アスペ先輩、仕事辞めるってよ #3話

第3話 ミチコたん
※この小説は実話です


カラサワ先輩と飲み会の約束をしてしまい、僕はとても後悔していた。会社の飲み会がそもそも好きじゃないのに、強情で変わった先輩との飲み会だなんて考えただけでも憂鬱になる。しかし僕はまだ新入社員だ。愛想を振りまくことも大事。そう自分に言い聞かせて、金曜日を覚悟した。

今日は火曜日だ。金曜日まで3日ある。飲み会のことは忘れて早く仕事を覚えようーー。
そんなことを考えながら、僕はコピー機に向かった。コピー機はカラサワ先輩の席の隣にある。僕は気配を消してそっとコピー機の前に立った。すると突然カラサワ先輩が呟いた。

「ミチコたん」

カラサワ先輩が呟いた「ミチコたん」という言葉は、どうやらこの部屋で僕だけのようだった。ミチコたんとは、おそらく経理のミチコさんのことだと思うが、なぜ僕が近づいたタイミングで呟いたのかはわからない。
僕は(これは関わらないほうがいいな)と判断し、カラサワ先輩にはとくに何も話し掛けず用を済ませて席に戻った。

ミチコさんとカラサワ先輩は付き合ってるのだろうか?
99%なさそうだが、一応確認しておきたい。
僕は昼休みに湯浅さんに聞いてみた。

「急に変なこと聞きますけど、カラサワ先輩とミチコさんって付き合ってます?」
湯浅さんは「付き合ってないよ。そんなわけないでしょ」と答えた。そして
「なんでそんなこと聞くの?」と言った。
僕はカラサワ先輩が朝に「ミチコたん」と独り言を呟いていたことを伝えた。
「実は前にカラサワ先輩がミチコさんにしつこく話しかけてたことがあってね、社長に注意されたんだよ」と湯浅さんは言った。
おそらくカラサワ先輩はミチコさんのことが好きで、しつこくつきまとったみたいだ。注意されてからはつきまとうのはやめたみたいだが、好きな気持ちが溢れて「ミチコたん」と声に出てしまったのだろう。
カラサワ先輩はかなり大きい。185cm以上はある。それに対しミチコさんは160cmあるかないかくらいだ。カラサワ先輩につきまとわれたら怖いだろうなと思った。


金曜日ーー。
定時が過ぎた。ちらほら帰り始める人が出てきた。カラサワ先輩も机の上を片付けを始めている。僕は少し仕事が残っているので、少し焦っていた。

「ミトくん。行くで」
いつの間にかカラサワ先輩が背後に立っていた。怖い。
「実は仕事が少し残ってまして…先に行っておいてもらっていいですよ」
「あかん!そんな仕事放っておいたらええ」
「でも今日中にしないといけないので…」
「入社して1週間そこらやのにそんな仕事ないやろ」
バレてた。
「はい、わかりました」
僕が急いで片付けて席を離れると、カラサワ先輩はニヤっと笑った。
「朝まで飲むで!」鼻歌交じりだ。

小さな居酒屋に入り、とりあえずビールを頼んだ。カラサワ先輩は席に着くなり、「うちの社長はあかんで」と切り出した。
(ペースが早すぎる…)と思いながら、そこから1時間くらい愚痴を聞いた。
要約すると、「社長は頑張ってるボクを認めてくれない。ミスばかりするくせにボクのミスはめちゃくちゃ怒る」という内容だった。入社して1週間そこらの子に言う話ではない。僕は我慢して聞いた。自分の時間が溶けていく感覚は耐え難いものだったが、ややこしい先輩の言うことを少しでも聞いておかないとあとから何されるかわからないので、ちょっとは付き合っておいたほうがいいかもしれないと思っていた。

カラサワ先輩の愚痴を吐き出すペースが緩やかになってきたところで、僕は聞きたかったことを聞いてみることにした。

「カラサワ先輩ってミチコさんのこと好きなんですか?」

カラサワ先輩は眉ひとつ動かさなかった。動揺している素振りもない。そしてあっけらかんとした表情でこう答えた。

「なんの話?」

もしかしたら、この人はミチコさんについてとくに自覚なく追いかけたり「ミチコたん」と呟いたりしてたのか…?と思った。
酒の勢いを借りたこともあり、僕は核心に迫ることにした。

「3日前くらいにカラサワ先輩が『ミチコたん』と呟いてはったんで、もしかしたら好きなのかなと思いまして」

カラサワ先輩は真顔で答えた。
「ミチコたんは、ミチコたん」


会話が噛み合わない。そして意味がわからない…。だんだんと僕は疲れてきた。
カラサワ先輩は2杯目のビールを飲み干すと、また社長への不満を話し始めた。ラウンド2だ。僕はどうでもよくなって、聞いてるフリをすることにした。

その夜、カラサワ先輩が愚痴を吐き出し終わったのは深夜2時だった。終電の気遣いはなかった。そして、飲み代を1000円請求された。心の中で(いや、普通全部奢りが折半やろ、1000円ってなんやねん、なんの1000円やねん…)とツッコミを入れた。
帰り道、カラサワ先輩が上機嫌だったのは言うまでもない。


つづく
(カラサワ先輩が辞めるまであと 1年 )

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