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嘘の卒業

わたしは嘘を吐くのが好きだ。誰も傷つかない、誰も得をしない、ほっこりする嘘が好きだ。
わたし市橋紗季は公立鬼戸島中学校に通う、平々凡々な中学生。卒業も間近に迫って来てたし、進学する高校も決まっていた。

「紗季ちゃん、どこの高校に行くの?」
「八馬山高校。家から近いから。」
「え!あのヤンキーばっかりの?!」
「嘘だよ、本当は英田商業。」
「また出たよ、紗季の嘘。そうだよね、紗季の頭だったらそれくらいだよね。」

それくらい、という言葉に少し仕返しめいた意味を感じた。まあ確かに中の中の高校なのだが・・・

こんな風に嘘を毎日つく。
大事にしていることはすぐにネタばらしをする事だ。
あとは誰も傷つけないこと。

「先生、ズボンのチャック開いてるよ。」
先生は慌ててオロオロしながら股間を確認する。
「嘘だよ。」

「美香ちゃん、ブラウスのボタン取れてるよ。」
美香ちゃんは胸に目を落とす。
「嘘だよ。」

「荒木君、スニーカーの紐ほどけてるよ。」
荒木君はえっ、と言った顔で足元を見る。
「嘘だよ。」

そんな事を日常的に繰り返していた。
なのでわたしのあだ名はウソッキーになっていたし、それでもわたしはリアルな嘘を吐くのでみんなまんまと騙される。騙された後の「騙された―」という顔や「なんだこいつ」と言った顔を見るのも大好きだった。

卒業式間近の休み時間、クラスの女子とは誰の第二ボタンを貰うかなんて話をしていた。

「わたしはもちろん正田くんかなー。」
「えー、わたしも正田くん狙ってたのになー。美香がそういうならわたしは山田で妥協しとこうかな。」
「二人で行ってどっちにくれるか試してみる?」
「負けたら嫌だから山田で妥協する。あー、でも赤木もいいなぁ。」

わたしは第二ボタンは坂本くんと決めていた。
坂本くんとは幼稚園の頃から幼馴染だし、その頃からよく遊んでいた。ゲームと漫画が好きで缶バッチを集めるのが趣味の普通の子供だった。その頃から好意を寄せていたし中学で陸上部に入って県大会にも出たりしてかっこよかった。でもわたしは嘘で坂本くんを傷つけてしまった事がある。それから全然もう話していなかった。

あれは小学校6年生の夏。わたしが笠原商店の前にあるガチャガチャを回すかどうか悩んで、いざ回すと決めたら「インコのぬいぐるみコレクション」と「サンリオオールスターマグネット」のどちらを回すかで頭を抱えていた時。
自転車ですごいスピードで坂田くんがこっちに向かって走ってきた。
「おい!紗季!近藤病院ってどこにあるか知ってるか?!」
汗まみれでとても急いで自転車を漕いで来たようだった。
「うん、郵便局曲がってすぐだよ。」
「ありがとう!」
「うそだ・・あ!坂本くん!」
嘘だ、と伝える前に坂本くんは大急ぎで自転車で走り去って行ってしまった近藤病院は郵便局よりも先にあるスーパーの隣りにある病院だ。なんで急いでたのかなぁと思いながらわたしは「サンリオオールスターマグネット」で一番いらないと思っていたアヒルのペックルを引き当てて家に帰った。

次の日、坂本くんは口をきいてくれなかった。
「おはよ!昨日、さんま御殿見た?!」
「・・・」
「坂本くんの好きな芸人さん出てたね!」
「・・・」
「どうしたの?」
「別に・・・」
変なの、と思いあまり気にも留めず坂本くんのことは忘れて家に帰った。
帰り道、美香に「昨日カブトムシを捕まえた」という嘘を吐いた。

その日の夕飯の時、家族と夕食を囲んでいると母が世間話をはじめた。

「坂本くんのお婆ちゃん大変だったねぇ。」
「なにかあったの?」
「ゲートボールしてたら熱中症になっちゃたんだって。それで近藤病院に運ばれたんだけど意識不明で死んじゃうかもしれなかったんだって。」
「え?!」
「でも今朝にはピンピンして退院したらしいけどね。」

