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掌編「メモ帳」

 いつからか、水曜日を繰り返すようになっていた。

 当時、大学は夏休みで、わたしは来る日も来る日も夜更かしをし、起きるのは大体お昼過ぎだった。バイトも就活も何もない。コンビニで売っている新商品はいつまでだって新商品だし、最高気温は決まって30度を超えることはない。金曜が来ないからロードショーも見れないし、テレビから流れる映像は馬鹿みたいに同じ景色ばかりを映し出す。いうなれば、わたしは水曜日に閉じ込められていた。

 けれど、停滞は自分自身が望んでいたことでもあった。毎日つづく日々に生産性も求めていないし、このままただ社会人になって、生きるために生きるのも億劫だった。でも、かといって前に進まないだけの日常にも少々飽きてはいた。だからわたしは、毎日ひとこと言葉を残すことにした。なんてことはない。たった一文、適当な言葉を見繕い、繰り返される一日の終わり、枕元にメモ帳といっしょに添える程度のものだった。どうせ内容も、明け方には消えてなくなる。無意味な行為でしかない。でも、たぶん心のどこかで、何か違った変化を期待していたのかもしれない。

 そして、繰り返される水曜日はあっけなく終わりを迎える。簡単な話、日付を越える前に寝てしまえばよかったのだ。きちんとした睡眠をとって、翌朝に目が醒めると、そこはわたしの知らない木曜日の世界だった。
 わたしは自然な流れで枕元のメモ帳を探す。けれど、どこにも見当たらない。そうこうしているうちに、バイトの時間が近づいていた。バイトが終わってからはウェブ面接の予定が入っている。その前に、毛先のほつれたぼさぼさの髪を何とかしなくては。わたしは急いで美容室の予約を入れた。

 流れに身をまかせるまま、日々は過ぎていった。就活はとんとん拍子に進み、そこそこな企業に入社して、現在は社会人を邁進している。生きるために生きるのがあんなに嫌だったのに、いざ始まってみれば、つまるところ、死にたくないなら生きるしかないのだと、こうしてキーボードを打つ手をとめて、しばしば感慨に浸る。

 でも、何かとても、大事なことを忘れてしまっているような気がしていた。

 それが何なのか、まるで思い出せない。すごくどうでも良いことのような気もするし、そうでもないような気もする。なのに、何か後悔のような、薄ぼんやりとした感情がくすぶるときが稀にあった。
 その度に、あの繰り返される水曜日の日々を思い出す自分がいる。
 ふと、パソコンのデスクトップに貼り付けてあった付箋のメモが視界に入る。水曜日は定時退勤。たしかに、今日は水曜日で、毎週水曜日はノー残業デーの日だ。けれど、片付いていない案件は山ほどある。
 わたしは、その付箋を剥がし、まるめてゴミ箱に捨てる。
 それから、よし、と心の中で喝を入れ、再びキーボードを叩き始めた。

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