料理は小さな祈り 〜コウケンテツ 『本当はごはんが作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』を読んで〜
ちえちゃん、こんにちは。
京都では木々のつぼみが日ごとに膨らんでいるように感じます。そちらはどうでしょう。
コウケンテツさんの『本当はごはんが作るのが好きなのに、しんどくなった人たちへ』を紹介してくれてありがとう♡
出会えてよかった一冊です。ごはん作る人の気持ちを想像したり、わたし自身の考えを見つめ直したりする機会になりました。
特に共感したところが5つあったの。
一汁一菜を作るのも無理と思うことがある (p.48の意訳)
コウケンテツさんにもあるんですね、そんなことが。料理の経験や腕前は関係ないんだ・・・。
わたしの場合は年に数回なにもつくりたくないときがあります。「家事イヤイヤDAY」と最近名づけました(笑)。
手料理に必要なのは、心の余裕、時間の余裕です(p.54)
わかる!極端だけど、もし1分しかなかったら「土鍋で具沢山味噌汁」はつくれない。
その余裕は自分でつくるしかないとも思う。「ないない星人」や「くれくれ星人」にならないよう気をつけてます。
(ごはんを作らないときの)「駆け込み寺」を
積極的にリストアップしておくことをおすすめします (p.77)
駆け込み寺は安心感につながるよね。自炊ばかりしていたときに、どうしたらいいかわからなくなって、残念な選択をした経験が。
ただアレルギーでいくつか除去する食品があったときのことを考えると自炊以外のほうが大変な場合もあるなぁ・・・と思う。
料理の豪華さや手間より、状況や雰囲気、
誰とどうやって食べるかがとても大事 (p.157の意訳)
「おいしいものを食べる」より「おいしくものを食べる」を大事にしたい。ほとんど毎日、具沢山味噌汁を晩ごはんにしているのは、その想いもあってのこと。
料理するひとが苦にならないことはとても大事。イヤイヤ料理するとよくない状況になりがち。おいしくならない。味も空気も。
包丁とまな板を使わないだけでも
気持ちがずい分楽になる (p.160の意訳)
これは想像以上! 包丁を使わなくていいものを使う。手やキッチンばさみを使う。もしくは、あらかじめ切っておく。具沢山味噌汁つくるときにもオススメ。
気持ちがすごく変わります。
最後に、「ここだけは考え方が違った!」というところについて。違和感センサーが働くところには、自分の考えを深掘りするヒントが眠っていると思うから。
毎日ごはんを作るのは終わりなき戦いのようなものです (p.20)
家事って終わりがない。そう思ったことはなんどもある。だからコウケンテツさんが言いたいことをわからないわけではない。
わかりやすい表現だし、ごはんづくりがしんどいひとたちは共感を寄せるのかもしれない。
ただわたしは「終わりなき戦い」とたとえたくなくて。
毎日ごはんをつくることができるのは「幸せ」であり、「小さな祈り」だと言いたい!!
台所があり食材があり道具があり動かせる体がある。食べたいと思う、つまり生きようとしているこの命がある。幸せなこと。
今日も元気に過ごせるように。これからも元気でいられるように。いつもいつもそう思えていないけれど、その裏返しが食べることだから「小さな祈り」。
ごはんをつくることができない。わたしにとってとても不自由なこと。
もう10年ほど前。高熱と激しい頭痛で検査入院したことがあって。
入院が決まった時刻が遅かったのか晩ごはんはなし。朝ごはんは甘いものばかり。そして昼ごはんは冷やうどん。
食事を出してもらいながら失礼な話だけど「これでは元気になれない」と高熱と頭痛でぼんやりする頭ながらに考えた。ふらふらなのに必死で退院を懇願する謎の患者(笑)
食材や道具、調理法を選べること。わたしにとって自由の象徴!
ごはんをつくることはわたしにとって自由の象徴。そして元気の証。
だから生涯台所に立ってごはんをつくりたい。ちえちゃんが描いてくれたこんな雰囲気で。
なんだか長くなってしまったけれど、ここまで読んでくれてありがとう。
かじまゆ
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