ちっちゃちのは、どこいっちゃったの
幼稚園バスが到着するまであと5分。
今日もなんとかバス停まで辿り着けた。
家からおんぶしてきた3歳の次男を降ろす。
昨日は着地した途端に家の方にダッシュで逃げたのだけれど、今日はおとなしく落ち葉をいじりだした。
願わくばここまで自分で歩いてほしいのだが、きげんよくいてくれるだけで、もういいや。
でも、しゃがんだ私の帽子に落ち葉を乗せるのはおやめなされ。
バスに乗せ、手を振ったら、私の朝のミッションはクリア。あと少しだ。
帽子のつばから乗り切らぬ落ち葉がぱらぱら落ちて、視界がわるい。
「これ、まほうね」と得意げな次男。まあそれできみが楽しいならいいか。
*
そうしてバスが来るまで穏やかな待ち時間が続くはずだった。
が、
「かーちゃん……うんち。といれ、いきたい」
げげーん! ここまで来て、そんなぁ。
「え、もうバス来るし、乗って、幼稚園まで我慢できない?」
言いながら無理だよなぁと諦め。幼稚園に着くまで30分ほどかかるもの。
「トイレにいく!!」
行動派の次男はとっとと家に向かって走り出していて、それに並走しつつ、幼稚園に電話をかける。
今さらバスに乗り遅れると連絡したところでバスには届かないし、数分間バスを無駄に停車させてしまうので申し訳ない。優しい垂れ目のロマンスグレーの運転手さんが所在なさげにハンドルを握っている様が浮かぶ。申し訳ない。
あと2分、バスが来るまで待って、事情を説明してからトイレに行くのが最適解だった気がする。あーでも、次男はどんどん先に行ってしまう…。
「あれ? どーしましたぁ?」
行きに次男をおんぶしながら挨拶したご近所の奥様は引き続き庭仕事をしていて、突如全力疾走で戻ってきた我らに軽く驚いていた。
「お腹が痛いって!おトイレです!」
走りながら手短に説明する。焦って「うんち!」とか叫びそうだったが、なんとかお上品に言えた自分をほめてあげたい。
「あぁあ〜! がんばって〜!」
と奥様は明るい納得顔で見送ってくれた。
私もそういうことあったわ〜という懐かしげな雰囲気が伝わってきて、あたたかい肯定感に包まれた。
自分にとっての小さな悲劇も他者の目を介すると変わってみえる。いつか懐かしく思える状況かも、と心に余裕をもらえた。
おかげさまでなんとか気持ちを立て直す。
粗相することなく、次男はトイレですっきりする。おなかをこわしてもおらず、よかったよかった。先ほどの出発前にもトイレは済ましていたので、今回の便意は不可抗力だったよね。もぉぉと怒ってごめん。
*
さて、次男を幼稚園に送ろう。
いつもなら在宅ワークのだんなが車を出してくれるのだけど、今日は出社していて不在。月一程度の出社なのに重なるとは、タイミングが悪い。
私はペーパードライバーなので移動手段は電動自転車。
しかし最近後輪の空気が抜けやすく、不穏。
用心のため面倒だが空気入れを倉庫から持ってきてセットする。空気入れはシーンで使い分けるアダプタがいくつもついていて、毎度どれだか悩む。きらい。苦手。やりたくない。
ほんとはもうソファでぐうたらおやつを食べてる時間なのにもう。
ようやくセットし、両手で持ち手を握り、体重をかけてぶしゅーぶしゅーと奥まで空気を押し込む。
な、ぜ! わたし、は! い、ま! くうきを! いれてるのぉ!
も、う! じゆう、に! なって、いる! はずだった、の、にぃ!
