人を誘えない

今日も1日、おつかれさまです。
今回は、人を誘えないことについて、話します。



人を誘えない経験


遊びに行く時や、どこかに行こうとする時、
誰も誘うことができない、
誰かに誘われるのを待ってしまう、
こんな経験をしたことはあるでしょうか。

私はほとんど全く、人を誘うことができません。
もちろん、誘われたら、人とでかけることはあります。
誘われた場合は、基本的に乗っかって、出かけますが、
誘われないと、誰かと一緒に遊んだり出かけたりできないのです。

誰かと出かけたくないから、ではありません。
むしろ、誰かと一緒に、あの子と一緒に出かけたいな、と思うのですが、
どうしても誘うことはできないのです。

たとえば、
映画を観に行くとき。
友人の好きな役者か出ていたり、
共通の趣味であるアニメ映画だったりした場合、
普通ならその友人を誘うことができるかもしれません。
映画一緒に行かない?からはじまり、
予定をあわせていく。

しかし、私には友人であっても、
この場合であっても、誘うことはできません。

決して、1人で映画をみたいわけではありません。
一緒にみたいと思っても、
ただただ、誘えないのです。
結果的に、友人から誘われて一緒に観に行くことになるか、
あとで動画配信やDVDなどで1人でみることになるか、という結末をむかえます。

なぜ誘うための連絡ができないのか

なぜ、人を誘うことができないのでしょう。

私の場合は、1つ大きな理由があります。
もちろん、その他にも理由は考えられるかもしれませんが、これが1番大きな悩みですね。

ずばり、
相手のことを考えてすぎてしまうからです。

そりゃ、人を誘う時点で、相手のことを考えるのは当然のことでしょう。
映画に誘うとしたら、
この映画、興味あるかな?
あの子の好きな俳優でてるから、誘ってみようかな
など、相手のことを考えた上で、誘い、予定をたてていくと考えられます。

私の場合は、こうしたことを考える際、かなり考えすぎてしまうのです。

誘うタイミングも考えます。
今、忙しいかな。
忙しかったら、映画一緒に行こうって誘って、無理させちゃうかな。
連絡しても大丈夫かな。
と、連絡するまでの躊躇がありますね。

さらに、
この映画すでに観ちゃったかな。
興味ないのに、無理して着いてきてもらうことになっちゃったら嫌だな。
落ち込んだり疲れたりして、出かける気分じゃないとしたら、どうしよう。
など、余計な心配がはじまります。
映画を視聴済みかどうかは聞けばわかりますが、
相手の疲労に関しては、なかなか察することが難しいでしょう。

誘うための連絡をする時点で
考えすぎてしまい、
結果として誘えないままになることが多いです。

誘えそうな状態でも、誘えない

様々なことを考えた末に、
ようやく相手を誘える状態になったとします。

そういった状態になるためには、
SNSや会話のなかで、同じ映画に興味があるといった情報を手にしていたことがほとんどです。

すると、さらに考えてしまうことがうまれます。

相手を誘うということは、
自分のために相手の時間を使わせる
ということと考えられるでしょう。

お互いにみたい映画だったとしても、
1人で観に行かずに私と行くということは、
映画の前後の時間を共有することになり、
私のために時間を使ってもらうことだと考えられます。

私が誘うということは、相手の時間を使うことになるなら、
最大限に楽しんでもらいたいです。
「楽しかった、誘ってくれてありがとう」
と、心から感じてほしいのです。

そのために、
相手が楽しめるように最大限に配慮をします。
ご飯は相手が食べたいものをなるべく聞き出してあわせたり、
面白い会話ができるように頑張ったりします。
すぐにわかるような頑張りでは、
気を遣わせる可能性があるため、
あくまでも自然な様子で、相手をもてなすのです。

相手へのもてなしのために、
神経を研ぎ澄まします。
すべて、誘われて楽しかった、
と思ってもらいたいからです。

「私が誘ったんだから、最大限に楽しんでもらわなくてはならない」
この使命感があるため、誘うということは、
相手に楽しいと思ってもらわなくてはならない。
そのために、楽しんでもらえるよう頑張る。
ということだと感じています。

私が誘って、楽しませることができるかな
と考えてしまい、
誘える状態になっても、誘うことができません。

お互いに同じ映画を観たいとわかっても、
私が誘って相手を楽しませることができるのだろうか
と考えてしまい、誘えない状況になります。

そんなとき、
相手から誘われたら、
二つ返事で一緒に行きます。

だって、私もその映画がみたいから。

相手から誘われたとしたら、
私のために時間を使わせる、という
考え方がやわらぎます。

もちろん、誘われたからって、
私を楽しませてほしいなんて、思いませんよ。
映画を一緒に観れるだけで、楽しいですから。

楽しませられるか不安になる私は、
誘われることで、安心して一緒に出かけられます。

悪い言い方をしてしまえば、
相手に誘われて出かけた際に、
仮に相手が思ったよりも楽しくなかったと感じたとしても、
誘った本人ががっかりするだけですみます。
映画が思っていたよりもつまらないとしても、自分が誘った映画だし、と、
私への非は問われないでしょう。

その一方で、私に誘われた状態で、楽しくなかったとしたら、
今後、私と一緒に出かけるのをやめてしまう可能性だって否定はできません。
私の誘う映画はあまり面白くない、一緒にでかけても楽しくないと、
私への非が少なからず、生じるでしょう。
こんなの耐えられません。
私が誘ってつまらないと感じられるのは、
嫌なんです。

つまり、相手に誘われることで、
自分の非が生まれる可能性を、相手に押し付けているともいえます。

最低な考え方だとしても、
私が安心して一緒に出かけるには、
相手に誘ってもらうのがいいんです。

誘われて嬉しいという気持ちを感じるうえに、
相手の時間を使ってる分、楽しませなければという使命感をあまり感じなくてすみます。

こんなことを考えてしまうため、
私は人を誘うことができません。

考えすぎなのではないか、
と言われたこともあります。
それでも、ここまで考えてしまうのが、
私の癖でもあるのです。

どうしても誘えない私にとって、
気軽に誘ってくれる友人はかけがえのないものであり、
永遠の憧れなのです。


ここまで見てくださり、ありがとうございます。
今回は、私が人を誘えないことについて、話しました。

みさきの世界で、少しでも共感や安心を届けられますように。
みさき

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