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不便な時間をつくる。

先週末、精進湖までキャンプへ行った。

中央道の長い渋滞を抜け、富士河口湖町へ。
山の斜面には薄く雪が積もっている。
キャンプ場に到着し、車から降りると足元には霜柱。
前日はマイナス10度まで冷え込んだらしい。
この時期は空気が澄み渡っていて良い。
晴天にも恵まれ、富士山の解像度はこれ以上なく美しい。
新調した焚火台の中で燃える炎の柱。
ひとつのかたちにとらわれず揺らぎ続ける
不完全燃焼色のそのフォルムは、いつまで見ても飽きることはない。
この安心感は、太古の祖先が火によって
手にした自由と権力の名残なのだろうか。

炎を囲み、大自然に囲まれた僕たちは
料理と食事を繰り返し、凍えながら夜を明かす。
答えのない問い。
くだらないバカ話。
昔話。これからの話。
居酒屋のような喧騒がないからか、いつもの会話も心の深いところまで届いている気がする。

自然の中に身を置く。
それは、自分の無力さに向き合う時間でもある。

レバーをひねるだけで点火するガスコンロなんてそこにはない。
あるのは無骨に切りそろえらた薪。
その中から数本、バトニングで細さを調整し、火種となるフェザースティックをつくり、火打スティックで点火する。点火するだけで終わりではなく、酸素の量を調整しながら一人前の炎になるまで面倒を見続ける。

この不便さが、自然だ。

2019年の東京に住む僕らは、あらゆる便利をお金で買っている。
この便利は、誰かによって生み出されたアウトプットだ。
見方を変えると、便利が生み出されることによって、
僕らは日常に隠れ気づかなかった不便さを発見し、お金を払って新しい便利を得る。

だってそうだ。
人は洗濯機が発明されてから、洗濯が面倒なものだと気づいた。
ティファールがなければ、やかんで湯を沸かす時間に
いらだちを覚える人は少なくなかっただろう。
料理するのが面倒な仕事帰りは、数百円を払って吉野家へ行く。
メールの普及によって年賀状を送る人が減っているのも事実。
最近では、退社代行サービスというものもあるらしい。

ひとつ言えるのは、そんな便利の中には、不必要な便利も紛れ込んでいるということ。

自然の中に身を置き、極限の不便さを味わい、
無力な自分を向き合う時間。
それは、余剰な便利さに気づく感性を養う時間でもあると思う。

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