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自分の好きが積みあがっていく生き方

今までの音楽スタイル、卒業しようって思う。

私は昔から音楽は好き。
ピアノ上手な姉が羨ましくて
追いかけるように私もピアノも習った。

小学校の運動会ではマーチングバンドが恒例。
音楽に合わせてバトンで踊ることから始まり、
グロッケンにも憧れて、
小太鼓もやって。

その練習時間も好きだったな。

カラオケも大好きだし、
歌を聴いて
歌詞の世界観、音に乗ってる感情を感じるのも大好き。

18の時にドラムを始めて、
音楽を聴けば自然と
ドラムの音と、ベース音を細かく拾いながら聴いてる。

車運転中にドラムモードを入れると、
アクセルがバスドラになっちゃって
危ないから
ドライブ中は歌うにしてる。

コロナ渦だって気にせずライブハウスいって、
大好きな仲間たちと仲良く
クラスターっていう貴重な経験もした😆



大好きな音楽を、大好きな人たちとできることが
私の喜びでもあったんだけど、


音楽が楽しめない、
そんな感覚を感じて悲しくて、
私にとって音楽って何なんだろう。

そんなことを考えた最近。

大好きだった音楽に大失恋しました、
私の身体の大事な一部が
なくなっちゃいました。

そんな感覚にまみれてたから、
悲しかったり、苦しかったりしたんだけど

私の音楽に対する立ち位置がだいぶ変わってきてたことに
気が付いた今日。

昔から、つらいことがあると、
今の自分を表わしてくれている歌詞を見つけて
繰り返し聴いて一緒に泣いてた。

ストレスがたまるとピアノに向かい

幻想即興曲とか、革命のエチュードとかの
指が早く動く曲を弾いた。
指が覚えてくれて無心で弾ける曲を
繰り返し繰り返し弾いていた。

私は楽譜はいまだに数えないと音階読めないし、
コードとか音楽理論的なものもわからないまんま。

それでも、音楽すると楽しかった。

音楽にずっと助けられてもいた。

自分を責めたり、否定してばっかだった自分を
癒してくれたり、埋めてくれる存在として
音楽が欠かせなかったのかもしれない。

でも、最近は、

自分の好きを表現したい、
そんな感覚で音楽に取り組み始めていた気がする。

昔弾き語りに初めてチャレンジした時は、
今振り返ると
自分がまだまだダメだからチャレンジしよう、だった。

チャレンジすることで認められたいみたいな。

認めてくれたらそりゃ嬉しいけど、
今はそれはどっちでもよくて。

年明け初めて一曲ボーカル専念した。
下手でもいいから、
子どもたちに届けたい気持ちを歌いたかったし、
私が書いた詩に曲をつけてくれた喜びを
表現できる時間にしたいと思ってた。

癒してもらう、自分の足りない感覚を埋めていく、
そんな感じの音楽だったのが、

自分を表現する、に変わってたんだ。

起業に取り組む中でも、同じことが起こってる。
私はこんなことできます、
を必死に全面に出そうとしてたのが、

これ好き!ってただ表現することが
自分を表現できることが嬉しくて。

そんな感じの変化が、
音楽にも出てきてたんだな。

音楽に臨むベースの私が、変わってきてる。



起った出来事に対して、
いつも私が悪かったとか、
感謝が足りなかったからだとか、
こういう部分に翻弄されてた。

目前にある現象から影響を受けるだけじゃなくて

自分の内側から湧き上がってくるものに目を向ける。

そしたら、

自分が変化の途中で、
過渡期だからこそ起こる
素敵な葛藤なんだなと思えるようになった。


音楽の好きが、さらにさらに大好きになってた
そんな自分に出会えました。

そこには仲間がいてくれたからこそ。
ありがとう!!

自分の好きが追及できる、
自分の好きが積みあがっていく生き方を
できたらいいな😊

今まできっと音楽だけでなく、人生も観客側だった。
自分のステージにあがっていこう✨















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