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読書感想 西の魔女が死んだ

梨木香歩の『西の魔女が死んだ』を最近読み終わった。
好きすぎるかもしれない。
好きすぎてもう何周したかわからない。
初めから読み直したり、ページ戻って見直したりして、自分に擦り込むように読んだ。
新しく読む本も届いているので、そちらも読みたい気持ちもあるけれど、1週間以上経ってもまだこの本から離れたくないと思ってしまう。
感想にまとめたら、自分の中で一区切りつくかな?と思ったので、長くなるけど文章にしてみることにした。

あらすじと感想

中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変わるひと月あまりを、西の魔女のもとで過ごした。西の魔女ことママのママ。つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも……。

「西の魔女が死んだ」(梨木香歩,令和四年,新潮社)裏表紙より

キュンとするおばあちゃんと孫娘の物語

おばあちゃんと孫ってどうしてこんなに可愛いんだろう!
『西の魔女が死んだ』は主人公のまいがたっぷりの自然やおばあちゃんとの生活を通して、時々迷いながらも自分の気持ちを一つ一つ理解して成長していく物語だ。
おばあちゃんが指南役なのだけど、ビシバシ鍛えるというより優しく包み込むようにまいの気持ちを組みながら成長を促していく。
まいとおばあちゃんのやりとりがピュアで愛に溢れていてキュンとしたり切なくなったりした。

おばあちゃんとの生活の中で、まいは魔女の存在を知る。
自分にも魔女の素質があるのではと思いたち、おばあちゃんの指南の元魔女修行をする。
ただの自然たっぷりな田舎暮らしだけではなく、感受性の強いまいの視点で、ちょっぴり怖い不思議なことに触れられるのもこの物語の魅力だ。
読みながら、まいもおばあちゃんもこんな見方ができるのって素敵だな、でもまいはちょっと心が騒がしくて大変そうだなと思った。
だからまいには魔女修行が必要なんだなと気付いたら、今度はおばあちゃんに共感して、繊細で傷つきやすいまいがどうしようもなく愛おしくなってくる。

おばあちゃんのする魔女の話は、真実なのか、まいを成長させるための作り話なのかすごく絶妙だ。
まいも話の内容に関しては半信半疑という感じだけど、大好きなおばあちゃんを信じようとしている様子で、言われた通りに真面目に魔女修行に励む。
おばあちゃんのことをあまり疑えない感じ、めちゃくちゃわかる。
ほんとかな?とほのかに思うことでも、おばあちゃんが言っていると妙に信憑性が高く感じることがあるけどなんでなんだろ。
おばあちゃんは私に嘘をつかない、ついても悪い嘘はつかないっていう信頼関係が自分と祖母の関係を思い出させてウルっときた。
そしてまいは自分の意思でものを決める事を覚え始めると、おばあちゃんとの関係性も少し変化する。
それがまいの成長だと思うのだけど、おばあちゃんを思うと切ない。
ギュッと胸を締め付けられるような罪悪感を感じながら、このまま終わっちゃうの・・・と不安になっていたところで、2人だけがわかるささやかで特別なサプライズで幕を閉じる。

おばあちゃんは、家族からは距離がある存在だ。
自然を感じながら生活する生き方や、独特な死生観を持っており魔女のような不思議な存在と捉えられている。
皆おばあちゃんを愛しているのは間違いないけれど、娘であるお母さんもおばあちゃんとは馬が合わない節があったり、お父さんもイマイチおばあちゃんを理解できていない。
おばあちゃん自身はそんなこと気にしてなさそうだけど、でもふとした時に寂しく感じたりはしなかっただろうかと考えて想像すると、なんだかちょっと切なくなったりして。
本を読みながらまいに感情移入しすぎて、心はすっかり孫の気分だ。
まいも少しおばあちゃんが底知れず怖いと感じる部分がある様子だ。
それでもまいはおばあちゃんが大好きなので、その気持ちを素直に表現するし、おばあちゃんもそれをまっすぐ受け止める。
おばあちゃんの持つ不思議な魔女フィルターをもろともせずに、甘えて好きだって伝えてくれるまいの存在が、どれほどおばあちゃんにとって大きなものだったか。
それを理解して2回目読み直すと、2人の愛の大きさにまた感動した。

