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承認欲求と愛

「承認欲求」という言葉がある。誰かに認めて欲しいという気持ちのこと。自分で自分のことを認められないと、この気持ちが湧きやすい。他の誰かに自分のことを認めて欲しくなる。委託(アウトソース)したくなる。でも、他人には他人の価値観がある。だから、自分のことを認めてもらうには、その他人の価値観に合わせなければならない。

もし、その他人の価値観と、自分の価値観が合致していればいいが、そんなことはあり得ない。別の人間なんだから、基本的には価値観は異なる。そのため、他人の価値観に合わせようとすればするほど、自分の価値観からどんどん離れていってしまう。無理をしてしまう。それにより、自分の人生なのに、どこか他人にコントロールされているような感覚になり、次第に生きる喜びを失っていく。承認欲求が高いことの問題点はここにある。

また、他者からの承認は、愛に似ている。だから、愛情不足だと、つい他者からの承認を愛だと勘違いして、何とか承認してもらえるように、色んな条件をクリアしたり、その他者の価値観に沿った行動を取ろうとしてしまう。

しかし、それは「愛」ではなくて、ただの「取引」だ。根本的な話をすると、何か条件を満たしたり、自分の価値観と合致したときだけ相手を認めるという行為は、「愛」ではない。なぜなら、「特に理由もないのに、条件もないのに、その相手を大切に思う気持ち」のことを「愛」というからだ。

例えば、私はペットの犬と猫のことを愛してる。すごく大切に思っている。特に理由もない。ただただ好き。特に芸とかもできないし、わがままだけど、それでいい。生きてくれてるだけで十分。考えたくないけど、もし死んでしまったとしても、ずっと愛してると思う。だから、条件なんか一個もない。それでも大切だ。

それに比べて、何かの条件を満たしたときにだけ貰う「承認」なんかは、もう今の自分にとっては正直どうでもいい。あってもなくてもいい。だから、そんなもののために、自分の価値観を犠牲にしたくない。

ただ、自分で自分のことを認めてるのか?と言われたら、答えるのが難しい。なぜなら、そんな優秀でもないし、お金もない。他人に誇れるようなこともない。認める、という言葉遣いだと、なんとなくハードルが高い。だけど、自分に失望もしていない。良い意味で、しょせんこんなもんだと、自分のことを思っている。良い意味で自分には期待していない。たくさん失敗するのが自分だと思ってる。だから、失敗しても、そこまで凹まなくなった。(失敗すると思っていて、予定通り失敗するんだったら、別に驚かない。あー失敗したなーと思うだけ。)

そんな考え方になってから、最近は、長い間びびって踏み出せなかった英会話に挑戦したり、英語の勉強も捗っている。失敗が怖くなくなった効果だと思う。勉強は失敗することだから。失敗が怖いと勉強もできないのは当たり前。きっと勉強に集中できない学生さんも、原因はそこだったりする。きっと学校や予備校じゃ教えてくれない。

今の自分の状態を、「自分のことを認めている」と表現していいかわからないけど、自分のことを条件で見なくなったのは間違いない。成功しようが失敗しようが自分は自分。誰かに褒められようが怒られようが、自分は自分。特に変化なし。自分を誇らしく思うこともなければ、自己否定することもない。とにかく普通。だから、承認欲求はあまり感じていない。もちろん褒められたら気持ちはいいけど、そのために努力しようとは思わない。自分のやりたいことや好きなことのために時間を使いたい。だから、その選択をして、他人に批判されたとしても、そこまで気にならない。他人には他人の価値観があるのは当たり前だから。その他人に褒められようとも思わないし、そのために自分の価値観を曲げたくない。

先ほど、「特に理由もないのに、条件もないのに、その相手を大切に思う気持ち」のことを「愛」だ、とカッコつけて書いたけど、それならやっぱり、私は自分のことを愛してるのかもしれない。一昔前の自分は、それができなかった。優秀じゃない自分を責め、生きる資格がないと考えていた。親からの愛が欲しくて、無理をして親のご機嫌取りばかりしていた。今考えると、それは愛じゃなかった。それでも、愛に飢えてたから、他人からの承認が欲しくて、常に他人の顔色を伺い、緊張していた。それでも、親は条件を満たせない自分を認めてくれず、職場のお局から悪口を言われたことがきっかけで適応障害になり、結果的に双極性障害を患った。今現在は、わりと元気になってきたけど、まだ波はあって、鬱期はとても辛い。それでも、そんな自分のことを責めたりはしない。そんなんでも、自分は自分だから。

そして、それを教えてくれたのは、ペットの犬と猫。彼らがいたから今も生きているようなもの。長生きしてほしい。何もしなくていいから。この気持ちは、やっぱり「愛」としか表現できないし、きっと完全にはこの気持ちを表現しきることはできないだろう。

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