わたしは酷い事をしたと思った。いつも傷つけない嘘を吐いているつもりだった。でもわたしは坂本くんと傷つけてしまったかもしれない。最後にお婆ちゃんと会う事になるかもしれなかった坂本くんは郵便局を曲がって近藤病院を探し回ったのだろう。近藤病院は全然違う所にあるのに。どんな気持ちで近藤病院を探したのだろう、私の言葉を信じて―――

次の日、気を重くして学校に行くと坂本くんは普通に話しかけてきた。
「紗季、夏休みのラジオ体操当番の件なんだけど。」
もう許してくれたのか、良かったと思って話をする。
「俺、家族旅行に行くことになったから。一人でお願いできる?」
ラジオ体操当番は毎朝ラジオ体操に行き、みんなのスタンプを押す係だった。毎朝二人の生徒が学校で赴き1年生から6年生までのスタンプを押す。6年生というのはこんな面倒な仕事をやらされるんだ、毎朝早起きする事に辟易としていたところだった。わたしは朝が弱いから寝坊してしまうかもしれない。でもわたしの当番の20日から23日までは坂本くんと一緒だしどうにかなるかなと思っていたのに。でもわたしは傷つけてしまった件を思って「いいよ。」と言った。
「あんがと。じゃ。」
許してもらったと思った。でもそれ以来、坂本くんと話をする機会はほとんどなくなったし、中学校に上がっても業務連絡のような会話しかしなくなっていた。もちろん坂本くんにはもう嘘を吐いていなかった。

「で、紗季は誰に貰うの?」
美香が黙ってたわたしに急に話しかけてきた。坂本くんの事を考えてたら口を滑らし「坂本くん・・・」と言ってしまった。坂本くんは小学校の頃から好意を寄せていた初恋の相手だ、もちろん第二ボタンだってほしい。

後ろを通りかかった男子が言う。
「どうせ嘘だろ。」
坂本くんだった。わたしは焦りながらも「えへへ」という顔をした。
坂本くんはわたしを軽蔑するような視線で一瞥し体育着を持って去って行った。

「・・・あ!わたし家に体操着忘れちゃった!」
「え?!どうすんの?!」
「嘘だよ。」
「出たよ!」

―――何事も無く月日は過ぎて行ったがわたしは坂本くんのあの軽蔑するような眼が忘れられなかった。わたしはもう嘘を吐くのはやめると決意した。卒業だ。卒業式が終わったら嘘吐きも卒業する。高校では大人しく、正直な女子として過ごすのだ。
気にかかっていたのは第二ボタンの事だった。わたしは坂本くんの事が好きだった。第二ボタンは喉から手が出るくらいほしかった。坂本くんは遠くの陸上の強豪校にスポーツ推薦で行ってしまうからもう会えないかもしれない。でもどんな顔をして第二ボタンを貰えばいいんだろう。お互い思春期だったのもあるし謝るタイミングは完全に見失っていた。

卒業式の日。校長先生の退屈な話を聞いた後みんなで卒業証書を受け取り先生たちから送る歌として「春よ、来い」の合唱を聞かされ仰げば尊しを歌い式は終わった。嘘ばかり吐いてた3年間、いや15年間だった。もう嘘はやめよう。そう思い母と帰宅した。第二ボタンは諦めていた。

「あ!」
「紗季どうしたの?」
「卒業証書置いてきちゃった!」
「あらそう。」
「今日のは本当!ボーっとしてたら教室に置いてきちゃったみたい!」
「あら!バカね!早く取ってきなさい。母さん先に帰ってるから。」
「うん!」

そう言って小走りで学校へ戻り教室へ駆け込む。
坂本くんがいた。窓辺の席から物憂げに外を見ていた。

「あ・・・坂本くん・・・」
「・・・紗季じゃん。」
「・・・第二ボタンくれない?」

唐突に言葉が出てしまった。嘘でもなんでもない素直な気持ちでスッと呼吸をする様に言葉が出てしまった。
しばらく坂本くんはわたしを見つめた。

「・・・坂本くんのこと好きだったんだ・・・」
呼吸はすればするほど止まらなくなった。

「近藤病院の事・・・ごめん・・・」
俯いているわたしを坂本くんは冷たい目で見た。

「俺、嘘吐き嫌いなんだよね。」
そう言って席を立った坂本くんは去って行った。
わたしの頬に涙が伝った。なんで今までどうでもいい、本当にどうでもいい嘘ばかり吐いてきたんだろう。
この涙も嘘であればいいのに、とそう思った。

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