物語の中に、ゲンジさんという人物が登場する。
おばあちゃんの暮らしを手助けしてくれる御近所さんなのだけど、まあ不躾で言動が不快なのだ。
まいが苦手とする存在で、まいが向けるゲンジさんへの厳しい視点は、少し決めつけが激しいような気もするけど、そう思っちゃうよね・・・とほんのり共感もできる。
私も物語の中盤までは、まいほど悪い人とは思わずともゲンジさんを苦手に感じた。
結末を知ってから何度か読み直してみると、このゲンジさんもまいと同じようにおばあちゃんの魔女フィルターを無視して正直に関わってくれる人だったんじゃないかと思う。
一人暮らしのお年寄りを手助けしてくれているという点からも、ゲンジさんは悪い人ではないのだ。
不躾なだけで、目の前の人をありのまま受け取って、自分を良くも悪くもいつわらない人なのだと思う。

自然に生きること、慈しむこと

おばあちゃんの家の裏庭や森の豊かな自然が、疲弊したまいの心を癒していく。
まいが自然を慈しんでいる様子から、読み進めるうちに自分も自然の中に身を投じたくなってきてしまった。
んで、先日森林公園に散歩まで行ってきた。(それは別記事です。)
特にまいのお気に入りの場所が素敵なのだ。
森の中に見つけたまいのお気に入りの場所で、時々まいは1人になって考え事をしたりする。
こんな場所が自分にもあったらいいのになぁと思う。
おばあちゃんの家や森の中にいろんな植物が出てくるのだけど、馴染みのないものも多く、調べながら読み進めた。
こんな植物があるんだ!と勉強にもなったし少し植物に興味が湧いた。

おばあちゃんの生き方はすごく『自然』だ。
自然の中で、できるだけ自然なもので、自然に生きているという印象。
丁寧な生活ってこういうことなんだろうなと思う。
おばあちゃんの変に加工されたものが少ない生活は、すごく心地よさそうに見えた。
このおばあちゃんは多分、ファーストフード店のポテトが無性に食べたくなったりしないんだろうな。限定の味付けパウダーとかつけたりしないんだ、自分でお芋をあげて食べちゃうタイプだろう。
なんだったら自分で芋を育てるところからしそうな感じだ。
味付けのパウダーだって香辛料を調合して自分で作っちゃいそう。
それくらい背伸びせず、あるままに自然なものを愛して楽しんでいる。
とにかくおばあちゃん家でゆったり流れる時間と自然を愛する健康的な生活が羨ましくなった。
裏庭で育てたハーブや野菜を料理したり、森で木イチゴを摘んできてジャムにしたり。
自然なものがとにかく美味しそう。
中でも木イチゴのジャムは食べてみたいと思って、木イチゴって何?ラズベリー?と思いながらスーパーで似た商品を買った。
あとキンレンカの葉が入ったサンドイッチが出てくるのだけど、またまたキンレンカとは?と疑問に思って調べたりして。
なんかピリッとするらしい。
美味しそう・・・食べてみたい。

物語を読み進めながら、自分の出来る範囲の良いことが自分にとって一番心地の良いものということなのかも知れないとほんのり思った。
先に何かを無理に手に入れて、それに見合うように背伸びすることもあるけど、それは自分の中にちょっと不自然な歪みを生むのかも知れない。
いつかおばあちゃんになったら、こんな風に生きれたらなぁとも思ったけど、私の出来じゃ60歳くらいじゃ叶いそうもない。
80まで元気だったら・・・できるかなあ。

この物語は命への愛と慈しみで溢れている。
自然・人・動物の中で、この社会で今ある命でどうやって生きていくか、意思決定していくかを考えさせられる物語だ。
迷いながら自分の気持ちを一つ一つ整理しながら成長するまいの視点を通して、自分自身におばあちゃんの教えを落とし込んでいるような感覚があった。
優しい物語を楽しんで読んで、読了後は『勉強させていただきました。』という感じがした。
時々何か心が疲れた時迷った時は、またこの物語に触れたいと思う。

西の魔女との出会い(おまけ)

その日、文庫版の魔女の宅急便1巻を読み終えて、続きを買うつもりで書店に出向いた。
角川文庫のか行の作家の棚を見つけて、角野栄子の名前を探す。
あった!と思ったら、1巻のみで2巻〜がない。
え〜ん。
目的の本がなくて少し残念な気持ちになりながら、残りは通販で買おうとは思いつつ、何も買って帰らないのもなぁと購買意欲を持て余してしばらく店内をブラブラ。
そうだ!こんな時はいつか読もうと思っていた本をお迎えしよう!と、ちょうど思いついた時、目の前の棚に平積みされているこの本が目に入った。
梨木香歩『西の魔女が死んだ』
キキとジジを探していた私の目の前に、西の魔女がニヤリと笑って現れたのだ。
探していた『魔女』とは違ったけれど、同じ『魔女』という言葉にほのかに運命の導きを感じて、その本を手に取ったのだった。

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