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大河ドラマ「いだてん」にはなぜ落語が必要だったのか

箱根駅伝の季節が、今年もやってきた。

昨年もやっぱり箱根を見ていたのだけれど、コレ☝︎にも書かれているとおり、わたしが住んでいる家には、テレビがない。

ただし、実家を除いては、だけれど。

実家のハードディスクには、わたしが録画をお願いしていた番組や映画、舞台がはちきれないデータ量で溜まっている。

今回の年末年始の帰省で、一気見したのは大河ドラマ「いだてん」。

いままさにデットヒートを繰り広げている箱根駅伝の、いしずえを築いたのは、「いだてん」の主人公の一人・金栗四三さんであることは、「いだてん」視聴者なら知るところ。

令和最初の箱根駅伝、第一区の序盤で「金栗四三さんが見ていますね」とアナウンサーが実況していた。

さて、ふだんテレビを持たないわたしは、たまりにたまった録画群を上から順に閲覧してゆく。

「いだてん」も、一話ずつ再生するが、まったく飽きない。

次から次へ、エピソードを再生する手が止まらない。

ときおり、タイムラインに流れてくるニュースの端々で「大河ドラマ史上最低視聴率」などと、ガッカリな文句で紹介されることもあったけれど、わたしは今まで観た大河ドラマで一番好きだった。

脚本を書いているクドカンの作品が、もともと以前から好きだという贔屓目を除いたとしても、東京五輪2020を目前に、昭和史を描くという、その勇気と根気とユーモアを前にしたら、脱帽という二文字すら、足りない。

「いだてん」が、わたしのような熱狂的なファンを獲得しつつ、不評だった要因の一つに「時間軸が一つの話の中で変わりすぎ」「落語が入る意味がわからない」という声があったと聞く。

たしかに、大正〜昭和初期の時代と、昭和中期の時代を、かなりひんぱんに行ったり来たりして、物語は進む。

箱根駅伝の創始者兼、日本人初のオリンピック選手でもある金栗四三さんが主人公の物語は「いだてん」第一部。

1964年の東京オリンピック開催の影の立役者・田畑政治さんが主人公の物語は「いだてん」第二部。

この第一部と第二部を繋ぐ、かけ橋として、落語家・古今亭志ん生(ビートたけし)と彼の弟子たちの落語「東京オリムピック噺」が、ときおり挟まる。

ときにはドラマ全体のナレーション(いわゆるいつもの大河の『語り』的役割)、ときには第一部、第二部の登場人物たちのセリフをアテレコしながら、まるで狂言回しのように、志ん生とその弟子・五りん(神木隆之介)の落語が進む。

たしかに、歴史的人物を描くなら、第一部と第二部のそれぞれの主人公の生き様にだけフォーカスし、物語を展開したほうが、スムーズかつ分かりやすいかもしれない。

けれど、「いだてん」は明治後期から昭和中期を描いた、近現代のドラマだ。

しかも、人々の暮らし以上の、政治や戦争をもあぶり出す筋書き。

まだ、令和になったとはいえ、「いだてん」に描かれていることが、フィクションとしてはのみこめない人もいるのだ。

昭和、大正、明治後期より以前を描いていた、今までの大河ドラマは、ある種、ファンタジーだった。

日本の歴史の一部を脚色し、フィクションとして切り出しているとはいえ、徳川家康も、織田信長も、平清盛も明智光秀も、いちおう、現時点での史実では実在した人物ということになっている。

けれど、あまりにも、彼らが生きた時代と現代とが離れすぎていて、大河ドラマに映る物語は、自分ごとのできごととはほど遠い、見知らぬ国で起きた、知らないできごとに、映る。

けれど、「いだてん」の、とくに昭和に入ってからの政治的事件、五輪選手候補になった学生たちが過ごしていた環境──これらをファンタジーにするには、大河ドラマの視聴者層を考えると、まだあまりにも生々しすぎるのかもしれない。

「だからこそ、落語が役に立つ」と、昭和の出来事はややファンタジーに映る平成生まれのわたしは思う。

噺にしてしまうことで、寄席に来たお客(視聴者)に語り聞かせるスタイルをとり、生々しさをやわらげるはたらきをしたのではないか、という仮説。

それゆえなのか、たまたまなのかは謎だけれど、金栗や田畑のエピソードが、1960年代を生きる五りんや志ん生にとって、まだ記憶に新しい悲しい噺(関東大震災で金栗の弟子が行方不明になるなど)に及ぶと「落語なのに笑わせられねぇや」というような台詞が出てくる。

時代が近い、まだファンタジーになりきれない出来事の生々しさを、視聴者と共有するような台詞だなと、思ったのでした。

「時間軸が変わりすぎ」という指摘については、たしかにどこか舞台の演出っぽい場面の切り替わり方が少なくなく、それゆえかな、などと生意気に考えたりした。

関東大震災の焼け野原の真ん中で、若かりし志ん生(森山未來)が、呆然と立ち尽くしたと思えば突然正座をして落語を始めるシーンなんかは、気持ちがいいほどフィクションだし、プロジェクションマッピングを使ったような大火災の表現は、広さが決められている劇場での演劇作品っぽい。

資料の盛り込み方も、こうした「遠くない歴史の話」への寄り添い方も、音楽もアートワークも役者さんも演出も、ウィットに富んでいて、ほんとうにすばらしかったな。

という、時差のある「いだてん」ラブみ評でした。

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