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ノルウェイの森に失恋した依存心と恋心。

タン・タタン・タンタンタンタン・タタン

指でギターの弦をぱらぱらと弾く音。奏でるビートルズのNorwegianWoodは、映画の中、森の色を濃く染める死とセックスが永遠に漂う霧のような時間を流す。


ねぇ、交換小説書かない?交換日記みたいな。


まだひやりと風が頬を撫でる頃、桜って散るから綺麗だよねなんて言いながらiPhoneで写真を撮るきみの隣を歩いた。

そんな季節の夜のこと。もう月や星はうっすらと太陽に照らされていた。受話器から聞こえる子犬みたいなかすんだ声に、ふときみが書く小説が読みたいと思った。わたしにとってそれは、ほとんど微睡みの中の告白だった。

わたしに書くことを教えてくれたの彼だった。エッセイや小説の書き方を教えてもらったわけじゃない。ただ、「書く」こと。彼の指先からさらりと文字が生まれていくその時の流れと、わたし自身からなんとか絞り出す一文字一文字が青春だったことには違いなかった。


えー・・どうせ書いても最後はノルウェイの森みたいな終わり方になるよ


含んだ笑いの中照れてるのが伝わってくる。彼がノルウェイの森が好きなのは前から知っていた。

当時はそれを知ってすぐに表紙が赤と緑の村上春樹と書いてある単語本を買い、くる日もくる日も読んだっけ。

***

もう彼とは会わない。いや、会えないのか。それともまた呼吸をするように再会をするのか。それはそれほど重要ではない気がした。

数年ぶりに映画を観る。彼が書くとそうなるという終わりがどんなだったか、緑のカバー「下」と書いてあるそれをパラパラとめくった。

人の死とセックスと男女のメンヘラでしかない。そう括ってしまえばそうかもしれない。若い男女の生き方や恋愛の苦悩を浮き彫りにしているだけ、といったらそうなのかもしれない。

わたしは文学のことはよく知らないし単純な思考回路をする方なので深いことは何もわからない。でも、わたしは彼がきっと愛でたであろうこの小説がどろりとした感情と一緒に依存に近い愛情で読み進めていた当時の自分を思い出した。

彼が書く小説を読んでみたいと思ったのも、ノルウェイの森を読もうと思ったのも、彼が触れる世界を覗いてみたかったからだ。

彼がどんなふうに人を愛し触れ哀しむのかをその濡れた瞳を見てみたかったのだ。そして、わたしがどうにかしてあげたい。それがわたしの本当の狙いだったように思う。

彼の孤独はわたしなら救える。笑ってしまうような、依存体質の女にありがちな思考回路だ。彼がいなければ生きていけないと公言しているような依存心に気づいたのは本当に最近で。それに気づいたときは、結局愛していたのは自分のためだったのかと心底自分をがっかりさせた。


本当のことは知らないけれど、彼はわたしよりもずっと繊細で感情を怖がる人のように思う。特に、自分に向けられる感情に。

そこにわたしは最後まで触れられなかった。何かを壊すことを怖がり怯えるように。冗談でもいいから、抱いてほしいそんな一言が言える女だったら良かったのに。

映画の中、主人公の女が涙を流して男に寄りかかりそのまま抱かれるシーンがあった。わっと思った。なにはどうあれ明確だった。わたしが踏み込めなかったものに彼女はいとも簡単に踏み込めた。壊れるか壊れないかなんて気にせずに彼女は涙を流し頭を男に預けていた。

怖がることも怯えることも依存しているからで、だから最後まで支えたいと思えなかった。最後まで、わたしが救ってあげたいと思っていた。わたしなら、他の女とは違う「トクベツ」になれると本気で思っていた。なんとも傲慢な女だなとやっぱり自分にがっかりする。

彼は何であの小説が好きなのだろう。
彼とは一度も人の死についてもセックスについても男女の感情についても話したことがない。

いつか、それが明日でも何十年後でもいい。話してみたいと思ってしまうのは何故だろう。

桜と花火を超えた秋、色づく季節を一緒に歩くことは、もう無かった。

#みさとん日記 #エッセイ #日記 #小説 #恋愛 #失恋 #依存心 #恋 #ノルウェイの森

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