子どもが欲しそうな彼とそうでもない私
女性側は子どもを望んでいるのに男性側はそうでなく、人生レベルでの意見が対立してしまうというパターンはよく聞く。
話し合った結果、妊娠して無事出産して、一方では、ふたりで生きていく選択をしたり、一方ではお別れしてしまったり。
自分の場合はそういうパターンとは逆で、彼は小さい子と遊んだりするのがすごく好きで、いつかは子どもを持つ人生を想定している。
私は子育てをしている自分がいまいち想像できないし、なんなら結婚することにも世間の婚活女子のように希望を持つことができない。
彼と二人で今と同様楽しく過ごす未来だって全然アリだ。
今以上の幸せって必要?
彼に、結婚とか出産に焦ったりしてないんだね。と言われて、
あぁ、確かにそうだね。と答えたことがある。
(私の意見は尊重してくれる人なので焦ってどうこうしようともなっていない。)
昔から結婚や自分が子どもを持つことにポジティブなイメージを抱いたことがあまりない。
ひとりでラーメン屋どころか海外にまで行ってしまえるタイプだから願望や焦りがないのは尚更かもしれない。
特に現状に不満がない自分にとっては、これ以上何を望むんだ??
これ以上人生においての「持ち物」を増やしてしまうと満足しているこの現状を維持できなくなるのでは?
情報とか時代とか
確かに結婚もしたらしたで幸せを感じると思うし、子どももできたらできたで今の自分には想像もつかないくらいの愛おしさを感じるのだと思う。
でも、本当にそんなにうまくいくの??
幸せの象徴みたいに言われている結婚も子どもも自分にとっては、言い方は悪いがリスクの素にもなり得るんじゃないか?とも思う自分の存在も否定できない。
小さい頃から母に聞かされた父への不満や
大人になって相談に乗る姉の旦那への愚痴。
X見るようなでモラ夫やらサレ妻やらなんやかんやのゴタゴタ。
ニュースで見るような不倫、DV、虐待のニュース。
何の罪もない子どもが誘拐されて無惨な死に方をしたり、学校でのいじめを苦に自らの命を経ってしまうおとなしくて子。
貧困や介護で満足に友達とも遊べない子。
障害を抱え日々を普通に生きるのにもやっとな親子。
極めつけにはいつ自分に降りかかってくるかわからない不可抗力の天変地異や戦争。
自分のメンタルも健康も両方守るのにもこちとら精一杯なのだ。
こんな残酷で理不尽な世界に、自分らの期待だけでぽんと産み落としておいて一生の安全を保障できるわけでもないのにハイひとりで生き延びてください。なんて、実はとても無責任なのでは??
こんなことを考えてしまう自分に対して親戚での集まりでは容赦なく、結婚して子どもを産み育てる前提で話が進められる。
どうして呑気にそんなに明るい未来だけを想定できるのだろう。
たぶんそれは自分には関係のないことだからだ。
自分にもなんだかんだ苦労があったにせよなんだかんだ乗り越えてきたのだから、きっとこの子だって自分と同じように、なんて無責任な期待を抱いてるのだろうか。
人や時代が全く違うことも忘れて。
会社にいりゃ死ぬまで雇ってもらえて給料もボーナスも当たり前に一生もらえる、そんな時代はとっくに過ぎて、結婚も出産も令和では贅沢品と言われてるくらいだ。
ひねくれ者は臆病者
とは言え彼のことは大好きだし、彼との間の子どもの顔を見てみたい。
むしろこの人との子どもならほしい、この人となら子育てできそうと思ってるから今も一緒にいる。
子どもを可愛がる彼の姿を見てみたい。
両親だってどんなに喜んでくれるだろうか。
昔、母は言った。
子育てってね、本当に楽しいのよ。と。
夜泣きで眠れない日々もあっただろうし、父との意見が合わないこともあっただろうし、ホルモンバランスに心身ともにつらかっらこともあっただろうし、学校に行きたくないと言う私なんと言ったらいいか悩んだだろうし。
絶対に苦労がたくさんあったのに、自分をここまで育ててくれて、苦しさよりも幸せが多かったと結果的に思ってくれたことが心から嬉しかった。
それは、あなたを産んで良かったよと同等なのかなと。
そんなこと言われたら。
私は子どもほしくないから、なんて言ったら残念に思うだろうな。
子育てなんかしなきゃよかったと思う人は自分の子どもにそんなふうには言えないはずだ。
子どもを産み育てることを自分の子どもにすすめたり期待することはきっと誰にでもできることではない、尊いことなのだろう。
こんなに恵まれて育ったのにも関わらずなぜ気が進まないのか。
メリットやデメリット、リスク云々で考えるようなことではないとわかっている。
かと言って妊娠したときに私は両手放しで喜べるのだろうか。
浮ついている他人をお花畑なんて揶揄する自分は、実はすごく臆病で弱いのだ。
お花畑に見える彼らは私にはない、幸せになるための勇気みたいなのを多分持っている。
子ども願望を持てることができたら、きっと自分も不安を乗り越えた勇気を手に入れ、両手放しで喜べるのかもしれない。
いや、不安を乗り越え勇気を持てたら、子ども願望が生まれるのか。
どっちだ。
ヒトでもあり人間でもあり
私たちはみんな「遺伝子の乗り物」らしい。
自分に遺伝子がちょろっとくっついているのではなくて、
遺伝子が本体であり、自分や自我なんてついでのおまけみたいなものなのだ。
生物として子孫を残したい、生きたいという意思は食欲や性欲という当たり前に起こる生理現象の形で万人に現れる。
でも、「子どもがほしい!」と文字通りに頭に浮かぶ形で意思が現れるかどうかの程度は人それぞれだ。
自分の場合はそれが薄い。
彼の自分の子どもの顔が見たい、
子育てしてる彼の姿を見たい、
両親の喜ぶ姿が見たい、
「子どもが!ほしい。」と思うことは未だにあまりないが、実際に生まれたらありえないくらい可愛くて愛おしいのは間違いない。
初潮も初彼氏も周りより遅い方だったし、子ども願望も忘れた頃に遅れてくるのだろうか。
とは言え、妊娠出産にはリミットがある。
数年後にあの時頑張っておけば、なんて後悔しても自己責任だ。
子ども願望よ、来るなら早く来い!
勝手に目に入る、耳に入る情報に踊らされて予防線ばかり張る自分もカッコ悪いなと思う。
それよりも彼、自分。
本当に大事なものと向き合って自分なりの幸せを選んでいけたらなと思う。
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