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ばあちゃんの味

ポケットの中の。
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 スプリングコートのポケットに、去年の忘れ物を見つけた。適当にたたまれたカレンダーの切れ端。その裏面には丁寧に書かれた文字が並んでいた。
「そっか、ここに入れたんだっけ」
 何かを察知したように足元に黒猫がすり寄る。
「ん? ばあちゃんの匂いでもした?」
 問いかけを理解してか偶然か、黒猫は一声にゃあと鳴いた。スプリングコートをクローゼットに戻し艶やかな漆黒の毛並みをなでる。
「お前がうちに来てからもう一年になるんだな」
 猫は緑がかった瞳を細めると気持ちよさそうにのどを鳴らしていた。

「これ次に会った時に渡すって張り切ってたのに」
 喪服を着た母親はいつもより小さく見えた。
「一人暮らし始めたんだから料理も覚えなきゃって。小さい頃からおばあちゃんの豚汁が一番美味しいって言ってたの覚えてたんだね」
 渡されたのはカレンダーの切れ端。裏返してみるとばあちゃん特製豚汁の作り方が書かれていた。
「カレンダーの裏紙ってのがばあちゃんらしい」
「ふふ。おばあちゃん、料理の作り方は全部裏紙に書いてたからね」
「食器棚の引き出しだろ? こんな分厚い束出して来て『これが私の虎の巻』ってよく言ってた」

 大根、ゴボウ、にんじん、里芋、しめじ、こんにゃく、長ネギ、豚肉。春ならキャベツ、夏なら冬瓜、秋ならサツマイモ、冬なら白菜。季節野菜を入れるのがばあちゃん流。そして良い食材の見分け方、だしの取り方、材料の切り方、調味料の正しい使い方、料理手順まで。
「細かいなあ」
 苦笑いしながらレシピを目の前の壁に貼り冷蔵庫を開けた。残念ながらこんにゃくはなかったけどそこは目をつぶる。
 にんじんは半月切り、大根はいちょう切り、長ねぎは斜め切りに、ごぼうは乱切りにして水にさらす。しめじは小房に分け、里芋とキャベツは大きめの一口大。豚肉を3cmくらいの幅に切ったら鍋を熱し、ごま油を少々。ジュッという音と共に豚肉の焼ける良い匂いが台所中に広がった。
「あー、このまま塩コショウして食いたい」
 にゃあと、思いがけない同意が返って来る。台所の敷居の手前でちょこんと腰を下ろした黒猫がしっぽを揺らしながらこちらを見ていた。

「この家どうすんの?」
「遺品整理したら取り壊す予定よ」
 ばあちゃんの家の匂いがした。小さくても整理整頓された室内。
「……そっか」
「記念に欲しいものがあれば持って行って。そのほうがおばあちゃんも喜ぶから」
 玄関、寝室、居間、台所。勝手口の手前にそいつはいた。
「猫?」
「ああ、シロね」
 毛並みの整った漆黒の猫。
「黒猫にシロ?」
「私も最初同じこと言ったんだけどね。おばあちゃんがこの子はシロだって」
「何だよそれ」
 イエローグリーンに光る瞳がじっとこちらを見つめている。
「こいつばあちゃんの猫? どうするの?」
「うちはお父さんが猫アレルギーでしょ? だから他に飼ってくれる人がいないか探さないといけなくて」
 黒猫は腰を下ろしたまましっぽを揺らしていた。ただじっと人間達の会話を聞いている。
「シロ」
 ぴくりと耳が動く。
「おいで」
 手を伸ばす。その場から逃げたりはしなかったが全身が強張るのは見ているだけでも分かった。
「あー……。まあそうだよな。ごめんな」
 これ以上警戒させないようにゆっくりと立ち上がり台所を見回す。食器棚が目に留まり、何となく引き出しを開けてみた。カレンダー、折り込み広告、何かの書類。様々な種類の裏紙に書かれたレシピ達。ばあちゃんの虎の巻だ。そして、なぜか一枚だけある大きな画用紙。
「何だこれ」
 引っ張り出して手と目をとめた。そこにクレヨンで描かれていたのは不格好な建物と、正体不明の黒い獣だった。大きな口、尖った耳、長い尻尾、そして緑色の大きな瞳。
「これ……子供の頃俺が描いたやつ?」
 ご丁寧に画用紙の右下に自分の名前が書いてある。平仮名に不慣れな時期だったのか所々字がひっくり返ったりしていた。同じ字体で建物の横には『おしろ』、獣の横には――。

「シロ」
 リビングに熱々の豚汁と炊き立てのご飯を運んだ。足元にすり寄る黒猫を踏まないよう注意する。
「こら! 危ないからやめろって」
 いつもなら考えられない黒猫の姿に苦笑いする。この賢い同居猫はしっかり何かを感じ取ったらしい。
「ちゃんとお前の分もあるから」
 取り分けて別茹でしたにんじんとキャベツを細かく刻み、冷ました後に鰹節と海苔を少々。
「ちょっとだけだからな。――それじゃ、いただきます」
 一人と一匹、並んで食べる。火を止める直前、豚汁に入れたすりおろし生姜の香りが食欲を刺激した。野菜達から出た優しい甘みと豚肉の旨味が口いっぱいに広がる。はふはふと熱気を逃がしながら豚汁とご飯をかき込んだ。
「うん、上出来」
 隣を見れば一心不乱におすそ分けに食いつく黒い獣。この勢いは懐かしい味を思い出してか、それとも食欲の勝利なのか。
「ゆっくりでいいからな」
 手を伸ばしかけて止め、声だけを投げかける。

『このねこね、あたまいいんだよ。なまえはしろ!』
『黒猫なのに?』
『おしろにすんでるからしろだよ。しろはね、おしろのひとたちとなかよしなんだ!』
『そっかー。おばあちゃんしろに会ってみたいな』
『きっとあえるよ! あったらいっしょにごはんたべるんだ』
『何を食べるの?』
『おいしいもの! おばあちゃんのとんじる!』

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モノカキ空想のおとの春企画。
今回は冒頭の一文を全員共通とし、さらにモノカキの一人から指示された条件に沿って書いています。
私に条件を出してくれたのはれとろさん( https://note.mu/retro09 )。

・おいしそうな料理の描写を入れる
・何かしらの動物を登場させる

以上の条件で書かせていただきました。



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