心の叫びをタイヤの中に全て押し込めた。
ふざけてかくれんぼしている次男をクールに捕獲し自転車に括りつけ、幼稚園に向かう。
いい天気。
光は出来たてのようにまぶしい。ぬくもりのある手のひらがそっと触れているように温めてくれる。
風は、もはや寒さではなく、涼しいという気持ちよさを思い出させてくれる味方になった。
完璧な春の日だった。
チューリップと藤は終わったけれど、ノースポールもヴィオラもまだまだ元気にそこかしこで光っていた。
自転車を漕ぎながら、頭の中でコトリンゴさんの『みぎてのうた』が途切れとぎれにぐるぐる回る。
全部通して思い出したくて、記憶の破片をリピートしては繋げていく。『この世界の片隅に』の余韻を思い出しながら。
最初知った時は辛辣に感じたこの歌詞。
でも、あーー、そうだよね、自意識など過剰にせず、そういう感覚で生きればいいのか。
そして、そうだ、こう繋がるんだ。
この「だから」からの広がりにうっとりしながらペダルを回していたら、すぐに目的地が近づいてきた。
柵越しに園庭が見え、園児らが賑やかに遊んでいる。
「あ、あっちゃん、幼稚園見えてきたよ! にーちゃん、どこにいるかな?」
クラスごとに帽子の色が違うので遠目にもカラフル。
薄桃色の帽子の長男を探そうとして、はっとする。
ちがう! 長男はもう小学生じゃないか。
もう、ここにはいない。
この春、長男が卒園し、次男が入園した。
入園式以来、園に来ていなかったので、長男がいない幼稚園の日常を目にするのは初めてだった。
そうか、ほんとにいないんだ。
毎日小学校に長男をお迎えに行ってるくせに、幼稚園にいないってことをわかっていなかった。
「ちがうでしょ、かーちゃん。にーちゃんはいないでしょ」
冷めた物言いの次男。幼稚園に通う彼の方が身を持ってわかっていた。
クラスまで一緒に行き、担任の先生と少しお話。
私に張りついてくる次男を先生がひっぺがしてくれ(次男はさほど抵抗もせず今度は先生に張りつく)、次男とバイバイする。
やっと可愛い子泣き爺がはがれて、軽い足どりで出口へ向かう。横目で園庭を眺める。
薄桃色の帽子を探す。
……ちがう!!
長男はいないんだった。
園庭の外れの砂場でひとり、無表情に穴を掘っている背中を探してしまうけれど、ちがう。
いないんだった。
「ちっちゃちのは、どこいっちゃったの……」
頭の中でつぶやいてみる。
長男「ちの」の成長を感じるたび、私とだんなが合言葉のようにして使っている言葉。ちっちゃちのは、どこいっちゃったの……。
*
もともとは3歳の頃に長男が自分で発した言葉だった。
小さい頃の写真や動画をげらげら笑いながら見ていた時のこと。
「ちっちゃちのは、おばかだねぇ。これは2さいのちの?」
今より幼い自身のことを「ちっちゃちの」と呼んで理解していたのだが、ふと思いついたように疑問を投げてきた。
「ねえ、ちっちゃちのは、どこいっちゃったの?」
あれれ、成長して今の自分になったと理解してなかったの?
別人だと思ってたの?
早熟な我が子の案外ぬけているこのセリフがほほえましかった。
だんなに話して、二人でふふふと笑った。
そうして子供らの小さい頃の写真をみるたび、夫婦でこの言葉を言い合うようになったのだ。
*
ああでも今日は微笑ましかったはずの言葉が痛い。
ほんとに、ちっちゃちのはどこいっちゃったんだろう。
産んでからの毎日の長さに、終わらぬ日々にうんざりとしていたはずなのに。いやというほどずっと一緒にいたのに。
振り返るとあっという間で、ちっちゃちのは私の横を駆け抜け、去っていた。
起きてるときに勝手に触れると振り払われるので、今や長男を自由に触れるのは寝た時だけ。
夜、寝た子の腕をそっと握る。堅く引き締まっていて細い。少年の腕。
ぷにぷにはいつなくなったのだろう。
*
とりとめなく考えながら、園から出て、また自転車にまたがる。
今度こそ自由だ。図書館に行って子供らに絵本を借りてやろう。
子供の成長と引き換えに得た私の自由。
何も嘆くことなどないのに、なにがこんなに切ないんだろう。
光と風を感じて無心に漕ごうと努めていたら、さっきの曲の忘れていた部分を思い出した。
気持ちのいい春の日で、私は自由で、それでも少し鼻の奥が痛んで、もう一度つぶやいてみた。
ちっちゃちのは、どこいっちゃったの……。
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