痛く怖しい自己表現を諦めない

言葉にすることを快感に思っていた時期がある。

ある概念を言葉にすることで、自分の中にえんえんとひろがるモヤモヤした霧を捕まえられた気がした。

これからこんな風にして、少しずつ霧を捕まえてはカタチにしていけるのかもしれないと安心した。

言葉が色んなものを切り分けて生きやすくしてくれると思った。
向こうの景色までクリアに見える日が来るような気がした。

だけどその幸せな感覚は長く続かなかった。
言葉にしていくほどに大事なものがぬるりと指の間から抜け落ちているような心許なさがあった。

ある程度喜んでいられたのはその時のわたしが白か黒かとハッキリとした正解を求める在り方だったからだと思う。

ある物事に対して心の中で批判してみるも、その鋭い問いは自分に返ってくる。

どちらか一方だけをすくい取り、もう一方を捨てることができれば安易で良いのだけど、捨てたくて仕方のないそれは疑いようもなくわたし自身の一部だから捨てることも出来なかった。

そこに”ある”以上切り捨てることも出来ないけど、見なかったことに出来るほど馬鹿でもない。

袋の鼠状態になったわたしは自分の一部を切り捨てる代わりに、自分を外に発することをやめることにした。
臭い物に蓋をするのではなく、その蓋の内側に己自身を埋めるという試みだった。

黙ることで己の生に蓋を閉めようとしたけど、それは想像以上に耐え難いことだった。
自分を表現できないと生きながらに死んでいるような感覚だった。

切り捨てるか、自分の一切を外に出さないか、極端な二項対立の世界に封じ込められていた。

それは絶対的な正しさがあると信じた上で、我こそは常に正しく在れるだろうという恐しく傲慢な勘違いが引き起こしたことだった。

言葉にすることに快感を感じられていた過去のわたしは、自分自身をあまく見ていた。霧を言葉によって簡単に切り分けてしまえるだろうと、なめてかかっていたのだ。

同時に当時のわたしの内的世界がある程度綺麗に切り分けられるほど皮相なものだったとも言える。

今現在のわたしはあの頃より少し成長したように思う。

二項対立のクセは完全には抜けきらないまでも、どちらか一方ではないその境界線、細く引かれた線の上にだけひろがる新しい大地があるのだとわかった。

常に正しくあるなんて神でもない限りあり得ない、にも関わらずその神の領域に辿り着けると考えてしまう、そんな自分の傲慢さに対峙したからわかったことだ。

どんなに痛くても目を逸らず、自分を叩き壊すつもりで挑んだ。

人生に挑み、本当に生きるには、瞬間瞬間に新しく生まれ変わって運命をひらくのだ。それには心身ともに無一物、無条件でなければならない。捨てれば捨てるほど、いのちは分厚く、純粋に膨らんでくる。いままでの自分なんか蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。
岡本太郎

この言葉にも励まされた。

自身の愚かしさに気づいた時、すべてを投げ出してしまいたくなる、でもその時こそがチャンスだ。

弱っちい自分が居心地の良い穴の中に逃げ込まないようジッと睨み続ける。
睨みつけるその行為自体がアタマを鈍器で殴られるような痛みを伴うことだ。

だけど、殴られた後には必ず変容が起こる。

これまで拘っていたものが心底どうでも良くなってしまう、もう何もかも崩れたのだから何をすることもない。
そんな自由の風が吹き抜ける。

高く積み上げた石の城はもうバラバラになって地面に転がっている。
足元に転がる石っころは虚しいものだけど、不思議と可愛らしくも見えてくる。

これまで必要以上に無理をしていたらしいことが身体から伝わる、力みがとれてゆるんでいるのだ。

何もない真っ新な大地に柔らかな風が吹くと自ずと新しい芽が生まれたがっていることに気がついた。
あぁ、これだけ壊れてもなお、生命は生きようとするのかと、根源にある生命のパワーに驚いた。

この経験から、死と再生は1セットなのだと言葉でなく体感で理解した。
創造の隣には常に死があることも、芸術は決して美しくあってはいけないという意味もわかった。

人は自然そのものだ。

人の中にひろがる内的世界。
どこまでも遠くへ拡がっていく荘厳さを見せたかと思えば、一歩進むごとに足をとられる沼地にいることもある。


一滴の水滴が湖に落ちるとその湖はまた色を変える、訪れる刺激によって毎瞬ひろがっていく感性。


それを内包する内的世界を言葉で切り分けるなんて到底かなわないだろう。


これまでのわたしであれば完璧に表現できないのであれば意味がないと、すべてを切り捨てたくなったかもしれない。

でも、今のわたしは違っている。

人にはそれぞれの自然が広がっていて、それは分かり得るわけがないと理解したからだ。
一番近くにある自分でさえ、一生かけても分からない。
それを言葉によって切り分けようなんて、そんな浮薄な根性は持ち合わせていない。

わたしは自分自身の内に広がる宇宙に対して謙虚でいたい。

それは言葉によって完璧に切り分けようと力むことではない。

内側に広がるこの深淵な世界から逃げずに対峙し、それを自分の外に表現することを諦めないことだ。