でありますよう。

#わたしの旅行記




  過去記事にタグ記事をつけて参加した気になっていましたが、「期間中に投稿」しないといけなかったんですね。
 最終日に慌てて再投稿いたします。
 2年前の2021年6月29日の記事です。
 よろしくお願いします。


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