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眩しいですあまりにも

私だって、両親に挟まれて歩く夕方、両手を握られ持ち上げてもらった経験がある。
誰がどう見ても、あれほど幸せな家族はなかった。

8歳の誕生日、その手が片方なくなり、持ち上げてくれてもバランスが崩れて不安定になった。
その日からは持ち上げてくれとせがむこともやめた。虚しくなるから。


「お前も女やねんから、お母さんには負けるなよ」

いよいよ私らは家族ではなくなるのだと悟った瞬間だった。


兄は、家族で過ごした時間が私より5年長いから、家族が離れるのは不服そうだったが、私はもうなんでもいいやと思った。

私は私で、その頃からチックの症状がひどくなってきたから、不安なことといえば、自分の体調のことが主だった。
その後、チックは5〜6年で完治した。その間、毎日飲み続けていた漢方薬の不味さは未だに覚えている。

大人の人に書いた手紙の返事にガッカリしたりもした。
気持ちを言葉に変換する能力が欠如している自分が悪いのに、大人って何も分かってないのなと、大人のせいにした。その方が楽だった。


父親の家に行くと、体重計に、若い女性の体重が設定してあった。
最近の体重計は、体重だけじゃなくて年齢も性別も設定できることと、顔も名前も知らない女の人の存在を知った。
こんな汚い家によく連れ込めるなと思った。

算数が絶望的にできなかった。今もできない。
数字を足すとか掛けるとか、何が起きてるのか理解ができない。
頭をポコポコ叩かれるせいで、私だけこんなに頭が悪いんじゃなかろうかなんて思ったりもした。


クラスの女の子が、昨日の晩ご飯は何だったかと聞いてきたから、「お弁当」と答えると、怪訝そうな顔をされた。
思い出の味が思い出せない。


私もみんなみたいに、毎日違う服を着てみたかった。したい髪型をしたかった。

「アタシは金を稼ぐ力はあったけど、子育てをする力はなかった」と何度も言われてきた。
そんなことないよと言ってあげたかったが、何故だか言えなかった。

優しくない人間に育ったのは、私を妊娠中、タバコを吸っていた罰だよ。




大人になっても両親と仲がいい女の子や、家族の話をよくしてくれる子は、とても可愛い。
可愛い。可愛いけど、でも、どうしても嫌悪感が消えてくれない。最低だね。

嬉しそうに家族の写真を見せてくれるのとか、家族のLINEの文面をスクショしてストーリーに載せるのとか、両親の結婚記念日のケーキとか、人との会話の中で「ママ」「パパ」呼びなのとか、全部。

あんまり家族の話しないよねと言われたから、何か話そうと思ったけど、愛されて育ってきました感バリバリの女の子に、一体なんの話しをすればいいのか。

家族の写真なんて持っていないし、他人に見せるような和やかな会話もしていないし、もう何年も「ママ」とも「お母さん」とも呼んでいない。
私がずっと意地っ張りだから。

もちろん私だって、負けないぐらい充分愛されて生きてきたけど、残念ながら、こういうときに圧倒的な格の違いを見せつけられる。

格の違いっていうのは、親からの愛じゃなくて、親への愛のこと。
私が素直じゃないのが悪い。

家族の話を楽しそうに話す人の眩しさったらすごい。
生まれ変わってももう一度ママとパパの子どもに産まれてこられたらいいね。
その間、私は雨にでもになって、君らのお家の庭に咲いてるお花に降り注いでおくから。キレイだねって愛でてあげてちょうだい。
家族団らんの晩ご飯で、話のネタの一つにはなるでしょう。
























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